避難民を置き去りにした、なんてどこに?
投稿者: bremenangelheart 投稿日時: 2005/05/09 20:35 投稿番号: [11100 / 85019]
どこに書いてある?
お前が引っ張り出して、都合の良いところまでコピペして、その直後から、お前に言ってることと真逆な文章が続く。しかも、
その文の結論はこうなっているが?
どこで、どう置き去りにしたなんて書いてある?
ーーーーーーーーーーーーーー
【欧州戦線で行われたソ連軍の暴行・略奪・虐殺行為はこの満州でも同じように繰り返され】、
暴民の襲撃と併せて、辺境に居住していた在満邦人の悲劇を生み、終戦までの犠牲者は3万人に達していた。
【だが、日本人居留民の犠牲の大部分は《終戦後に発生》する】。
終戦まで関東軍が保守していた連京線(日本人居留民150万人のうち100万人以上がこの沿線に居住していた)は【ソ連軍の終戦後の侵攻によって】破られ、そこでも同じように暴行・略奪・虐殺行為が繰り返された。
それと共に、ソ連は翌年4月に満州の管轄を国民党政府に移譲するまで【日本人の帰国を一切認めず、そのため居留民は占領下の満州での越冬を余儀なくされたこともあって、終戦後の在満邦人の犠牲者は13万5千人に達する】。
南方や支那各地の日本軍将兵・居留民が(復讐裁判によって無実の罪で処刑された者も多数いたものの)終戦後すぐに無事帰国を許されたのとは対照的であった。
また、ソ連軍と呼応して満州へ進駐した【中共軍(主として八路軍)も、「人民裁判」の名のもとに満州各地で日本人に対する虐殺を繰り広げた】。
ソ連軍・中共軍の暴圧に苦しむ同胞の姿を見かねた
【関東軍将兵の一部は、終戦後も地下に潜っての抵抗活動を続けた】
が、それに対するソ連軍・中共軍の報復は凄惨を極め、【特に通化では数千人の日本人が中共軍によって虐殺された】。関東軍将兵のシベリア抑留や後の残留孤児問題などと併せて、これらは皆1945年の日ソ戦について考える上で決して避けて通ることのできない痛ましい出来事である。
なお、それらの点に関して、【在満邦人の悲劇の全責任を関東軍へ押しつけるような論調が長らく存在している】。
確かに、関東軍が開戦時期の判断を誤り、そのため居留民の避難計画の推進を怠ったことは悲劇の一因であり、そのことに関して関東軍が厳しく責められるのは当然である。
しかし、ソ連の責任の所在を不明確にして関東軍のみを糾弾するのは如何なものであろうか。
上に書いた通り在満邦人の犠牲の大半は終戦後に生じており、そもそも当時の日ソ間には相互不可侵を定めた中立条約が機能していたのである。
念のため書いておくと、私は過去の出来事を持ち出してソ連を批判するためにこのようなことを書いているのではないし、ソ連の戦争犯罪について今更恨み言を言うつもりもなければ、現在のロシア及びロシア人に対して何ら敵愾心を持っているわけでもない。
ただ、1945年の日ソ戦について振り返る上で、そうした事実は忘れてはならないのではないか、と考えるのみである。それと共に、【「案山子兵団」「張り子の虎」と揶揄されながらも、ソ連軍の侵攻を食い止めるために、時には玉砕戦を選択してまで勇戦敢闘した関東軍部隊が多数存在したという事実も、同時に忘れてはならない】のではないか、と考える次第である。
おい、お前に言ってることと逆の文章、結論だぞ!!
お前が引っ張り出して、都合の良いところまでコピペして、その直後から、お前に言ってることと真逆な文章が続く。しかも、
その文の結論はこうなっているが?
どこで、どう置き去りにしたなんて書いてある?
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【欧州戦線で行われたソ連軍の暴行・略奪・虐殺行為はこの満州でも同じように繰り返され】、
暴民の襲撃と併せて、辺境に居住していた在満邦人の悲劇を生み、終戦までの犠牲者は3万人に達していた。
【だが、日本人居留民の犠牲の大部分は《終戦後に発生》する】。
終戦まで関東軍が保守していた連京線(日本人居留民150万人のうち100万人以上がこの沿線に居住していた)は【ソ連軍の終戦後の侵攻によって】破られ、そこでも同じように暴行・略奪・虐殺行為が繰り返された。
それと共に、ソ連は翌年4月に満州の管轄を国民党政府に移譲するまで【日本人の帰国を一切認めず、そのため居留民は占領下の満州での越冬を余儀なくされたこともあって、終戦後の在満邦人の犠牲者は13万5千人に達する】。
南方や支那各地の日本軍将兵・居留民が(復讐裁判によって無実の罪で処刑された者も多数いたものの)終戦後すぐに無事帰国を許されたのとは対照的であった。
また、ソ連軍と呼応して満州へ進駐した【中共軍(主として八路軍)も、「人民裁判」の名のもとに満州各地で日本人に対する虐殺を繰り広げた】。
ソ連軍・中共軍の暴圧に苦しむ同胞の姿を見かねた
【関東軍将兵の一部は、終戦後も地下に潜っての抵抗活動を続けた】
が、それに対するソ連軍・中共軍の報復は凄惨を極め、【特に通化では数千人の日本人が中共軍によって虐殺された】。関東軍将兵のシベリア抑留や後の残留孤児問題などと併せて、これらは皆1945年の日ソ戦について考える上で決して避けて通ることのできない痛ましい出来事である。
なお、それらの点に関して、【在満邦人の悲劇の全責任を関東軍へ押しつけるような論調が長らく存在している】。
確かに、関東軍が開戦時期の判断を誤り、そのため居留民の避難計画の推進を怠ったことは悲劇の一因であり、そのことに関して関東軍が厳しく責められるのは当然である。
しかし、ソ連の責任の所在を不明確にして関東軍のみを糾弾するのは如何なものであろうか。
上に書いた通り在満邦人の犠牲の大半は終戦後に生じており、そもそも当時の日ソ間には相互不可侵を定めた中立条約が機能していたのである。
念のため書いておくと、私は過去の出来事を持ち出してソ連を批判するためにこのようなことを書いているのではないし、ソ連の戦争犯罪について今更恨み言を言うつもりもなければ、現在のロシア及びロシア人に対して何ら敵愾心を持っているわけでもない。
ただ、1945年の日ソ戦について振り返る上で、そうした事実は忘れてはならないのではないか、と考えるのみである。それと共に、【「案山子兵団」「張り子の虎」と揶揄されながらも、ソ連軍の侵攻を食い止めるために、時には玉砕戦を選択してまで勇戦敢闘した関東軍部隊が多数存在したという事実も、同時に忘れてはならない】のではないか、と考える次第である。
おい、お前に言ってることと逆の文章、結論だぞ!!
これは メッセージ 11098 (fujiusb2005 さん)への返信です.
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