鳩山氏訪中 尖閣は「係争地」

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環境汚染大国/中国は自然に滅びる。

投稿者: secandlife 投稿日時: 2013/02/15 19:52 投稿番号: [4475 / 4475]
現在中国の環境汚染は、20年後の国民に劇的な変化が訪れる。
日本の箏曲で有名な「春の訪れ」がある。
春先の庭にきて遊ぶ雀の様子を宮城道雄が作曲した曲である。

環境汚染、特に水質汚染は地下深く汚染が充満している。
20年後の中国には春の訪れならぬ、「奇形児の訪れ」となろう。
奇形児の中国は自然淘汰として滅び去る運命を担っている。

中国政府へ損害賠償請求を行おう!

投稿者: secandlife 投稿日時: 2013/02/05 08:54 投稿番号: [4474 / 4475]
中国による大気汚染が日本各地へ移動している。
中国の工業生産による環境汚染対策を放置した結果である。
その汚染物質が偏西風に乗って日本各地へ飛来している。
その公害汚染の責任を日本政府は中国政府へ請求すべきである。
民間レベルでも、損害賠償請求を中国の国家主席へ請求しよう。
この問題は、日本だけでなく世界の関係国と共に行動を起こそう。

中国の外気汚染問題

投稿者: secandlife 投稿日時: 2013/02/04 09:59 投稿番号: [4473 / 4475]
頭隠して尻隠さず。
尖閣列島問題より、自国の外気汚染・環境汚染問題の解決が先決問題であろうが、自国の汚染問題より美味しい他国へ手を伸ばす。
これは自国の浄化を放置し、きれいな日本の土地や森林買収に手を伸ばす。
尖閣列島に手を伸ばすより、身近なツンドラ地帯に手を伸ばせないのか。
これらは国際問題とすべきである。
汚染された外気、汚れた水、国籍を持たない闇に生まれた若者。
河川や湖沼の浄化を行った日本のシステムを見習うべきである。
中国共産党首脳には頭の構造改革と思想の転換が必要といえる。

開戦準備完了

投稿者: kyainnn 投稿日時: 2013/01/31 14:50 投稿番号: [4472 / 4475]
後はタイミングの問題だ

アジア人の同族争いが次世紀えのステップ

投稿者: daithan_111 投稿日時: 2013/01/30 19:45 投稿番号: [4471 / 4475]
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

Re: 公明党、判断力ないのか、情けない

投稿者: bbgtrry 投稿日時: 2013/01/30 19:25 投稿番号: [4470 / 4475]
  ドーモ、、です、。    イラン並みの原油の埋蔵量?   日本の   60年分の消費量   ?   ???ですか。   国連も   掘削・ボーリングもしないうちに   ナゼ   わかるのでしょうか、?   背後に、日・中を   紛争に   陥れて、両国がイガミ合い、ギシギシすれば、するほど   「、ガッポリと   儲かる   御国は、?」、居ませんでしょうか   ?   先に、   何方かも   提言していましたが、「、ユダヤ系の大財閥郡、、???」、、でしょうか   ?   もし、之が   ガセねたで、掘削調査しても   原油が「一滴も、、出なかったら??」、、も   ありえましょうか、?   マー、隣は、外洋の出口=橋頭堡の「核心的利益、、?」、、に   目がくらんで   いますので、   そう   ヤスヤスとは   諦めないでしょうが、。   誠に、やっかいで、難儀では   ございます。(「産経・正論<中国の不条理、粘り強くはね返せ<森本敏」、「政治ー人気ブログランキング<台湾は日本の生命線」、「昨日も地獄の一日だったチベット<ペマギャルポ」、「ならず者国家中国の本性<石平」、「捏造だらけの中国史<黄文雄」、「領土・領海の野心・野望の国?<伊藤貫」、「ウイグル世界会議」、「国民が知らない反日の実態・創価学会の正体」、「自由の砦」、「Forum 21」、「乱脈経理」、「黒い手帳」、「憚りながら」、「創価学会-tearface」、「恩を仇で返す中国人」、御検索を)
、。)

支那次期国主

投稿者: kotaroag 投稿日時: 2013/01/29 17:56 投稿番号: [4469 / 4475]
支那次期代表、習きんぺいだか、習こんぺいとうか知らないが、
朝鮮統一協会日本支部の公○党山口代表会見で、
迷惑面と、正面を見ようとしない習こんぺいとうが不思議に映った。
訪問されたのが迷惑と見えた。
訪問してそんな態度で迎えられる事が判っていて、のこのこと出て行く小判鮫政党の無神経さ、自民党は手を切るべきだ。

又、国賊   鳩山由起夫を反逆罪で裁けないのか、
憲法改正を早急に進める事が大事な思う。

アジア人独立運動4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/29 15:55 投稿番号: [4468 / 4475]
東印度独立に関する件

一.方針
   既定方針に基づき東印度に関し可及的速やかに独立を許容することとし直ちに之が準備を促進強化すると共に独立の時期を明示す

二.要領
   1.独立せしむべき地域は旧蘭印全域とす

   2.独立許容の時期は明年一月1日とし右帝国政府の意図を直ちに中外に闡明す

   3.新独立国は一応連邦制を予想するも政体、国名、国民の範囲等は原住民の総意を尊重し之を決定す

   4.独立実施は概ね左の方式に依るものとす

     (イ)可及的速やかに「ジャワ」に各地域の代表を以て構成せる独立準備委員会を組織せしめ独立実施に必要なる諸般の事項を審議せしむ

     (ロ)右と併行し原住民の政治参与を極力推進し自治体勢を強化す

     (ハ)独立宣言発出の上は帝国直ちに之を承認す

     (ニ)新独立国の対米英国に対する宣戦、帝国との条約等に関しては当時体制に応じ別に定む

中国海洋監視船3隻

投稿者: loadformrest 投稿日時: 2013/01/29 11:49 投稿番号: [4467 / 4475]
  第11管区海上保安本部(那覇市)によると、28日午後10時56分頃から同11時5分頃にかけ、中国の海洋監視船「海監」3隻が、沖縄県石垣市の尖閣諸島・久場島沖
の接続水域(領海の外側約22キロ)内に入った。

  29日午前9時現在、3隻とも接続水域内を航行している。海上保安庁の巡視船が領海に近づかないよう警告を続けている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130129-00000458-yom-soci
http://www.yamatopress.com/index3.php

アジア人独立運動3

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/29 08:50 投稿番号: [4466 / 4475]
日本が関係した各国独立

一.「チェッコ・スロヴァキア」
   帝国政府は大正8年4月19日付を以て在本邦「チェッコ・スロヴァキア」代表を同国代理公使として承認したり
   之に依り日本は同国政府を正式に承認したこととなれり

二.「セルブ・クロアート・スルヴェーヌ」
   証人は同国の対獨条約調印を連合諸国が共同に承認したることに依り正式に行われたり。従って条約承認の日(大正8年6月28日)を以て日本の同国承認の日と解すべきなり

三.芬蘭(フィンランド)
   帝国政府は大正8年5月23日同国の独立並びに事実上の政府を承認し大正10年2月3日其の法律上の承認を為したり

四.波蘭(ポーランド)
   帝国政府は大正8年3月23日正式に承認したり

五.「ジュルジャ」
   大正9年2月6日大使会議に於いて松井大使はこれを事実上の政府として承認する旨声明し。大正10年1月27日連合国最高開議は其の法律上の承認を与え帝国政府は同年3月8日これを追認せり

六.「アゼルバイジャン」
   日本は大正9年2月6日大使会議に於いて松井大使をして事実上の政府として承認する旨声明せしめたり

七.「アルメニア」
   帝国政府は大正9年3月6日事実上の政府として承認せり

八.「アルバニア」
   帝国政府は大正11年4月18日同国政府を法律上の政府として承認せり

アジア人独立運動2

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/29 08:50 投稿番号: [4465 / 4475]
大正13年11月22日

       警視総監   太田正弘

内務大臣   若槻次郎   殿
外務大臣男爵   幣原喜重郎   殿
陸軍大臣   宇垣一成   殿

「クルバンガリエフ」歓迎晩餐会開催の件
         麹町区永楽町丸の内ホテル止宿
         南満鉄道株式会社調査嘱託
         露人ムハメッド・ガブドウルハイ・クルバンガリエフ

右に関しては本月四日付外秘第1197号既報の所其の後本人は藤子爵、渋沢子爵、田中大将、犬飼逓相、長瀬鳳輔、大川周明等を訪問し一面政教社同人又は亜細亜連盟協会員等と交通し白人の圧迫に対抗する為歐亜に於ける回教徒竝亜細亜民族の一致団結の必要を提唱し居れるが本人の為に政教社主催にて昨二十一日午後六時より丸の内中央亭に於て歓迎晩餐会開催せられたり席定まるや加藤峰男起きて歓迎の辞を述べ之に対し「クルバンガリエフ」は従来露領に於ける異民族の研究調査に従事し夙に「ペシキール」民族独立の為に連盟を創設し白人の圧迫より脱せんことを希望して来朝せる理由を述べ更に日露戦争後日本の一等国となりたるは我等「バシキール」民族の大いに力とする所にして亜細亜民族は此の際一致団結して東洋各国の興隆に努ると共に欧米の物質文明を避け東洋の精神的文明を建設して白人の侵略を妨ぐべしと述べ堀内中将之に対し賛成の意を述べ午後八時三十分散会せり
出席者   堀内中将、小泉又次郎、大竹貫一、長瀬鳳輔、押川方義、加藤峰男外32名なり

追って「クルバンガリエフ」は(支那に於ける回教徒に関して)と題する別紙パンフレット各関係者知人等に配布する由にて目下亜細亜連盟に於いて印刷中なり

アジア人独立運動1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/29 08:49 投稿番号: [4464 / 4475]
バシキール民族代表者

松平子爵閣下

拝啓   陳者1917年の露国革命後露国より分離独立運動中の露国在住マホメット民族即ちバシキール族、キリギス族、カザン韃靼族、ツルケスタン族、、アザルバイジャン族、クリミヤ韃靼族は今回の華府会議に対して多大の注意を払い居り然して早晩列国に依り独立を承認せられんことを期待し居り候
華府会議に出席し得ざる露国在住四千萬のアジア民族は黄色人種の保護者、人道の擁護者、人種平等の提唱者たる日本帝国派遣全権委員各位に対し最も大なる期待を有し居り候
日本全権委員は世界永久の平和、人種平等に隊する保証及虐げられし吾々アジア民族の独立に対して御盡力あらんことを切望致候
右の次第に御座候間今回の華府会議にご列席の際は前陳の事情を御留意有之若し前露国帝国に付き御討議有之候節は何卒吾人アジア民族の意中を列強諸委員に御開陳相成将来に於ける吾人の安全なる独立につき御盡力の程奉懇願候

追進   マホメット民族、諸共和国に関する地理的状態に付き別紙の通り御参考迄に略述致置候          敬具   署名

海外派兵と独立運動弾圧(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 21:00 投稿番号: [4463 / 4475]
当時の日本帝国に、植民地解放の志向が   あったのならば、
戦争を引き起こすよりも前に、国際社会に対し   敢然として
繰り返し   「植民地の解放・独立」を   訴えていたはずだ。
また、誰よりも率先して   自ら   植民地支配を解消しただろう。
民族主権を尊重するなら   他国への派兵を厳に慎んだはずだ。
しかし、日本帝国が   そのような行動とることは一切なかった。

靖国教団信者が   「解放戦争」   と賞賛する   太平洋戦争。
その戦争は、泥沼化した日中戦争の   延長上にあった。

ナチス・ドイツは、39年にポーランドに侵攻。翌40年6月には
フランスが降伏した。   この電撃的な侵攻は   世界を震撼させた。
当時、中国との戦争が   長期化・泥沼化していた日本は、
ドイツの   欧州での戦争を、日中戦争打開の好機   ととらえた。
対ドイツ戦争で弱っているイギリス、フランス、オランダが持つ
アジア太平洋の植民地を、武力行使により支配下におこうとした。

フランス降伏の翌月、日本は   大本営政府連絡会議で、アジアでの
武力行使方針を決定。   さらに「皇国の大東亜新秩序建設のための
生存圏について」   を決定。   「独伊との交渉において、皇国の
大東亜新秩序建設のための   生存圏として   考慮すべき範囲は、
日満支を   根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インド   及び
同太平洋島嶼、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、
ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等とす」   とした。

これらの方針のどこにも   植民地解放の理念は   示されていない。
日本は、ドイツと組んで   世界戦争に   参戦することで、
世界秩序を   一変させ、日中戦争の打開を   はかろうとしたのだ。
イギリス、フランスなどのアジアの植民地を『生存圏』としたのは、
その世界戦争のための   資源を獲得するために   ほかならなかった。

40年9月、日独伊三国同盟を結ぶのと   ほぼ同時に、日本軍は
フランス領北部インドシナに進駐。   41年7月の御前会議では、
さらなる「南方進出」   方針を打ち出し、「対英米戦を辞せず」と
決定(「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」)した。
続いて   フランス領南部インドシナへの   武力侵略を   開始した。
もちろん、そこに   「民族解放」   の目的など存在していなかった。

南方進出方針を承認した   昭和天皇でさえ、この手法について
「相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き所謂火事場泥棒式」
と語っていた   (『木戸幸一日記』)。  
天皇も「火事場泥棒」   のようだと評した   日本の南方進出に対し
国際社会が   石油の禁輸措置などの   制裁策をとったのは、
当然のことであった   と言えるだろう。

「大東亜戦争」   の最中、1943年5月の大本営政府連絡会議では、
占領した南方諸地域に対する方針「大東亜政略指導大綱」   を決定。
そこでは、東南アジアの扱いについて、「マライ、スマトラ、ジャワ、
ボルネオ、セレベスは   帝国領土と決定」   する   と明記されている。
その他の地域についても、「満州国」   並みの政府を   作らせ、
「独立」   の形をとるが、日本の支配権は   確保する   とした。

「帝国領土」と   傀儡政府づくりとの   この仕分けそのものは、
情勢の変動とともに変化するが、各地域に   どちらの支配形態を
割り当てようと、東南アジアを   日本の支配下に置く   という方針は
終始一貫していたのだ。
これが、靖国教団が流布する大本営発表=「アジア解放の聖戦」の
実相であり、隠しようのない   歴史の真実だ。  
 

海外派兵と独立運動弾圧(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 20:59 投稿番号: [4462 / 4475]
朝鮮では、その後も独立運動が続き、3・1運動から10年間に
「6・10万歳運動」や   「光州学生運動」   などが   起きた。
日本は、大量の警察官を   内地から半島に派遣し、1919年の
6,387人から   翌年には   20,134人へと急増させるなど
朝鮮全土に   軍や警察を配置し、独立運動の監視体制を強化した。

西大門刑務所には   数多くの独立運動家が収容され、処刑された。
朝鮮総督府警察は、日本内地の警察にはない   機関銃や野砲などの
重装備を保有し、準軍事組織的性格を   有していた。
植民地支配強化に血道をあげていた   軍国日本の   いったい何処に
「民族解放」・「独立推進」   の志向があった   と言うのだろうか。

そもそも   日本帝国が   どれほど熱心に   国際社会に対して
植民地の独立促進を   訴えていたというのか。
「植民地解放のための正義の戦争」   であったという宣伝文句を
臆面もなく   垂れ流すのならば、その事実を   提示すべきであるし、
自国の植民地を   最後まで解放しなかった理由を   明確にすべきだ。

内外の植民地解放運動を   武力によって   徹底的に弾圧した事実
のみならず、他国への派兵による   軍事行動の拡大という事実が、
当時の日本帝国には   民族主権の尊重や   植民地解放の志向など
まったくもって   存在していなかったことを   証明している。
他国の主権を尊重する意志が   少しでもあったならば、軍事力を
背景とした威嚇、挑発などは、厳に   慎むべきものだったはずだ。

靖国信徒などによると   日本軍の中国大陸への派兵、武力行使は
反日行動からの邦人居留民の保護   という口実も   あるらしいが、
そもそも   中国人民に反日機運を醸成し、さらに   軍事的緊張を
極限まで高める要因を作った責任は誰にあったかを考えるべきだ。
他国を不平等条約のもとで半植民地化に等しい状況に置きながら、
軍事的に挑発し、戦争に追い込んだのは誰かを考えてみるべきだ。

太平洋戦争の原因についても、米英などによる経済封鎖によって
日本が追い詰められた結果、自衛のため   やむなく起ち上がった
という口実が、靖国宣伝部によって   垂れ流されることがある。
その原因を作ったのも日本の軍事行動、他国への侵略行為であり
国際社会からの経済制裁を招いた責任は   自らにあったものだ。
戦争の原因を作った側が、「自衛」を口実にするのは、厚顔無恥だ。

海外派兵と独立運動弾圧(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 20:58 投稿番号: [4461 / 4475]
1919年に起きた   朝鮮民衆による   「3・1独立運動」   は、
中国の   学生や文化人たちにも、大きな影響を   与えた。
同年   5月4日、北京市内で   大学生たちが反日デモを実施した。
当初、5月7日の   国恥記念日を予定したが、日曜日のこの日に
変更した。   天安門広場には、約3,000人の学生が集まった。

プラカードには   「21か条を取り消せ」、「山東半島を返せ」、
「青島を返せ」   などと書かれていた。
日本は、ドイツ軍を破って   山東を占領したとき、中国や世界に
「山東は中国に返す」   と約束していたが、占領を継続したうえ、
パリで開かれた   第一次大戦の講和会議において   日本は
この山東半島の   領有権を要求し、列強に   認めさせていた。

もちろん、中国政府は   反発し、講和会議で   調印を拒否した。
中国の国民は   こうしたいきさつから、日本に対する   怒りを
募らせていたのだ。   学生たちは、市民に   ビラを配りながら
まず、日本公使館へ抗議しに行こうとしたが   警察に阻まれた。
逮捕者も出たが、多くの市民が   学生たちに   同調し、やがて
日本商品のボイコット運動など   排日運動が   続くことになる。

石橋湛山は、1921年7月21日付   『東洋経済』社説で
「一切を棄つるの覚悟」と題し、次のように   主張している。

   我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
   もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
   必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
   山東を棄てる、支那が我が国から受けつつありと考えうる
   一切の圧迫を棄てる。   また朝鮮に、台湾に   自由を許す。

   その結果はどうなるか。   英国にせよ、米国にせよ、非常の
   苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
   自由主義を採られては、世界における   その道徳的地位を
   保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
   一斉に   我が国に向かって   信頼の頭を下ぐるであろう。

武力による他国への圧迫を止め、自ら進んで   植民地支配を止める。
そうすれば、日本の道徳的権威が高まるのみならず、世界列強による
植民地政策さえも転換せざるを得なくなる――   石橋の主張は明快だ。
残念ながら   当時の日本は、石橋が言う「小欲」に   囚われ続けた。
満州や山東半島の権益を捨てず、朝鮮や台湾に自由を許さなかった。
そして、道徳的権威を   投げ捨て、自ら血なまぐさい戦争に走った。

結果、数多の命を失い、国土を焦土とし、惨敗するに至った。  
アジア諸国の解放・独立は、そうした「小欲」にとらわれた日本帝国の
敗北・崩壊によって   もたらされた   副産物にすぎない。

歴史的事実にてらせば、日本帝国に   民族独立・植民地解放の志向など
存在しなかったことは明白だ。日本軍が引き起こした戦争がきっかけで
植民地独立が   早まったとしても、それは   「結果論」   に過ぎない。
いまさら、植民地解放戦争だった   などと、虚言を吐くのは   恥知らずだ。

海外派兵と独立運動弾圧(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 20:57 投稿番号: [4460 / 4475]
1919年に朝鮮半島で起きた民衆運動   「3・1独立運動」では、
当初、日本軍は、ただちに市民集会やデモを   解散させようとした。
しかし、独立を叫ぶ民衆の声は   朝鮮全土に拡大する一方となった。
当時の原敬首相は   ことの重大性に驚愕し、ただちに   3月11日、
朝鮮総督に対して   至急報で   次のように   命令を出した。

   「今回の騒擾事件は、内外に対し   表面上には極めて軽微なる問題
   とみなすを必要とす。    しかれども、裏面においては、厳重なる
   処置をとり、将来再発なきよう期せられたし。ただし、その処置
   については、外国人の最も   注目する問題なるにより、いやしくも
   残酷苛察の批評を   招かざることに、十分注意されたし」

表面上では   朝鮮人民の独立運動を   「軽い問題」   として扱い、
その裏では   厳重に対処して   再発しないよう抑え込む。ただし、
対処の仕方は   外国から批判されないよう   十分に注意せよ――
日本政府が示した対応からは、朝鮮民族の主権尊重や植民地支配
から解放しようなどという志向は、一片も   見出すことはできない。

命令どおり、現地では「厳重な処置」がとられ、警察だけでなく
軍まで出動し、鎮圧で多数の死傷者、投獄者を出す事態となった。
一方、「内外に対し表面的には軽微なる」もの、つまり   一部の
「不逞鮮人が起こした暴動」   に過ぎない、との宣伝が流布され、
独立を求める大規模な民衆運動   という本質は、巧妙に隠された。

日本の国内世論は、3・1運動を「一部の暴動」とみなす論調が
圧倒的だったが、ごく一部には   運動に同情を寄せる識者もいた。
たとえば、大正デモクラシーの   主導者のひとり   吉野作造は、
『中央公論』などに   朝鮮総督府の失政を糾弾し、朝鮮の人々に
政治的自由を与え、同化政策を放棄せよ   との主張を   発表した。

また   孫文との交友で知られる   宮崎滔天は、朝鮮の独立運動を
「見上げたる行動」   と評価し、朝鮮の人々の自由と権利を尊重し、
独立を承認すべきである   と述べている。
このほか、石橋湛山なども   運動への理解を   表明している。
しかし、そうした主張は   少数派であり、黙殺・排斥された。

朝鮮民衆の独立運動は、日本軍の鎮圧により   押さえ込まれた。
しかし、日本政府は   朝鮮民衆の   抵抗の根強さと、ひそかに
海外に脱出した   朝鮮人が、日本軍の残虐な武力弾圧の数々を
世界に   公表したことによる   国際世論からの攻撃を   恐れて、
従来の   統治方針を   大きく   改めざるを得なくなった。

原内閣は、習慣を破り   陸軍出身に代えて   海軍関係者を
朝鮮総督に   任命し、憲兵警察に代わって   普通警察とし、
官吏や教員も   帯剣をやめた。   同時に、統治に有害でない
という条件つきで   『朝鮮日報』や   『東亜日報』などの
朝鮮文字の新聞の発行も   検閲付ながら認めることになった。
これは   3・1運動による、数少ない「成果」   だった。

海外派兵と独立運動弾圧(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/28 20:57 投稿番号: [4459 / 4475]
当時の日本帝国に、本当に「植民地解放」の志向が   あったなら、
世界に先駆けて   それを   率先、実行していたはずだ。   しかし、
現実は   逆であり、例えば   朝鮮では、自主権回復・独立を求め
運動が繰り返されたが、その都度   徹底した武力弾圧が行われた。
有名な例では、朝鮮全土で展開された「3・1独立運動」   がある。

第一次世界大戦後、脱・植民地化が   歴史の潮流として   広がり、
民族運動が   世界的な高まりを示すなかで、1919年3月1日、
ソウル、平壌、開城などの都市で『独立宣言』が読み上げられた。
公園に集まった学生たちが   「独立万歳」を唱和しながら   行進。
その隊列に   市民が合流して   たちまち数万の群衆デモとなった。

この独立運動は、3月中旬には   朝鮮の全土に   拡大していった。
参考として、ウィキペディアの解説を抜粋して   以下に引用する。
  【三・一運動】
   1919年3月1日に   日本統治時代の朝鮮で起こった運動。
   (中略)   中心となったのは   天道教やキリスト教、そして
   仏教の指導者たちである。   彼等は会合を重ね   大衆化・
   一元化・非暴力の   三原則を取り決めた。(中略)
   独立宣言は、以下の   一文から   始まっている。

   「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民
   である事を   宣言する。   これを以て   世界万邦に   告げ  
   人類平等の大義を克明にし、これを以て   子孫万代に告げ  
   民族自存の正当な権利を   永久に所有せしむるとする。」

   タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
   この宣言書は   何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
   朝鮮人民が   自由であることに重きを置いたものであり、
   そして   それは   「人類平等の大義」と   「民族自存」という
   原理に基づくものとして   捉えられている。   (中略)

   パゴダ公園には   数千人規模の学生が集まり、その後市内を
   デモ行進した。   道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に
   市民が参加し、数万人規模となったという。   (中略)
   朝鮮半島全体に広がり数ヶ月に渡って示威行動が展開された。  
   朝鮮総督府は警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。

以上、ウィキの解説から   引用したものだ。
独立運動は、日本の   徹底した武力弾圧によって   鎮圧されたが、
この運動の影響は   大きく、同年4月の   インドの非暴力運動や
同年5月に起きた   中国の   五・四運動などの   先駆けとなった。  
そして、支配国である   日本帝国自身にも   大きな衝撃を与えた。  

ただし、日本国内では、この独立運動は   詳しく報じられず、
朝鮮人に共感を寄せたのは、白樺派の柳宗悦ら少数にとどまった。
もとより   当時の日本に   植民地解放の意志などは   微塵もなく、
独立という朝鮮民族の悲願は、結局   日本の敗戦、皇軍の壊滅を
待たなければ、実現されなかった。

TV60周年記念ドラマ

投稿者: itumotanosimi 投稿日時: 2013/01/26 21:12 投稿番号: [4458 / 4475]
「メイドインジャパン」

円高、欧州債務危機、中国・韓国等新興国の追い上げ。
製造業が軒並み危機を迎える中、巨大電機メーカーが、「余命三か月」の倒産の危機に追い込まれた!
会社の命運を握るのは、営業、財務、工場の現場で先頭に立ってきた3人の男。

かつて世界中でテレビを売りまくった営業マンが、会長の特命でリーダーとなり、秘密裏に七人の「再建チーム」を結成。起死回生の倒産回避に奔走する。
だが彼らの前に、一人の日本人技術者が立ちはだかる。
男は営業マンの盟友だったが、会社をリストラされ壮絶な過去を経ていた。
今、男は己のリチウムイオン電池技術を武器に、自分を切り捨てた友へ宣戦布告する。
「技術は誰のものか」という争いの中、日中の巨大企業の激突が始まる・・・。
 

日本人にとって、会社とは、人とは何なのか?

「メイドインジャパン」は生き残ることができるのか?

―ドラマは戦後の日本を支えてきた物づくりの意義を問いつつ、逆境を乗り切ろうとする日本人の姿から、 「メイドインジャパン」とは何かを正面から見据え、描いていく。

植民地から開放された感謝の言葉4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:52 投稿番号: [4457 / 4475]
イギリスサッセックス大学教授
クリストファー・ソーン氏
「日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。」


中華民国総統
蒋 介石氏
「南京には大虐殺などありはしない。
欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとそのことを記録しているはずです。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」


アメリカ黒人運動指導者
デュボイス氏
「アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば戦争は起こらなかったはずだ。」


マレーシア首相
マハティール氏
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前の非人間的な支配と略奪をつづけた欧米の責任はどうなるのか。
我々アジア諸国は日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた。」


米国国際政治評論家
ラティモア氏
「日露戦争の勝利がアジア民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」


台湾実業家
許 文龍氏
「戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。
守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。
しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。
謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。」


元マレーシア外務大臣
シャフィー氏
「とくに私が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。
日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。
諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか。
日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。
そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。』」

植民地から開放された感謝の言葉3

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:51 投稿番号: [4456 / 4475]
インド
ラダ・ビノード・パール判事
「欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。
誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えられなければならない。」


フランス人ジャーナリスト
ベルナール・ミロー氏
「日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた。
彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られてしまったことの使命をとり出して見せつけてくれたのである。」


アメリカ軍硫黄島司令官
スプルアンス氏
「アメリカの青年たちよ。
東洋にはすばらしい国がある。
それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。
奮起しろ」


フィリピン
ディゾン画伯
「今から35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。
涙がとまらなかった。
こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。
同じアジア人としてこのような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを誇りに思っています。」


アメリカ太平洋艦隊司令長官
ニミッツ元帥
「この島(ぺリリュ―島)を訪れるもろもろの国の旅人達よ。
故郷に帰ったら伝えてくれよ。
この島を守るために日本軍人は全員玉砕して果てた。
その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!」

植民地から開放された感謝の言葉2

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:50 投稿番号: [4455 / 4475]
イギリス歴史学者
H・G・ウェルズ氏
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石を置いた。」


イギリス歴史学者
アーノルド・J・トインビー氏
「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
イギリス最新鋭の戦艦2隻が日本により撃沈された事は、特別なセンセーションを巻き起こす出来事だった。
それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではない事を決定的に示した。
この啓示がアジアの志気に及ぼした恒久的影響は、1967年のベトナムに明らかである。」


ビルマ元首相
バ・モウ氏
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
約50年前ビルマは三度に渡る対英戦争の結果、その独立を失った。
イギリス側はアジアに対する侵略的野望を以ってこれらの戦争を遂行した。
愛国者は挺身的精神を以って鎮圧する為、捕まったり殺されたりする事を恐れずに戦った。
これら英雄達はビルマ生き残りをかけて戦うが遂には負けてしまった。
ビルマ人は、アジアを一つにまとめアジアを救う指導者をずっと待ち望んでいたが、遂にその指導者なる大日本帝国が立ち上がってくれた。
ビルマ人が我が国に対する最大の貢献をしてくれた日本への感謝を永遠に忘れない事を希望する。」


韓国
朴 鉄柱氏
「大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
『戦争に勝った負けたは、戦争目的を達成したかどうかにより決まる』とは、クラウゼビッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ『聖なる戦争』であった。
二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、しかし彼らは『英霊』として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。」

植民地から開放された感謝の言葉1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:49 投稿番号: [4454 / 4475]
タイ王国元首相
ククリックド・プラモード氏
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のお陰であるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。」


インド元大統領
ラグ・クリシュナン氏
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどという事は想像も出来なかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって『東洋人でもやれる』という気持ちが起きた。」


インドネシア元首相
モハマッド・ナチール氏
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
本来なら私達インドネシア人が独立の為に戦うべき戦争だったと思います。
もしあの時、私達に軍事力があれば私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とはそういう戦いだったのです。」


インドネシア元情報宣伝相
ブン・トモ氏
「我々アジアやアフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、すべて失敗した。
インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍がアメリカ・イギリス・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗れた時、
『これからの独立は自力で遂行しなければならない。自力でやれば50年はかかるだろう』
と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取る事が出来た。」

Re: 『植民地解放戦争』論(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:32 投稿番号: [4453 / 4475]
その後9月15日より始まるアメリカ軍との死闘の末、「サクラ   サクラ」の電文(重要機密書類の廃棄後に全軍玉砕、の暗号)を日本本土へ打電した後、日本軍守備隊は玉砕しました。

戦闘が終わり島へ帰ったパラオ人達の目に映ったのは、この間まで一緒に過ごしていた日本兵達の遺体の山、そしてアメリカ兵達の遺体の山でした。

その時、島に帰った彼らは確かに見たのです。

「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。
我らはここに、征服民族の本性を見る。」

その後彼らは日本兵の遺体をすべて手厚く葬り、日本人達がいつ来てもいいようにと、その後も墓地の清掃を心掛けているといいます。


現在パラオ共和国で使用されている切手には日本軍戦闘機が描かれており、パラオ国旗は「水色地に黄色い丸」で、これは日本国旗である「日章旗」をモチーフにデザインしたもので、太陽(日の国である日本の意)に照らされた青い海の上の月をイメージし、中心に「丸」を持ってくると日章旗と同じになる事をおそれ多いとし、少し左にずらしてあります。

1990年代には、日本敗戦後にアメリカ軍により取り壊された「南洋神社」「ぺリリュー神社」がパラオ人の手によって再建され、パラオ本島とコロール島を結ぶ連絡船(戦後日本の資金援助により建造)の名前をパラオ人は「YAMATO」と命名しています。

当然これらは日本人が押し付けたものではなく、パラオ人自らが決定したものです。




日本は自国はもちろんアジアを守る為に必死に戦いましたが、遂には白人達に敗れてしまいました。

しかし、開戦当初の「大東亜共栄圏」の理念によるアジア解放の本当の意味での戦いには勝利を収めたのかもしれません。

日本人やアジア諸国の勇気の末、白人達はすべての植民地を失ってしまったのですから・・・・

Re: 『植民地解放戦争』論(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:31 投稿番号: [4452 / 4475]
パラオ共和国

パラオ共和国は南洋のマリアナ諸島にある、珊瑚礁が美しい小さな島国です。

ここもまた大東亜戦争時には激戦地となった場所です。


パラオは第一次世界大戦までドイツ領でしたが、ドイツが敗戦した後に国際連盟からの委任により、1914年(大正3年)から31年間日本統治下に置かれました。

日本統治となったパラオに対し、政府は農業を促進し、缶詰工場等を建設し雇用を促進、道路の舗装をはじめ電気や電話を通し、日本式教育方法等インフラ整備を積極的に行いパラオ人すべてに伝染病数種の予防接種を受けさせ、日本国民として対応しました。

パラオの人々は
「日本式の学校教育は厳しかったが、小学校1年生になると全員が掛け算の九九を暗記し、文字の読み書きが出来るようになった」
と当時を振り返ります。

パラオでは現在でも神輿(みこし)をみんなで担いで日本式の祭を行っており、昭和天皇即位六十周年記念祭や今上天皇即位二十周年記念祭を行っているほど、日本文化が根付いています。


大東亜戦争時の1944年(昭和19年)9月、ペリリュー島には日本軍守備隊が地下要塞を築き上げ、迫り来るアメリカ軍を待ち構えていました。

パラオ人は日本兵と共に生活し仲良くなり、日本の歌を教わり一緒に歌ったりして楽しく過ごしていました。

アメリカ軍との戦いを目前にパラオ人達は相談し、日本軍と共に戦う事を決意します。

そしてパラオ代表ら数名が日本軍守備隊指揮官・中川州男(なかがわ くにお)大佐にその事を申し出ます。

ところが中川はそれを聞くなり激高し
「我ら帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と叫びました。

日本人は仲間だと思っていたパラオ人達は裏切られた思いで、みな悔し涙を流しながらがっかりしました。

数日後、戦闘を前に避難のするため船に乗って島を離れる時がきましたが、日本兵は誰一人見送りに来ませんでした。

「やはり日本人は我々を見下していたのか・・・」

パラオの若者達は再び肩を落とし、悔しさと悲しみにくれて船を出発させました。

船が島を離れた瞬間日本兵全員が浜に走り寄り、共に歌った日本の歌を歌いながら手を振り彼らを見送りました。

なんとその先頭には、笑顔で手を振る中川の姿がありました。

その時彼らは初めて中川の気持ちを悟りました。

あの時の言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・

Re: 『植民地解放戦争』論(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:30 投稿番号: [4451 / 4475]
その後大東亜戦争に敗れた日本軍は、インドネシアから撤退する事となります。

そこへまた、オランダ・イギリスをはじめ白人達がインドネシアを取り戻そうと攻め込んで来ましたが、そこには日本に帰らなかった日本軍将兵達がいました。

なんと彼らはインドネシア人達に、
「我々は日本には帰らない。
我々にはこのインドネシアの独立を果たす義務と責任がある。」
と言い、残った弾薬をかき集めて自分達が軍事訓練をしたインドネシア人達に渡し、銃だけではなく日本刀や竹槍、毒矢等まで使ってインドネシア人と共に戦ったのです。

それを見たインドネシア人の群衆も「ムルデカ(インドネシア語で独立の意味)」を合言葉に勇気を振り絞り、共に白人達へ立ち向かったのです。

そして遂にその勇気に恐れをなしたオランダ・イギリス軍は、インドネシアから撤退を余儀なくされたのです。


こうしてインドネシア人と共に戦い、インドネシア独立を見届けた日本軍将兵達はその後日本へ帰った者もいましたが、生涯をインドネシアで過ごした人もいました。


そして現在でも、独立記念日のパレードでは日本の軍歌が誇らしげに歌われ、独立戦争で命を落とした日本人のお墓へみんな揃って花を供え、日本人に感謝の誠を捧げています。

ちなみに独立戦争で戦死した日本人の墓石は、インドネシア人の墓石より大きく、日本人の墓石に向かってインドネシア人戦死者の墓石が整列する形で並べられています。

Re: 『植民地解放戦争』論(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:29 投稿番号: [4450 / 4475]
インドネシア独立

インドネシアは350年以上もオランダの植民地になっており、その文明はかなり遅れたものでした。

彼らはインドネシア語の使用を禁じられており、オランダ語の使用を強いられていました。

また彼らはオランダ人の奴隷のような生活を強いられていました。

一説によれば彼らの平均寿命は35歳にまで低下し、文字を読み書きできる人はインドネシア全人口でわずか5%程だったと言われています。

そのインドネシアには、12世紀頃の国王ジョボヨヨによる一つの言い伝えがありました。

「今に北方より黄色い強者が白い布をまとい空から降り、圧政者を追放してくれるだろう」

その後日露戦争での日本の勝利を耳にしたインドネシア人達は、その黄色い強者が日本軍の事だと、にわか信じるようになっていきます。


そして30数年後、大東亜戦争開戦によりオランダ軍制圧のために空から降りて来たのは、白い落下傘に身をまとった黄色人種である、無数の日本軍兵士達でした。

日本軍空挺(落下傘)部隊を見た彼らは、
「これがまさに伝説の白い布をまとった黄色い救世主だ」
と思ったと言います。

インドネシアに降り立った日本軍は、わずか9日あまりでオランダ軍を追い払ってしまいました。

その後駐留した今村 均(いまむら ひとし)陸軍中将をはじめとする日本軍は、オランダ軍が降伏する直前に破壊した石油施設を復旧させると、オランダ統治時代の約半額で石油を販売して、それまで許されていなかった様々な物造りを教育し、一日でも早くインドネシア人が自立できる環境を作り、インドネシアの工業発展に貢献します。

また、道路を整備したり鉄道をひいたり、学校を設立し子供たちを教育したりインフラ整備に努めると共に、青年道場を設立しインドネシア人にオランダが禁止していた軍事訓練を施し、銃の使い方を教えペタ(祖国防衛義勇軍)を結成させ、それまでオランダ語を強要されてきた彼らにインドネシア語を使うよう命じました。

つまり彼らに、民族の誇りと自信を持つ事が独立への第一歩であると教育したのです。

こうして今村中将率いる日本軍のもとに軍事教育を受けた青年達は、後の独立戦争時に結成される軍事組織で中心的な役割を果たすことになります。


同時期に日本はインドネシア独立の方針を推し進め、インドネシア国旗の掲揚と国歌の斉唱を解禁し、独立準備委員会を発足させ、オランダにより流刑されていたスカルノやハッタ等の指導者を呼び戻し、インドネシア独立宣言をさせました。

Re: 『植民地解放戦争』論(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2013/01/26 10:28 投稿番号: [4449 / 4475]
インド国民軍退役軍人デロン中佐は、その後日本に手紙を出しています。

「日本はインドにとっては良い国だと思います。
日本はチャンドラ・ボーズと共にインド独立の為に戦ってくれました。
これははっきり言えます。
インドは日本軍の犠牲により独立する事が出来たのです。
もしあんなに犠牲者を出さず、又インド国民軍に協力しないでインドに進出した場合、インドの軍(イギリス軍インド部隊)は自分達の方針を変えなかったでしょう。
25万のインドの軍が方針を変え、チャンドラ・ボーズの軍となったことにより、イギリスから独立することが出来たのです。
私達は常に日本に対し感謝の気持ちを持っています。
最後にもう一度、ありがとうございました。」

インド最高裁弁護士P・N・Lekhiの手紙

「太陽の光がこの地上を照らす限り、月の光がこの大地を潤す限り、夜空に星が輝く限り、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。」

『植民地解放戦争』論(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/25 21:57 投稿番号: [4448 / 4475]
日本が突きつけた   21か条要求に対し、中国総統の   袁世凱が
「日本は、ヨーロッパ諸国が   戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを   絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。   特に第5号は   中国を朝鮮と同じように
扱うものである」   と強く非難したのは、当然だった。

日本は、あらかじめ   要求内容を   イギリス・ロシア・フランス・
アメリカに示し、その了解を   取りつけていたが、しかし   実は
第5号だけは   隠していた。   袁世凱は、この第5号を積極的に
宣伝し、これにより   列強が   介入してくれることを   期待した。
期待どおり、まず   イギリス政府が、日本に   問い合わせてきた。

アメリカも同様に   日本に   第5号の有無を   問い合わせてきた。
これに対し、日本政府は、これは「希望条項」で、他の条項とは
別であると言い訳をした。   イギリスは、日本が   一部の条項を
明らかにしなかったことに   遺憾を表し、アメリカも   第5号の
公示を要求し、その内容を   批判した。

一方、フランスや   ロシアは、明確な意思を   表明しなかった。
各国とも   ヨーロッパの大戦に忙しく、中国のことなどに構って
いられないという状況だった。   中国政府は、国内世論を背景に
激しく   抵抗したが、日本は、山東・漢口・満州等の   駐留軍を
大幅に増強し、軍事的圧力を加えながら   要求受け入れを迫った。

大隈内閣は   1915年5月4日に   閣議を開き、中国に対して
「最後通牒」を出すことを決定。一方で国際社会の反発を恐れて
第5号を削除することに決めた。   そして、7日に   最後通牒を
中国政府に突きつけた。   喉元に銃口を   押し付けたに   等しい。
武力を背景とした   日本の脅迫に、中国は   屈するほかなかった。

日本人顧問を採用する条項等は除かれたものの、日本は   要求の
大部分を認めさせた。   これを知った   中国の民衆は、この日を
「国恥記念日」とし、激しい反日感情を喚起する   契機となった。
各地で   排日運動が起こり、中国の民族主義運動が高まったのは、
あまりにも   当然のことだった。

その後の   満州事変、そして   盧溝橋事件に至る   一連の衝突は、
そもそも   こうした大陸への   派兵、武力行使、主権侵害により
他国の権益を狙った   日本の国策が   背景となっていたのであり、
少なくとも   中国軍によって   日本固有の領土が   侵略されたり、
国家の独立が脅かされるなどの危機が存在していたわけではない。

脱植民地化の潮流は、早くも19世紀にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には   ヨーロッパや   アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。   その歴史的潮流に   反抗し続けていたのが、
ほかならぬ日本帝国だった事実は、中国の半植民地化や武力侵攻、
朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも   明らかだと言える。

日本帝国が、いつから、「植民地の解放・独立」   を志向し、
国策とするように   なったのだろうか。
まったく   根拠が不明確であるばかりか、むしろ   事実として
日本が   他国に派兵し、他民族の主権を奪い、支配し続けたこと、
すでに   国際社会が、欧米列強による植民地獲得競争の時代から
脱植民地化に移行しつつあった状況などを   踏まえる必要がある。

この客観的事実に基づけば、日本帝国が「植民地解放」のために
戦争に突入する理由、根拠などは   まったく   成立しない。
過去の戦争が、植民地解放目的の   「聖戦」だった   というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは   単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な   侵略戦争を、到底   正当化できるものでは   ないのだ
と、オイラは   徒然と   想うんだけどね・・・

『植民地解放戦争』論(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/25 21:55 投稿番号: [4447 / 4475]
はやくも   19世紀から始まった   「脱植民地化」   の潮流は、
20世紀初頭には、国際関係の成熟と   民主主義の発展に伴い、
世界的規模で   拡大しつつあった。   当時すでに、他国の主権を
武力で侵害する行為は   厳に慎むべきものだった。
日本軍の行動は、武力によって他国の主権を侵害する行為であり、
国際社会からの   きびしい批判と制裁を   招くものとなった。

靖国教徒が   「植民地解放戦争」   と宣伝流布する太平洋戦争は、
長年にわたる   中国大陸での戦争が、泥沼化した   延長にあった。
大陸侵略は、まず   第一次大戦で   国際社会が混乱している最中、
1914年に   日本がドイツから青島を奪った時から露骨になる。

大戦の勃発を   「日本国運の発展に対する   大正新時代の天佑」
(元老井上馨)   と考えた日本政府は、日英同盟を   名目として
ドイツの租借地である   青島を攻略した。   その目的は、単なる
軍事目的   ではなく、大隈重信首相が   閣議で   言明したように
「わが国の支那における権利を伸張する」   こと、具体的には
ドイツが保有していた山東省の権益のすべてを奪うことにあった。

その後、日本軍は   中国との協定を無視し、青島外にまで進出し、
山東鉄道を手中に収めた。   中国民衆は、この日本の軍事行動に
強く反発し、中国政府は、日本に   軍を引き上げるよう求めた。
ところが、日本は軍を引くどころか、中国の主権を極端に狭めて
日本が大陸の利権を奪う内容の「21か条の要求」を突きつけた。

中国の人々に突きつけた要求は、大きく   5つに分けられていた。
第1号は   4か条あり、山東省のドイツ利権を   そっくり日本が
受け継ぐことを中国は承認せよ   という要求が中心になっていた。
第2号は   7か条あり、旅順・大連の租借期限と、満鉄安奉線の
期限を、99か年   延長することを認めろ   という要求だった。

また、吉長鉄道の管理運営を   99か年にわたり   日本に委任し、
日本人に   南満州   および東部内蒙古における   土地の賃借権と
鉱山採掘権を認めることを   要求し、さらには   同地方において
政治、経済、軍事の顧問・教官を要するときは   日本と協議する
ということなどを   要求する内容と   なっていた。

第3号は   2か条あり、漢陽の製鉄所、大治鉄山、炭鉱の経営を
日中共同とし、日本政府の合意なく   その運営・管理ができない
ようにすることなどを要求。   また、第4号では、中国沿岸の
港湾や島を   他国に貸すことを   禁じるものとしている。
まさに   国家主権を蔑ろにし、植民地扱いするものとなっていた。

第5号では、日本人を   中央政府の政治・財政・軍事の顧問とし、
重要な地方の警察を日中合同とするか、または中国警察に多数の
日本人警察官を雇うこと。さらに、中国軍の   兵器の半数以上を
日本から供給する、または日中合弁の兵器廠を設立し、日本から
技師や材料を供給することを義務づけることなどを要求していた。

そのうえ、南昌を中心とする   鉄道の敷設権を   日本のものとし、
福建省の鉄道・港湾に関して   外国からの資金を必要とする場合
まず日本と相談することなどを   義務づけるものだった。
インド独立運動の指導者だった   ネルーも、この要求内容を見て、
「あらゆる権利を、日本にわたすものだ。   これを   認めるなら、
中国は事実上の植民地となるだろう」   と述べて批判したほどだ。

『植民地解放戦争』論(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/25 21:54 投稿番号: [4446 / 4475]
戦前・戦中、思想弾圧に   威力を振るったのは   治安維持法だった。
公式の記録では   送検者75,681人、起訴5,162人   となっているが、
明治期制定の警察犯処罰令など   一連の治安法規も含めた逮捕者は
じつに   数十万人にも達したとされる。   また、記録には残されて
いないが、拷問・虐待による   多数の死者が出た   といわれている。

治安維持法は、日本国内の   反戦平和の主張を抹殺するだけでなく、
植民地独立運動の弾圧に   猛威をふるい、多くの人命を   うばった。
法適用の最初は   日本本土では1926年1月の京都学連事件だが、
朝鮮では   それより前年の   25年11月で、66人が検挙された。
治安維持法を使った弾圧は、朝鮮独立運動に対し、より苛酷だった。

それは、朝鮮半島でのみ同法違反による死刑が執行されたことにも
表れている。   また、日本本土では   28年から38年までの間に
同法違反で   無期懲役を言い渡された者は   わずか   1名だったが、
朝鮮では   39名に上った。   さらに、懲役15年以上の   刑では
本土が   7名であるのに対し、朝鮮では   48名となっている。

「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ   我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ
統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ   之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ
即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」

これは、新幹会鉄山支部設置に対する   治安維持法違反事件における
30年7月21日付、朝鮮総督府   高等法務院での判決だ。

つまり、植民地における   独立運動も   治安維持法違反と位置づけ、
死刑をもって   これに臨んだのだ。   このことだけを見ても、当時
日本帝国には、植民地解放や   民族主権の尊重   などという思考は、
一欠片も存在していなかった   という事実が   理解できるだろう。

当時の   膨張志向を顕著化させていた   日本の帝国主義に対して、
石橋湛山は、1921年7月21日付の   『東洋経済』   社説で
「一切を棄つるの覚悟」   と題し、次のように   批判している。

   我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。(中略)
   もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、
   必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、
   山東を棄てる、支那が   我が国から受けつつありと考えうる
   一切の圧迫を   棄てる。   また   朝鮮に、台湾に自由を許す。

   その結果はどうなるか。   英国にせよ、米国にせよ、非常の
   苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き
   自由主義を   採られては、世界における   その道徳的地位を
   保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は
   一斉に   我が国に向かって   信頼の頭を   下ぐるであろう。

   インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は
   一斉に   日本の   台湾・朝鮮に   自由を許した如く、
   我にもまた自由を許せと   騒ぎ起つだろう。   (以下、略)

大陸への侵略行為を中止し、朝鮮などの自由を認めて解放すれば
日本の国際的信頼が高まり、ひいては   列強の植民地支配体制を
根底から揺るがすことになる――   石橋の主張は   明快だ。
だが、残念ながら   当時の日本帝国は、「欲に囚われ」   続けた。
敗戦するまで   「一切を棄つるの覚悟」を   持てなかったのだ。

『植民地解放戦争』論(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/25 21:52 投稿番号: [4445 / 4475]
当時の   日本帝国に、本当に   植民地解放の志向が   あったならば、
戦争を起こすよりも以前に、脱植民地化の進展に   歩調を合わせて
国際社会に対し、繰り返し   植民地解放を   訴え続けていたはずだ。
そして、誰よりも   率先して   自らの植民地支配を解消すると共に、
諸民族の主権を尊重し、他国への軍事的干渉を   厳に慎んだはずだ。

しかし、実際に日本帝国が取り続けた政策は、植民地の独立運動を
武力で弾圧することや、海外への派兵継続、特に   近隣国に対する
兵力増派による   軍事的圧力の強化   という主権侵害行為だった。
たとえば   日中戦争の発端となった盧溝橋事件は、日本領内ではなく、
日中の国境地帯でもなく、中国の心臓部・北京近郊で   起きた。

事件勃発の   前年に、日本帝国は   支那駐屯軍を、1800人から
5800人へと   大幅に増強し、中国政府からの   抗議を無視して
増強部隊を、首都・北京の近郊にある豊台に   駐屯させた。
豊台は   北京の防衛の要であり、すでに   中国軍が守備していた。
対峙した両軍の距離は、わずか300メートルしかなかったという。

一国の首都の近郊に、他国の大軍が   強引に   居座っている状況は、
まさに   露骨な武力威嚇、無法な主権侵害以外の   何ものでもない。
戦争にならないほうが不思議だ   といえる状況を作りだしたうえに、
日本軍は、そこで   「演習」   を強行した。  
当時の陸軍参謀本部第一部長、石原莞爾も   次のように証言している。

「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変の直接動機に
なつたと思ひます」   (「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)

根本的な問題は、どちらが先に発砲したか   などということでない。
事件は、中国の首都、北京の近郊で   起きた。
日本軍が強行した   「演習」   の最中だった。
戦争に至る原因を作った側が「自衛」   を口実にするのは見苦しい。

事件後まもなく、現地で停戦協定が成立し、戦火拡大を防ぐ条件が
あったにもかかわらず、日本軍部は、ただちに   大軍派遣を決定し、
10万超もの大兵力を   中国に送り込み、戦火は   一気に拡大した。
背景には、中国を過小評価した   参謀本部の誤った認識があった。
軍は、南京攻略へと武力侵略を続け、日本政府も   これを追認した。

日本は   他国への派兵・武力侵攻の一方で、植民地支配を強化した。
朝鮮半島では、長年にわたって   民族独立運動が   続いていたが、
度重なる武力弾圧で   多数の死傷者や   投獄者を出す事態となった。
独立運動は、情報統制により日本国民には正確に伝えられなかった。
少数ながら   朝鮮の独立運動に   共感を寄せた人々も   存在したが、
例外なく   迫害の対象となった。

「植民地解放」   を主張する者は、特高に監視・逮捕されることを
覚悟しなければならなかった。
たとえば、朝鮮で   多くの独立運動家の弁護活動を無償で引き受け、
「日本のシンドラー」   とも呼ばれている布施辰治も、1911年
「朝鮮独立運動に敬意を表す」という一文だけで検察の取り調べを
受けている。   民藝運動で有名な   柳宗悦なども、総督府の弾圧を
批判して朝鮮独立を支持したため、特高に   監視されていたほどだ。

『植民地解放戦争』論(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/25 21:51 投稿番号: [4444 / 4475]
日本軍が起こした戦争は   『植民地解放のため』   であったとか、
『日本が起ちあがらなければ   アジア諸国は   独立できなかった』
という、ヤスクニ派が   宣伝流布する   戦争正当化論については、
特定の政治信条や   感情論に捕らわれず、当時の情勢を   踏まえ、
史実に基づいて   客観的に   検証する必要がある   と思う。

戦前の日本帝国が、本当に   諸国民の主権を尊重し、その独立を
希求していたのならば、他国領土への派兵は   慎んだはずであり、
そもそも   戦争に突き進む前に、国際社会に対し、植民地の解放を  
繰り返し   働きかけたはずだ。   また、自らの植民地支配を解消し、
率先して   世界の国々に   模範を示していたことだろう。

しかし、実際には   そうした事実は、なかった。  
むしろ日本は   海外派兵を常態化し、他国民の主権を侵し続けた。
そして   「植民地解放」   や   「海外派兵は中止せよ」   などと
主張する者は、例外なく   “危険思想”   の持ち主として、
監視・弾圧の   対象となり、国賊の汚名を被った。

当時の日本帝国に、民族主権の尊重や   植民地解放を目指す志向が
本当に   あったのか、また、多くの命を奪う戦争を起こした目的が
そうした崇高なものだったのか、そして、日本が戦争をしなければ、
植民地解放・独立は   ほんとうに実現できなかったのか――  
それは、20世紀前半の   国際情勢にも照らして   考察すべきだ。

まず、当時の   世界における   植民地政策の情勢に着目してみよう。
事実として、日本軍が   戦争を引き起こすよりも   はるか   以前に
脱植民地化(Decolonization)   の歴史的潮流は、顕在化していた。
それは、早くも   19世紀から、アメリカ大陸において   始まった。

1804年には、中米の   ハイチが   フランスからの独立を宣言し、
ヨーロッパ列強の支配から脱却した   最初の   非白人国家となった。
1808年、ポルトガル最大の植民地だった   ブラジルも独立する。
1811年には、ベネズエラの議会が   スペインからの独立を宣言。
1813年には、パラグアイも   スペインからの   独立を達成した。

1900年代の   初頭までに、アルゼンチン、チリ、コロンビア、
ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラ、エルサルバドル、
コスタリカ、メキシコ、エクアドル、ペルー、ボリビア、ドミニカ、
ウルグアイ、キューバなどが   次々と   独立を宣言した。
北米でも、カナダが独立に向けて   自治権・外交権を   獲得した。

そして   アジアや   ヨーロッパでも、モンゴル、アフガニスタン、
アイルランド、ネパールなどが   自治権または完全独立を獲得し、
イラクの国際連盟委任統治が解除され、イギリスは租借港威海を
中国に返還し、アメリカが   フィリピンの独立を   約束するなど、
脱植民地化の動きは、確実に   世界的な潮流と   なっていった。

日本帝国が   太平洋戦争に突入する   直前の時期だけに   限っても、
1931年から   41年までの   10年間には、ニュージーランド、
カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが   完全独立を   実現し、
フィリピンも   自由連合州となり、独立を確定的なものとしていた。
さらに、中東のレバノンなども   独立を宣言するに   至っていた。

事実上の臨戦態勢に入る?

投稿者: secandlife 投稿日時: 2013/01/25 10:07 投稿番号: [4443 / 4475]
クリントンの中国向け「日本への施政権への侵害警告」後、嘉手納基地へ空軍の実践配置として、F22ステルス戦闘機が導入された。
現在3機、合計12機の実践配置が行われる予定。

世界一の性能を誇るF35の導入も計画されている。

自由諸国と中国共産党の戦争への口火となる可能性を秘めた尖閣諸島問題。
日本より米国にとって、中国共産党への防波堤である日本に対する懸念は
日本自身より重大視した問題といえる。

Re: 元総理が南京虐殺を肯定してしまったよ

投稿者: hatoyamakokuou 投稿日時: 2013/01/24 22:24 投稿番号: [4441 / 4475]
激励ありがとうございます
そうです
皇居に住むのは私が一番ふさわしいのです
こくおうとして下民どもを奴隷として中国に輸出してあげましょう

トラストミー!!

Re: ★民主はなすりつけられた汚名を消さな

投稿者: weight80k 投稿日時: 2013/01/24 22:19 投稿番号: [4440 / 4475]
相当な馬鹿だなオマエ。
日本国を外人にくれてやると言えば外人は喜んで招待してくれるよ。小沢や鳩山みたいにな。外人には嫌われるのが国民のための政府なんだよ。

Re: 消費財の品質が2%下がるだけ。

投稿者: weight80k 投稿日時: 2013/01/24 21:09 投稿番号: [4439 / 4475]
地球を食い潰すアメリカ文化を好きにはなれないが米の取り得は日本国の存続を曲がりなりにも容認してくれる点だ。日本人の強さは貧困に耐える力だろう。貧しければ貧しいなりにハッピーな文化も育つ。レシピ本の主役もザリガニ、バッタ、玄米、コウリャン、稗、粟、麦、ジャンボタニシ、カエル、南極オキアミ、マトン、ブラックバス、アイガモ、越前クラゲ、モヤシ、ドングリに変わるだろう。
日本が1970年に世界第2位となった時のGNPは57兆円だった。今のGDPは500兆円。国富と国民生活はあまり関係ない。
今日のエリートは鳩山や小沢や孫みたいなもん。国民から尊敬される訳でもなく文化的影響力も無く人間として小粒すぎる。江副、堤義明、樫尾、牛尾の頃とは明らかに違う。若者のエリート志向が下がるのも当然だ。まあそれが安定社会と言うものだろう。

Re: 元総理が南京虐殺を肯定してしまったよ

投稿者: weight80k 投稿日時: 2013/01/24 20:31 投稿番号: [4438 / 4475]
そう。だから陛下には皇居に収まって頂くしかないのです。

今夜のクローズアップ現代

投稿者: itumotanosimi 投稿日時: 2013/01/24 19:31 投稿番号: [4437 / 4475]
No.3299

“夢の旅客機”に何が 〜B787   緊急着陸の波紋〜

※内多勝康キャスターがお送りします。(国谷キャスターは海外取材の為お休みです。)

主翼や胴体部分など機体の35%を日本企業が担うボーイング787。今、ドリームライナーとも呼ばれる“準国産機”の視界に暗雲が立ちこめている。2年前の初就航以来トラブルが続く中、今月16日、全日空機がバッテリーの異常で緊急着陸を余儀なくされたのだ。金属の代わりに炭素繊維の複合材を使い、装置の多くを電気で動かすなど、これまでと全く違った思想で開発された最新鋭機。国の運輸安全委員会だけでなくアメリカも調査団を派遣するなど原因究明を急いでいる。一方で、B787を足がかりに年60兆円超の市場規模を持つ世界の航空機産業で存在感を発揮したいと考えていた日本企業には大きな衝撃が走っている。番組では、夢の“準国産機”のトラブル多発の背景を検証するとともにアメリカ側の最新の動きも取材。緊急着陸が日本の航空機産業界へ投げかける波紋を追う。

出演者
鈴木 真二 さん(東大大学院工学系研究科教授)那須 隆博 (NHK社会部・記者)

Re: ★尖閣が係争地だと?山口君

投稿者: daithan_111 投稿日時: 2013/01/24 18:51 投稿番号: [4436 / 4475]
創価学会ってどんな脳みそ持ってんだい???????????

★尖閣が係争地だと日本政府が認めると

投稿者: kawashima0215 投稿日時: 2013/01/24 17:45 投稿番号: [4435 / 4475]
1.自衛隊は派遣できなくなり安保は適用されない。
憲法は紛争の解決を武力で行わないと謳っているので自衛隊は派遣できない。
アメリカの安全保障はもちろん適用されなくなる。
認めた段階で中国は自衛隊が出動しないとの前提で次の行動に移れる。


2.中国は軍隊を派遣することも無条件で出来る。
国連の敵国条項には第二次世界大戦中に「連合国の敵国」だった国が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は制止できないとされている。


紛争地と日本が認める事は、すなわち尖閣は日本国の領土ではなくとも良いと宣言した事になる。

尖閣の領有権に関し一歩たりとも譲ることは無いとの安倍総理の強い姿勢は日本国だけの問題ではなくベトナム、フィリピン等の領有権を争う周辺諸国にも心強いメッセージと成っている。


中国の覇権主義を押さえ切れなければ、国際法を遵守せずとも力有る国だけが世界を支配できる戦前と同じ暗黒の世界となる。


隣国が中国と朝鮮なのに今だ『 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』を拝む左巻きの奴らの気が知れない!!
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