Re: 松井石根大将 大アジア主義の悲劇②
投稿者: senrigoma 投稿日時: 2010/12/21 09:18 投稿番号: [874 / 2332]
■2.日中提携の大アジア主義■
松井石根は貧乏士族の六男で、12歳の時に名古屋から上京し、軍人養成のための全寮制学校、成城学校に入った。その後、陸軍士官学校は2番、陸軍大学は首席で卒業した。
参謀本部第二部長の時、張作霖爆死事件が起こり、松井はその犯人河本大作大佐を厳罰に処すべしと強く主張したが、当時台頭しつつあった革新的青年将校の威勢の中で、処罰はうやむやのうちに葬り去られた。
松井は、軍紀にやかましい煙ったい親父として青年将校から嫌われたが、この下克上の風潮はさらに悪化し、満洲事変の勃発時に、白昼陸軍省内で永田軍務局長刺殺という前代未聞の不祥事を起こした。松井大将は軍の長老として、責任をとり、自ら退役を願い出たのである。
四十余年の陸軍在職中には、10年以上も中国に在任し、孫文や、蒋介石など、多くの名士と親交を結んだ。そして、軍事はもとより、政治、経済その他あらゆる漢民族の文化を研究するにつれて、中国愛好の念を深め、次第に日中の親善提携と、アジアの復興を念願するようになった。
特に孫文の唱えた日中提携による大アジア主義に、松井は深く共鳴し、現役の時から「大亜細亜協会」設立発起人の一人となり、退役とともに会長となって、日中和平・提携を、日本国内、および、中国で説いて回った。
松井は孫文の第2、第3革命を陰に陽に支援し、孫文亡き後は、その遺志を継いで中国の統一と日中提携を実現しうるものは蒋介石をおいて他にない、との認識から蒋を支援した。
昭和2年、蒋介石が北伐の途中大敗して、最大の危機にあったとき、松井は蒋を日本に呼び、時の田中義一首相に引き合わせた。この会談の結果、日本は蒋の北伐を援助し、張作霖を満洲に引き上げさせた。
昭和11年、支那事変の前年には、反蒋介石の巨頭胡漢民らと会談し、蒋介石の南京政府と提携して、中国の統一を図るべきだと進言している。その足で南京により、蒋介石と会談して、国父孫文の「大アジア主義」の精神に帰ろうと呼びかけた。
これは メッセージ 873 (senrigoma さん)への返信です.
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