Re: めだかさんへ-①
投稿者: h369jp 投稿日時: 2010/09/11 22:35 投稿番号: [2261 / 2382]
>>一島なのか、二島なのか、過去の歴史書では明確にされていなかったので、
>では、なぜ明確になってないのですか?その理由を説明願います。
それぞれの地理誌の編纂者は、各地から情報を取り寄せ、その情報をもとに記述しました。その取り寄せた情報が交錯していたのでしょう。
理由はともかく、一島説と二島説があったことは事実ですね。
>なぜ、そいういう記述かというと、半島側から見た状況で記述したからです。それを否定するなら、根拠を示しなさい。
新筯東國輿地勝覽の記述は「于山島 鬱陵島 一云武陵 一云羽陵 二島在縣正東海中」で 于山島と鬱陵島の二島があるという記述です。于山島は半島から見えませんが それでも二島あるという記述です。新筯東國輿地勝覽が編纂される以前に鬱陵島は役人が探索に出かけています。鬱陵島の東側にある
竹嶼は探さなくても確認できるで鬱陵島の傍にある小さな島の存在はすでに知っていたのです。 なのでその島を于山島と考えていたのであれば、一説于山鬱陵本一島 という説はありえない。だって明確に二島あることを把握してるんだもん。
半島から見た記述だから一島説を紹介したってのは理由になりませんよ。
むしろ鬱陵島の探索に出かけ竹嶼の存在を確認した後に、于山島と鬱陵島は同じ島だという説があるって記述しているんだからそれは于山島が竹嶼でないことを証明しているんだよ。
>つまり、一島説の記述があるという事は、現地に役人が行かず、半島側から見た状況と明解に分かります。
朝廷が鬱陵島の探索を行った記録がありますので、現地に役人が行ってるのは事実ですよ。
#2255>新筯東國輿地勝覽の「三峰岌●●空 南峯稍卑 風日清明 則峯頭樹木及山根沙渚 歴歴可見 風便則二日可到」という一文は半島から鬱陵島を見た状況だと私も思います。
↑今までこの一文を独島から鬱陵島を見たとか、鬱陵島から独島を見たなどと主張したこことはありませんよ。
という新筯東國輿地勝覽に関する一文を取り上げて それを無理やり世宗実録地理誌に関しての意見にすり替え
No2228:>「于山と武陵は蔚珍県の東の海中にあり、二島は互いに遠くなく 風日清明であれば 望み見ることが出来る」
>という文章から于山が独島だと断言できるんだよ
↑ではこれをどう弁解するので??
恥ずかしくもなく よくそんな詐欺みたいなことが出来るね。
独島が二島からなるのに 于山島が二島で構成されていることが明記されていないのは情報不足だったんだよ。 当然、記述をもとに描かれた八道総図も于山島は一つの島として描かれている。
日本外務省がHPで取り上げているお笑いパンフレットに掲載されている日本與地路程全図は19世紀中期のものだが それでも独島は一つの島として描かれているよ。 今の価値観で古地図を見ればすべてが疑問だらけになるよ。
>見た場所が分からないのに、どうして于山島が2つの島からなる独島と断言できるのですか?
だ・か・ら 音読してないんだろ? やれやれ・・・。
世宗実録地理誌の于山島と鬱陵島の位置関係を示している記述は 二島を見た場所は確定されないんだけど、半島から見たってことは100%否定できることはすでに理解できてるかな? これが理解できていないと先には進めないよ。
>実際は鬱陵島の近くに竹嶼(于山島)があり、独島はそれより離れた場所にある。それも天候が良くなければ見えない場所に!
だろ? 鬱陵島の近くの竹嶼は 二島相去不遠、風日清明、則可望見 という位置関係じゃないんだよ。 独島はまさに 風日清明、則可望見 だね^^。
>その地図自体が韓国にないのが致命的です。
地図はなくても地理誌があれば十分だよ。日本のように独島の領有権を主張するパンフに掲載した日本與地路程全図の初版が竹島と松嶋を朝鮮領としてたなんて地図は致命的だけどね^^。
>にもかかわらず、貴方は鬱陵島から見たと憶測したのでしょう?
だ・か・ら 鬱陵島から見たのかもしれないし、鬱陵島と独島の間の海上から見たのかもしれないって言ってるんだよ。いずれにしても「二島相去不遠、風日清明、則可望見」なんだからさ。 半島からじゃないのだけは明白だね^^。
>他の古地図にも〜
他の古地図は関係ないよ。 他の古地図の話をしたいんなら、具体的にこの古地図って明確に示せよ。
一島説が 近いことを示すことじゃないってことは理解できたか?
>では、なぜ明確になってないのですか?その理由を説明願います。
それぞれの地理誌の編纂者は、各地から情報を取り寄せ、その情報をもとに記述しました。その取り寄せた情報が交錯していたのでしょう。
理由はともかく、一島説と二島説があったことは事実ですね。
>なぜ、そいういう記述かというと、半島側から見た状況で記述したからです。それを否定するなら、根拠を示しなさい。
新筯東國輿地勝覽の記述は「于山島 鬱陵島 一云武陵 一云羽陵 二島在縣正東海中」で 于山島と鬱陵島の二島があるという記述です。于山島は半島から見えませんが それでも二島あるという記述です。新筯東國輿地勝覽が編纂される以前に鬱陵島は役人が探索に出かけています。鬱陵島の東側にある
竹嶼は探さなくても確認できるで鬱陵島の傍にある小さな島の存在はすでに知っていたのです。 なのでその島を于山島と考えていたのであれば、一説于山鬱陵本一島 という説はありえない。だって明確に二島あることを把握してるんだもん。
半島から見た記述だから一島説を紹介したってのは理由になりませんよ。
むしろ鬱陵島の探索に出かけ竹嶼の存在を確認した後に、于山島と鬱陵島は同じ島だという説があるって記述しているんだからそれは于山島が竹嶼でないことを証明しているんだよ。
>つまり、一島説の記述があるという事は、現地に役人が行かず、半島側から見た状況と明解に分かります。
朝廷が鬱陵島の探索を行った記録がありますので、現地に役人が行ってるのは事実ですよ。
#2255>新筯東國輿地勝覽の「三峰岌●●空 南峯稍卑 風日清明 則峯頭樹木及山根沙渚 歴歴可見 風便則二日可到」という一文は半島から鬱陵島を見た状況だと私も思います。
↑今までこの一文を独島から鬱陵島を見たとか、鬱陵島から独島を見たなどと主張したこことはありませんよ。
という新筯東國輿地勝覽に関する一文を取り上げて それを無理やり世宗実録地理誌に関しての意見にすり替え
No2228:>「于山と武陵は蔚珍県の東の海中にあり、二島は互いに遠くなく 風日清明であれば 望み見ることが出来る」
>という文章から于山が独島だと断言できるんだよ
↑ではこれをどう弁解するので??
恥ずかしくもなく よくそんな詐欺みたいなことが出来るね。
独島が二島からなるのに 于山島が二島で構成されていることが明記されていないのは情報不足だったんだよ。 当然、記述をもとに描かれた八道総図も于山島は一つの島として描かれている。
日本外務省がHPで取り上げているお笑いパンフレットに掲載されている日本與地路程全図は19世紀中期のものだが それでも独島は一つの島として描かれているよ。 今の価値観で古地図を見ればすべてが疑問だらけになるよ。
>見た場所が分からないのに、どうして于山島が2つの島からなる独島と断言できるのですか?
だ・か・ら 音読してないんだろ? やれやれ・・・。
世宗実録地理誌の于山島と鬱陵島の位置関係を示している記述は 二島を見た場所は確定されないんだけど、半島から見たってことは100%否定できることはすでに理解できてるかな? これが理解できていないと先には進めないよ。
>実際は鬱陵島の近くに竹嶼(于山島)があり、独島はそれより離れた場所にある。それも天候が良くなければ見えない場所に!
だろ? 鬱陵島の近くの竹嶼は 二島相去不遠、風日清明、則可望見 という位置関係じゃないんだよ。 独島はまさに 風日清明、則可望見 だね^^。
>その地図自体が韓国にないのが致命的です。
地図はなくても地理誌があれば十分だよ。日本のように独島の領有権を主張するパンフに掲載した日本與地路程全図の初版が竹島と松嶋を朝鮮領としてたなんて地図は致命的だけどね^^。
>にもかかわらず、貴方は鬱陵島から見たと憶測したのでしょう?
だ・か・ら 鬱陵島から見たのかもしれないし、鬱陵島と独島の間の海上から見たのかもしれないって言ってるんだよ。いずれにしても「二島相去不遠、風日清明、則可望見」なんだからさ。 半島からじゃないのだけは明白だね^^。
>他の古地図にも〜
他の古地図は関係ないよ。 他の古地図の話をしたいんなら、具体的にこの古地図って明確に示せよ。
一島説が 近いことを示すことじゃないってことは理解できたか?
これは メッセージ 2257 (azusa2008jp さん)への返信です.
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