Re: 一神教同士の摩擦 飛べない豚様
投稿者: mario_porco_rosso 投稿日時: 2012/09/18 00:53 投稿番号: [109 / 179]
改めてレス差し上げます。
>ムスリムにも色々いて、信じられない位ちゃらんぽらんなムスリムもいます。
>中には「いいんだ、俺は天国にいかんでも、今が楽しい方がいい」
>などとうそぶくのがいる始末でした。
まず,この部分でくすっと笑い,そして大いに納得しました。ムスリムといえど同じ人間ということですね。
私はしばらく米国で暮らした経験があり,カトリック,プロテスタント両方の知己ができました。中には本当に敬虔なクリスチャンもいましたが,大半は世俗的というか,日常生活でそれほどキリスト教を意識させない人でした。イスラム教(「イスラーム」と伸ばす方が表記として正しいのでしょうか?)に比べ,日常生活における戒律が少ないからでしょうか。
>ここは、「度を越えている」と思うムスリムもいます。
>いや、はるかにそのようなムスリムの方が多いでしょう。
そうした人々は,例えば11年前のアルカイダによる米国での連続多発テロ事件を,どのように考えているのでしょうか?
イスラム教はユダヤ教,キリスト教と「同根」の宗教ですね。ならば預言者モーゼがシナイ山で神から授かった戒律は,イスラム教でも同様に神聖なはずです。ところがイスラム教では,その「十戒」の中の「不殺」が,しばしばいともたやすく無視されるように思われるのです。
例えば今回の反米デモの発端となった映画にしても,立場が逆だったら,と想像せずにはいられない。アラブの大金持ちの誰かが資金を提供して,歴代のローマ法王を侮辱するような映画を作ったとしたら?
彼とその映画は全世界のキリスト教国で大いにヒンシュクをかうでしょうし,デモ行進も各地で起こるでしょう。でも,敬虔なキリスト教徒の中で,「見せしめにその製作者を殺してしまえ!」と叫ぶ者が,果たしているでしょうか?
敬虔なクリスチャンであるほど,映画とその製作者に対する反感は強いでしょうが,同時に敬虔なクリスチャンであれば,どのような理由にせよ人の命を奪うことは忌避するでしょう。
先の投稿で私が書いた「非寛容」という言葉は,異教徒に対するというより,人間の命に対するある種の冷淡さを,イスラム教が持っているのではないか,という疑問からであるとご理解ください。 とりわけキリスト教徒の対比において,私にはそう感じられるのです。
「コーランか剣か」というような表現,「悪魔の詩」の作者サルマン・ラシュディに対する,現在も撤回されないままの「死刑宣告」のファトワ,そしてイスラム過激派によるテロ行為。
異教徒とはいえ同じ人間の命を軽んじるような行為を,現代の穏健なムスリムの人々はどう感じているのか,それが私が今一番伺いたいことなのです。
余談ですが,9.11同時多発テロが起こった朝,私はマンハッタンにいたのです。事件を知り,周囲の米国人の様子を見て「これは戦争になる」と直感したのを,今も鮮明に覚えています。
>ムスリムにも色々いて、信じられない位ちゃらんぽらんなムスリムもいます。
>中には「いいんだ、俺は天国にいかんでも、今が楽しい方がいい」
>などとうそぶくのがいる始末でした。
まず,この部分でくすっと笑い,そして大いに納得しました。ムスリムといえど同じ人間ということですね。
私はしばらく米国で暮らした経験があり,カトリック,プロテスタント両方の知己ができました。中には本当に敬虔なクリスチャンもいましたが,大半は世俗的というか,日常生活でそれほどキリスト教を意識させない人でした。イスラム教(「イスラーム」と伸ばす方が表記として正しいのでしょうか?)に比べ,日常生活における戒律が少ないからでしょうか。
>ここは、「度を越えている」と思うムスリムもいます。
>いや、はるかにそのようなムスリムの方が多いでしょう。
そうした人々は,例えば11年前のアルカイダによる米国での連続多発テロ事件を,どのように考えているのでしょうか?
イスラム教はユダヤ教,キリスト教と「同根」の宗教ですね。ならば預言者モーゼがシナイ山で神から授かった戒律は,イスラム教でも同様に神聖なはずです。ところがイスラム教では,その「十戒」の中の「不殺」が,しばしばいともたやすく無視されるように思われるのです。
例えば今回の反米デモの発端となった映画にしても,立場が逆だったら,と想像せずにはいられない。アラブの大金持ちの誰かが資金を提供して,歴代のローマ法王を侮辱するような映画を作ったとしたら?
彼とその映画は全世界のキリスト教国で大いにヒンシュクをかうでしょうし,デモ行進も各地で起こるでしょう。でも,敬虔なキリスト教徒の中で,「見せしめにその製作者を殺してしまえ!」と叫ぶ者が,果たしているでしょうか?
敬虔なクリスチャンであるほど,映画とその製作者に対する反感は強いでしょうが,同時に敬虔なクリスチャンであれば,どのような理由にせよ人の命を奪うことは忌避するでしょう。
先の投稿で私が書いた「非寛容」という言葉は,異教徒に対するというより,人間の命に対するある種の冷淡さを,イスラム教が持っているのではないか,という疑問からであるとご理解ください。 とりわけキリスト教徒の対比において,私にはそう感じられるのです。
「コーランか剣か」というような表現,「悪魔の詩」の作者サルマン・ラシュディに対する,現在も撤回されないままの「死刑宣告」のファトワ,そしてイスラム過激派によるテロ行為。
異教徒とはいえ同じ人間の命を軽んじるような行為を,現代の穏健なムスリムの人々はどう感じているのか,それが私が今一番伺いたいことなのです。
余談ですが,9.11同時多発テロが起こった朝,私はマンハッタンにいたのです。事件を知り,周囲の米国人の様子を見て「これは戦争になる」と直感したのを,今も鮮明に覚えています。
これは メッセージ 103 (consu2345 さん)への返信です.
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