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理不尽について 2

投稿者: hiro1973may 投稿日時: 2005/08/08 08:08 投稿番号: [14939 / 85019]
Y中佐が一足先に軍司令部に到着したころ、殿下の馬は二人の護衛憲兵を従えて、
ちょうど市の中央部にあたる福屋百貨店の前を通過していた。
赫(かがや)かしい夏空に爆音が聴こえた。
殿下は略帽に手庇(てびさし)をかかげて天を仰がれた。
警報は発令されておらず、広島はそれまでにもほとんど空襲を受けてはいなかった。
単機のB29は偵察飛行にちがいない。

再び馬を歩ませたとたん、殿下はすさまじい光に捉われた。
背中に熱鉄が巻きついたような気がし、馬もろともに車道の中ほどまではじき飛ばされた。
真黒な煙の中で、殿下は気丈にも焼けただれた背を起こした。
そのとき殿下は、わずか数百メートル先の爆心から、天に向かって魔王のように
立ち上がる巨大な柱を、確かにご覧になった。
軍服は破れくすぶり、参謀懸章は炎を上げて燃えていた。それでも殿下は、軍刀を抜き、
長靴を曳いて、目前にそそり立つ理不尽の柱に向かって歩いた。

爆心地から離れた軍司令部でも、四百余名の出勤者のうち百名が即死した。
瓦礫の中からはい出したY中佐は、大声で泣きながら殿下の姿を求めて市内を走り回った。
軍司令官や参謀長の消息も、家族のことも、爆死を免れた軍人としてやらねばならぬことも、
何も思いうかばなかった。
ただ、あの人だけは殺してはならないと、そればかりを考えていた。

殿下は相生橋の橋脚の下に蹲(うずくま)っておられた。
煮えたぎる川面をじっと見つめながら、殿下はそのとき何を考えていらしたのだろう。
生きてはおられたが、お体は真黒に焼けていた。

宇品の船舶輸送司令部の舟艇が、蹲る殿下と、そのかたわらでなすすべもなく号泣する
侍従武官とを発見した。船はただちに二人を収容し、似島(にのしま)の海軍病院に向かった。

背中一面に火傷を負われていた殿下は、ベッドにうつ伏せて手当てを受けた。
痛みも苦しみも訴えようとはなされず、徹夜で看護するY中佐に、大丈夫だから休めと
仰せられた。
自分の傷は浅いから、と中佐が言うと、殿下は声に出されずに、黙って足元を指さされた。
お前はひどい水虫だから、立っているのは辛かろうと、殿下は仰せられたのだ。

子供のように泣きじゃくりながら、中佐は理不尽だと思った。
理不尽とは道理を尽くさず無理無体に押しつけることだ。
殿下はよその国の軍服を押しつけられ、今またよその国に、原子爆弾を押しつけられた。
道理もくそもあるものか、と中佐は泣いた。

殿下は昭和二十年八月七日払暁、薨去(こうきょ)された。
最期を看取った中佐はその直後、病室の前の芝生に正座し、慟哭しつつピストルで
自らのこめかみを撃ち抜いた。
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