Re: 韓国の妄言を否定する根拠-1
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/09/14 10:45 投稿番号: [2291 / 2382]
>地域表示から見ていけば、本文に見た場所が書いてなくても規式に基き、半島側から見たものと解釈できる。
なんで地域表示と記述してある文章の“見た場所”が関係あるのか? 地域表示は その地域の話がここに書いてあるよ って表示だよ。 于山島と鬱陵島は江原道蔚珍県に属するってことは理解できるけど、それだけだよ。
江原道蔚珍県に属する于山島と鬱陵島のことが記述されている・・・それだけ。
>それは「新筯東國輿地勝覽」でより明確になっている。
世宗実録地理誌から77年後に編纂された「新筯東國輿地勝覽」の記述がどうであれ、それは世宗実録地理誌の編纂者へなんの影響も与えないんだよ(笑)
同じ時代に同じ人が記述したんなら君の主張もそれらいしいんだけどさ(笑)
>もし君がその時代に生きていたとして、役人に君の解釈を述べたら、即座に「規式を知らず、地理志も読めぬ愚か者!」馬鹿にされただろう。
君にぴったりの文言だね(大笑)。 過去最高の名文なんじゃん(笑)
>君の解釈では、規式に反しながら、なぜ本文に見た場所の記述がないんだ?鬱陵島と于山島を良く分からない理由だけで、見た場所が書いてない事にならないよ。であればその後の「風日清明であれば 望み見ることが出来る」の記述をどう説明する?鬱陵島と于山島の島の実態が良く分からないのに、なぜ見た場所を半島以外と分かるわけ?
王朝実録の編纂者は地方官庁からの報告を記述してるんだよ。江原道の役人も江原道地域のすべてを自分で確認したのではなく、それぞれの県の役人からの報告をまとめて中央へ報告しているんだ。 で、県の役人も地域住民の代表者などから報告を受けている。 記述してる人が直接見たわけじゃないんだよ。 そういうことを念頭に入れてもう一度№2288を読んでみろ(笑)。
>・・でなければ、地理志=地理見聞録にならないでしょうが!
十分になるよ。 そもそも地理誌ってのは領土主張のために編纂されたものではありません。 自然地理ではなく歴史地理を目的に編纂されたものです。江原道を旅行する時のためではなく、江原道に赴任する中央の役人が事前に江原道の特徴を把握するために編纂されたものなのです。 なので空島政策によって行政官の存在しない于山島までの距離は全然重要なことではありません。半島からの距離が記述されていなくてもなんら問題にならないのですよ(笑)。
>という事は、「二島相去不遠」で距離を示し、その後にも「風日清明、則可望見」で、二重に距離感を示しているわけ?可笑しな文章だね。
「二島は互いに遠くはなく、風日清明であれば 望み見ることが出来る」
↑これがおかしな文章? なにが可笑しいのかわかならいけど 君の文章よりはかなりまともだよ(笑)。
>それは流山國島という島から半島に来た人が、武陵島という附属島があると述べた事に由来するんだろ?後はリンクを参考にしろ!
お笑い爆笑リンクを見たよ。 こんなリンクを参考にしてるから笑われちゃうんだよ。
(お笑いリンクより抜粋)さらに、本文中では于山島と鬱陵島は隣接島で、朝鮮半島東岸から見ることができると記述していますが、
↑どこにそんな記述があるんだよ(大笑)。 そんな記述はないんだが、こいつにだけは見えるらしい(笑)
(お笑いリンクより抜粋)1530年の地図は、実際には"于山島"と名付けられた鬱陵島の主島と、"鬱陵島"と名付けられた鬱陵島の付属島をその東に描いているわけです。
鬱陵島を于山島と、竹嶼を鬱陵島と書いたのか? 本島である于山島よりも付属島である鬱陵島の方が大きいのはどう説明するんだ?
于山島よりも大きい鬱陵島は どうみても付属島とは見えないよ(笑)。
(お笑い爆笑リンクより抜粋)それは、1530年の"于山島"は鬱陵島の主島の名称で、"鬱陵島"が隣接島の竹嶼をさすと考えられていたからです。この混乱は1412年に"流山國島"という島から一団の人々が朝鮮半島の港へ船でやってきて、そこの役人に、"武陵島"という付属島がある、と述べたことに由来しています。
120年前の話が根拠になってるのか? その間、世宗実録地理誌が編纂されたのが1454年、次に八道地理志が編纂されたのが1478年、そして東国輿地勝覧(初版)が1481年に編纂され 第4版となる「新増東国輿地勝覧」が編纂されたのは1531年。 そういう流れを無視し、さらに地理誌の目的を見誤っているから 珍解釈のオンパレードになるんだよ。
ところで日本の独島領有権主張の根拠ってなんだ?
なんで地域表示と記述してある文章の“見た場所”が関係あるのか? 地域表示は その地域の話がここに書いてあるよ って表示だよ。 于山島と鬱陵島は江原道蔚珍県に属するってことは理解できるけど、それだけだよ。
江原道蔚珍県に属する于山島と鬱陵島のことが記述されている・・・それだけ。
>それは「新筯東國輿地勝覽」でより明確になっている。
世宗実録地理誌から77年後に編纂された「新筯東國輿地勝覽」の記述がどうであれ、それは世宗実録地理誌の編纂者へなんの影響も与えないんだよ(笑)
同じ時代に同じ人が記述したんなら君の主張もそれらいしいんだけどさ(笑)
>もし君がその時代に生きていたとして、役人に君の解釈を述べたら、即座に「規式を知らず、地理志も読めぬ愚か者!」馬鹿にされただろう。
君にぴったりの文言だね(大笑)。 過去最高の名文なんじゃん(笑)
>君の解釈では、規式に反しながら、なぜ本文に見た場所の記述がないんだ?鬱陵島と于山島を良く分からない理由だけで、見た場所が書いてない事にならないよ。であればその後の「風日清明であれば 望み見ることが出来る」の記述をどう説明する?鬱陵島と于山島の島の実態が良く分からないのに、なぜ見た場所を半島以外と分かるわけ?
王朝実録の編纂者は地方官庁からの報告を記述してるんだよ。江原道の役人も江原道地域のすべてを自分で確認したのではなく、それぞれの県の役人からの報告をまとめて中央へ報告しているんだ。 で、県の役人も地域住民の代表者などから報告を受けている。 記述してる人が直接見たわけじゃないんだよ。 そういうことを念頭に入れてもう一度№2288を読んでみろ(笑)。
>・・でなければ、地理志=地理見聞録にならないでしょうが!
十分になるよ。 そもそも地理誌ってのは領土主張のために編纂されたものではありません。 自然地理ではなく歴史地理を目的に編纂されたものです。江原道を旅行する時のためではなく、江原道に赴任する中央の役人が事前に江原道の特徴を把握するために編纂されたものなのです。 なので空島政策によって行政官の存在しない于山島までの距離は全然重要なことではありません。半島からの距離が記述されていなくてもなんら問題にならないのですよ(笑)。
>という事は、「二島相去不遠」で距離を示し、その後にも「風日清明、則可望見」で、二重に距離感を示しているわけ?可笑しな文章だね。
「二島は互いに遠くはなく、風日清明であれば 望み見ることが出来る」
↑これがおかしな文章? なにが可笑しいのかわかならいけど 君の文章よりはかなりまともだよ(笑)。
>それは流山國島という島から半島に来た人が、武陵島という附属島があると述べた事に由来するんだろ?後はリンクを参考にしろ!
お笑い爆笑リンクを見たよ。 こんなリンクを参考にしてるから笑われちゃうんだよ。
(お笑いリンクより抜粋)さらに、本文中では于山島と鬱陵島は隣接島で、朝鮮半島東岸から見ることができると記述していますが、
↑どこにそんな記述があるんだよ(大笑)。 そんな記述はないんだが、こいつにだけは見えるらしい(笑)
(お笑いリンクより抜粋)1530年の地図は、実際には"于山島"と名付けられた鬱陵島の主島と、"鬱陵島"と名付けられた鬱陵島の付属島をその東に描いているわけです。
鬱陵島を于山島と、竹嶼を鬱陵島と書いたのか? 本島である于山島よりも付属島である鬱陵島の方が大きいのはどう説明するんだ?
于山島よりも大きい鬱陵島は どうみても付属島とは見えないよ(笑)。
(お笑い爆笑リンクより抜粋)それは、1530年の"于山島"は鬱陵島の主島の名称で、"鬱陵島"が隣接島の竹嶼をさすと考えられていたからです。この混乱は1412年に"流山國島"という島から一団の人々が朝鮮半島の港へ船でやってきて、そこの役人に、"武陵島"という付属島がある、と述べたことに由来しています。
120年前の話が根拠になってるのか? その間、世宗実録地理誌が編纂されたのが1454年、次に八道地理志が編纂されたのが1478年、そして東国輿地勝覧(初版)が1481年に編纂され 第4版となる「新増東国輿地勝覧」が編纂されたのは1531年。 そういう流れを無視し、さらに地理誌の目的を見誤っているから 珍解釈のオンパレードになるんだよ。
ところで日本の独島領有権主張の根拠ってなんだ?
これは メッセージ 2286 (azusa2008jp さん)への返信です.
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