『植民地解放戦争』論(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/25 21:57 投稿番号: [4448 / 4475]
日本が突きつけた
21か条要求に対し、中国総統の
袁世凱が
「日本は、ヨーロッパ諸国が 戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを 絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。 特に第5号は 中国を朝鮮と同じように
扱うものである」 と強く非難したのは、当然だった。
日本は、あらかじめ 要求内容を イギリス・ロシア・フランス・
アメリカに示し、その了解を 取りつけていたが、しかし 実は
第5号だけは 隠していた。 袁世凱は、この第5号を積極的に
宣伝し、これにより 列強が 介入してくれることを 期待した。
期待どおり、まず イギリス政府が、日本に 問い合わせてきた。
アメリカも同様に 日本に 第5号の有無を 問い合わせてきた。
これに対し、日本政府は、これは「希望条項」で、他の条項とは
別であると言い訳をした。 イギリスは、日本が 一部の条項を
明らかにしなかったことに 遺憾を表し、アメリカも 第5号の
公示を要求し、その内容を 批判した。
一方、フランスや ロシアは、明確な意思を 表明しなかった。
各国とも ヨーロッパの大戦に忙しく、中国のことなどに構って
いられないという状況だった。 中国政府は、国内世論を背景に
激しく 抵抗したが、日本は、山東・漢口・満州等の 駐留軍を
大幅に増強し、軍事的圧力を加えながら 要求受け入れを迫った。
大隈内閣は 1915年5月4日に 閣議を開き、中国に対して
「最後通牒」を出すことを決定。一方で国際社会の反発を恐れて
第5号を削除することに決めた。 そして、7日に 最後通牒を
中国政府に突きつけた。 喉元に銃口を 押し付けたに 等しい。
武力を背景とした 日本の脅迫に、中国は 屈するほかなかった。
日本人顧問を採用する条項等は除かれたものの、日本は 要求の
大部分を認めさせた。 これを知った 中国の民衆は、この日を
「国恥記念日」とし、激しい反日感情を喚起する 契機となった。
各地で 排日運動が起こり、中国の民族主義運動が高まったのは、
あまりにも 当然のことだった。
その後の 満州事変、そして 盧溝橋事件に至る 一連の衝突は、
そもそも こうした大陸への 派兵、武力行使、主権侵害により
他国の権益を狙った 日本の国策が 背景となっていたのであり、
少なくとも 中国軍によって 日本固有の領土が 侵略されたり、
国家の独立が脅かされるなどの危機が存在していたわけではない。
脱植民地化の潮流は、早くも19世紀にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には ヨーロッパや アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。 その歴史的潮流に 反抗し続けていたのが、
ほかならぬ日本帝国だった事実は、中国の半植民地化や武力侵攻、
朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも 明らかだと言える。
日本帝国が、いつから、「植民地の解放・独立」 を志向し、
国策とするように なったのだろうか。
まったく 根拠が不明確であるばかりか、むしろ 事実として
日本が 他国に派兵し、他民族の主権を奪い、支配し続けたこと、
すでに 国際社会が、欧米列強による植民地獲得競争の時代から
脱植民地化に移行しつつあった状況などを 踏まえる必要がある。
この客観的事実に基づけば、日本帝国が「植民地解放」のために
戦争に突入する理由、根拠などは まったく 成立しない。
過去の戦争が、植民地解放目的の 「聖戦」だった というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは 単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な 侵略戦争を、到底 正当化できるものでは ないのだ
と、オイラは 徒然と 想うんだけどね・・・
「日本は、ヨーロッパ諸国が 戦争で、東洋のことをかえりみる
いとまがないのを 絶好の機会にし、この要求をして、わが国を
制圧しようとしている。 特に第5号は 中国を朝鮮と同じように
扱うものである」 と強く非難したのは、当然だった。
日本は、あらかじめ 要求内容を イギリス・ロシア・フランス・
アメリカに示し、その了解を 取りつけていたが、しかし 実は
第5号だけは 隠していた。 袁世凱は、この第5号を積極的に
宣伝し、これにより 列強が 介入してくれることを 期待した。
期待どおり、まず イギリス政府が、日本に 問い合わせてきた。
アメリカも同様に 日本に 第5号の有無を 問い合わせてきた。
これに対し、日本政府は、これは「希望条項」で、他の条項とは
別であると言い訳をした。 イギリスは、日本が 一部の条項を
明らかにしなかったことに 遺憾を表し、アメリカも 第5号の
公示を要求し、その内容を 批判した。
一方、フランスや ロシアは、明確な意思を 表明しなかった。
各国とも ヨーロッパの大戦に忙しく、中国のことなどに構って
いられないという状況だった。 中国政府は、国内世論を背景に
激しく 抵抗したが、日本は、山東・漢口・満州等の 駐留軍を
大幅に増強し、軍事的圧力を加えながら 要求受け入れを迫った。
大隈内閣は 1915年5月4日に 閣議を開き、中国に対して
「最後通牒」を出すことを決定。一方で国際社会の反発を恐れて
第5号を削除することに決めた。 そして、7日に 最後通牒を
中国政府に突きつけた。 喉元に銃口を 押し付けたに 等しい。
武力を背景とした 日本の脅迫に、中国は 屈するほかなかった。
日本人顧問を採用する条項等は除かれたものの、日本は 要求の
大部分を認めさせた。 これを知った 中国の民衆は、この日を
「国恥記念日」とし、激しい反日感情を喚起する 契機となった。
各地で 排日運動が起こり、中国の民族主義運動が高まったのは、
あまりにも 当然のことだった。
その後の 満州事変、そして 盧溝橋事件に至る 一連の衝突は、
そもそも こうした大陸への 派兵、武力行使、主権侵害により
他国の権益を狙った 日本の国策が 背景となっていたのであり、
少なくとも 中国軍によって 日本固有の領土が 侵略されたり、
国家の独立が脅かされるなどの危機が存在していたわけではない。
脱植民地化の潮流は、早くも19世紀にアメリカ大陸に始まり、
20世紀初頭には ヨーロッパや アジア、オセアニアにまでも
拡大しつつあった。 その歴史的潮流に 反抗し続けていたのが、
ほかならぬ日本帝国だった事実は、中国の半植民地化や武力侵攻、
朝鮮の独立運動を弾圧し続けた経緯からも 明らかだと言える。
日本帝国が、いつから、「植民地の解放・独立」 を志向し、
国策とするように なったのだろうか。
まったく 根拠が不明確であるばかりか、むしろ 事実として
日本が 他国に派兵し、他民族の主権を奪い、支配し続けたこと、
すでに 国際社会が、欧米列強による植民地獲得競争の時代から
脱植民地化に移行しつつあった状況などを 踏まえる必要がある。
この客観的事実に基づけば、日本帝国が「植民地解放」のために
戦争に突入する理由、根拠などは まったく 成立しない。
過去の戦争が、植民地解放目的の 「聖戦」だった というのは、
見苦しい言い逃れ、あるいは 単なる結果論に過ぎず、不正義で
野蛮な 侵略戦争を、到底 正当化できるものでは ないのだ
と、オイラは 徒然と 想うんだけどね・・・
これは メッセージ 4447 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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