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両班、猫車、朝鮮、世界でも希な人口停滞

投稿者: c46c47po2 投稿日時: 2005/05/19 16:32 投稿番号: [11550 / 85019]
どう見ても、そこに戻りつつあると言えませんか。

北は少なくとも戻ったと言って良いでしょう。
韓国も何だかもうかなり戻ったような(精神的退廃と、世界と縁がないかのような愚劣な政治状況、経済状況)感じです。
当時の状況は以下のようです。
生産性云々よりも、生存すら危うい(=組織的な生産がほぼなかったということを意味するはずです)社会だったことになります。
当時は、アフリカですら人口は奴隷狩り以前は順調に増えていたので、およそ世界でも珍しい非生産的な国だったことになります。

人口は、朝鮮はほぼ何百年もまったく増加していなかったというのが、最近の研究でもはっきりしており、今後、本当に珍しいケースとして取り上げられることは増えると思っています。



李氏朝鮮時代と身分制度=「両班」の異常な増加と人口の停滞。

粛宗16年(1690年)と哲宗9年(1858年)を比較しても、170年間の間に、戸数にして7.23倍、人口にして6.24倍、となっている。
哲宗9年(1858年)には、戸数の70.3%、人口の48.5%、となって、<両班大国>の様相を呈していた。

支配階級が過半数を占めている。これを以ってしても異常な時代であったことは想像に難くない。

この増加については李氏朝鮮時代にも記録がある。
丁若庸(本当は金偏がつく)[1762-1836]の「牧民心書」、禹   夏永「禹夏永経論」に「両班」の身分を冒称することが盛んに行われていることが記述されており、国の法典の「続(経国)大典(1974年)」の刑法典の公賤条にも「三代にわたって<良人(両班も含まれる)>を冒称する者はこれが認められる」との規定が見られる。

また、売官もとても多かった(「増補文献備考―宣祖13年(1565年)、「禹夏永経論」。

「奴婢戸」および「奴婢人口」の正祖7年(1690年)、同10年(1786年)、同13年(1789年の急激な現象は、逃亡、放売(奴婢は売買された)による。
これについても「大邸帳籍―1690 年-1849年」に記録がある。
哲宗9年(1858年)の「奴婢戸」の現象が顕著であるにもかかわらず、「奴婢人口」が変動していないことは奴婢戸当たりの奴婢人口が増えていること奴婢を一まとめにしたものとされる。


粛宗16年(1690年)と哲宗9年(1858年)を比較しても、170年間の間で、人口が全く増えていないことに驚く。


これは李氏朝鮮王朝の苛政である。

これが日本統治時代になると増加に転じ、大幅な増加となった。もちろん、善政である。
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