Re: めだかさんへ-①-1
投稿者: azusa2008jp 投稿日時: 2010/09/12 00:43 投稿番号: [2262 / 2382]
最初に「Re: めだかさんへ-②」へは反論不能なのかね?それとも、都合が悪いから見なかったふりしてるの?(大笑)
>それぞれの地理誌の編纂者は、各地から情報を取り寄せ、その情報をもとに記述しました。その取り寄せた情報が交錯していたのでしょう。
では交錯した根拠は?他の文書で補足証明しないと憶測の域を出ません。もしかして、たまたま「江原道蔚珍縣」だけ、規式に反し、半島以外の場所から見たというのですか?という事は李朝の役人は地理書もまともに編纂できない無能だったという事ですね。(失笑)・・・しかしながら、その見た場所が表記されてない状態では苦しい反論ですね。(大笑)
>理由はともかく、一島説と二島説があったことは事実ですね。
理由はともかく??それが説明できなければ、交錯した根拠にならないでしょうが?何を姑息に逃げているのですか!(笑)
>竹嶼は探さなくても確認できるで鬱陵島の傍にある小さな島の存在はすでに知っていたのです。 なのでその島を于山島と考えていたのであれば、一説于山鬱陵本一島 という説はありえない。だって明確に二島あることを把握してるんだもん。
ところが、その解釈も下記の通り、朝鮮王朝国政全般の記録書である「日省録」の登場で、于山島が独島でなく、竹嶼である事が判明しますね。(笑)
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『日省録』の于山島:1760年から1910年までの朝鮮王朝の国政全般を記した官撰(解説の一部を抜粋)
1807年5月12日の項に鬱陵島を調査した役人の記録があり、「北有于山島周回為二三里許」(翻訳:北に于山島があって周囲は二三里をなしている)と報告している。于山島が鬱陵島の北にあって周囲が約800m−1200m(朝鮮の1里は約0.4km)であることが分かる。この記述に一番近い島でいえば竹嶼ということになる。竹嶼は鬱陵島の北東にあって、南北に約700mほどの細長い島である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6#.E3.80.8E.E6.97.A5.E7.9C.81.E9.8C.B2. E3.80.8F.E3.81.AE.E4.BA.8E.E5.B1.B1.E5.B 3.B6
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これは現地調査した役人の報告書ですので、「新筯東國輿地勝覽」より詳しい記述です。要点を箇条書きにしておきます。
①于山島は、鬱陵島の北にあり、島の大きさも具体的に表記されていて、現在の竹嶼を記録した事がわかる。
②于山島が独島のように二つで構成された島という記述はどこにもない!
それに対し、実際の独島の方向は鬱陵島の南東側であり、島の大きさも違う。貴方の珍解釈では、見た場所は不明でも、天候が良くないと見えないぐらい遠くにある筈ですよね?そのような表現もない。・・・さて、以上の記述をどう解釈するのでしょうか?(笑)他にも于山島が竹嶼と裏付られるものがありますが、一度に出すと貴方が混乱するでしょうから、小出しにします。(笑)さて、どういう珍解釈で笑わせてくれるか、楽しみにしてますよ。
>半島から見た記述だから一島説を紹介したってのは理由になりませんよ。
いいえ、規式に基き半島から見たと解釈できるからこそ、于山(于山島=竹嶼)は鬱陵島の陰に隠れて見えなかったのです。だから、記述者は一つの島に見えるという一説を参考までに記録したのです。それが妥当性のある解釈で、「日省録」でも独島でない事が判明したように、規式を無視した貴方の珍解釈は通用しません!(笑) 〜-2に続く
>それぞれの地理誌の編纂者は、各地から情報を取り寄せ、その情報をもとに記述しました。その取り寄せた情報が交錯していたのでしょう。
では交錯した根拠は?他の文書で補足証明しないと憶測の域を出ません。もしかして、たまたま「江原道蔚珍縣」だけ、規式に反し、半島以外の場所から見たというのですか?という事は李朝の役人は地理書もまともに編纂できない無能だったという事ですね。(失笑)・・・しかしながら、その見た場所が表記されてない状態では苦しい反論ですね。(大笑)
>理由はともかく、一島説と二島説があったことは事実ですね。
理由はともかく??それが説明できなければ、交錯した根拠にならないでしょうが?何を姑息に逃げているのですか!(笑)
>竹嶼は探さなくても確認できるで鬱陵島の傍にある小さな島の存在はすでに知っていたのです。 なのでその島を于山島と考えていたのであれば、一説于山鬱陵本一島 という説はありえない。だって明確に二島あることを把握してるんだもん。
ところが、その解釈も下記の通り、朝鮮王朝国政全般の記録書である「日省録」の登場で、于山島が独島でなく、竹嶼である事が判明しますね。(笑)
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『日省録』の于山島:1760年から1910年までの朝鮮王朝の国政全般を記した官撰(解説の一部を抜粋)
1807年5月12日の項に鬱陵島を調査した役人の記録があり、「北有于山島周回為二三里許」(翻訳:北に于山島があって周囲は二三里をなしている)と報告している。于山島が鬱陵島の北にあって周囲が約800m−1200m(朝鮮の1里は約0.4km)であることが分かる。この記述に一番近い島でいえば竹嶼ということになる。竹嶼は鬱陵島の北東にあって、南北に約700mほどの細長い島である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6#.E3.80.8E.E6.97.A5.E7.9C.81.E9.8C.B2. E3.80.8F.E3.81.AE.E4.BA.8E.E5.B1.B1.E5.B 3.B6
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これは現地調査した役人の報告書ですので、「新筯東國輿地勝覽」より詳しい記述です。要点を箇条書きにしておきます。
①于山島は、鬱陵島の北にあり、島の大きさも具体的に表記されていて、現在の竹嶼を記録した事がわかる。
②于山島が独島のように二つで構成された島という記述はどこにもない!
それに対し、実際の独島の方向は鬱陵島の南東側であり、島の大きさも違う。貴方の珍解釈では、見た場所は不明でも、天候が良くないと見えないぐらい遠くにある筈ですよね?そのような表現もない。・・・さて、以上の記述をどう解釈するのでしょうか?(笑)他にも于山島が竹嶼と裏付られるものがありますが、一度に出すと貴方が混乱するでしょうから、小出しにします。(笑)さて、どういう珍解釈で笑わせてくれるか、楽しみにしてますよ。
>半島から見た記述だから一島説を紹介したってのは理由になりませんよ。
いいえ、規式に基き半島から見たと解釈できるからこそ、于山(于山島=竹嶼)は鬱陵島の陰に隠れて見えなかったのです。だから、記述者は一つの島に見えるという一説を参考までに記録したのです。それが妥当性のある解釈で、「日省録」でも独島でない事が判明したように、規式を無視した貴方の珍解釈は通用しません!(笑) 〜-2に続く
これは メッセージ 2261 (h369jp さん)への返信です.
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