靖国参拝に関する記事(1)
投稿者: rykutukgi 投稿日時: 2001/08/18 02:23 投稿番号: [1550 / 28311]
さて、読売の朝日の靖国報道について追ってみました。結論からいうと小泉首相着任時からそのことばかりを追っていた朝日が情報量でも、読者扇動の文章力でも圧倒しています。
まず、14日社説。
・読売
「社説 靖国問題 前倒し参拝は適切な政治判断だ」
「中韓両国の反発や欧米の批判的な空気など、現下の厳しい国際情勢において、首相の言う「幅広い国益」を総合的に考えるならば、賢明な政治判断だったと言える。」
「政治問題化し混迷が深まる靖国問題を打破するためには、外国の元首も参拝できる、宗教色のない国立の追悼施設を設けることも検討に値する。福田官房長官は近く私的懇談会を設け具体的な議論に入る意向だ。二十一世紀にふさわしい追悼の在り方について知恵を絞るべきだ。」
まずは読売の腰抜けぶりを笑いたいと思います。なぜ、腰抜けか。それはこの社説に先立つ社説では小泉首相に予定通り15日の参拝を促していました。その社説はきわめて理路整然としたもので、参拝の意義を重要視したものではありませんでしたが、あえて変更中止することの必要性がないことを法律的な問題点、過去の事例等から理路整然と説く内容でした。反対派の人はどう思うかは別にして、この内容には妥当性がありました。そして、いざ14日にしたら「適切な判断」ですから腰抜けといわれても仕方がありません。また、政府の建設的な将来の代替案である「追悼施設」を弁護するあたりはマスコミとして好ましくない姿勢です。建設的な代替案を探すのではなく、読者を感情的に喜ばすネタを探してほしいと思います。
・朝日
「社説 首相靖国参拝 これが熟慮の結果か」
「熟慮とは、「よくよく考えること。十分に思いめぐらすこと」と広辞苑にある。小泉純一郎首相のいう熟慮を重ねた末の決断がこれだったのか。」
「首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある。」
「「戦争責任はだれにあると思うか」と先月の記者会見で尋ねられた首相は、質問に正面から答えなかった。「口」では過去の行為を謝りながら、なぜ責任には触れられないのか。首相の靖国参拝は、この国の政治指導者の、歴史認識をめぐる二重基準を印象づけもした。それでこの国が信用されると言えるだろうか。首相が答えなければならない問いは、まことに重い。」
読売に比べると朝日の社説は読者を熱くさせるすばらしい社説です。「熟慮とは」と広辞苑から単語を引いてきます。この広辞苑という権威ある書籍をキーワードとして文章に入れることによって、この文章の格調はいきなり高くなると、多くの権威主義的読者は勘違いします。ちなみにここで「熟慮とは、十分に思いめぐらすことだ。小泉純一郎首相のいう熟慮を重ねた末の決断がこれだったのか」としても意味は全く変わりません。必要はなくても文章を権威付けする、これは洗脳の中級テクニックです。この一文は、小泉首相は口だけで熟慮なんかしてないじゃないか、と見下すことができる文章であります。実際小泉首相は「この一週間つらかった」と感想をもらし、多くの人から意見を聞いて決断をしました。そのような過程を一行で否定し見下す手法は圧巻です。朝日にとって首相が熟慮したと評価されるのは、朝日の主張通り参拝を見送った場合のみに限られることは言うまでもありません。
憲法に「疑義」があるという表現も読者の正義感をくすぐる良い表現です。参拝問題については最高裁で合憲の判断を下された判例があるため、違憲とは言えません。「疑義」があると天下の大新聞が言えば、読者は首相の参拝が憲法違反だと勘違いすることができるでしょう。また、「記者会見で尋ねられた首相は、質問に正面から答えなかった」といかにも首相が回答から逃げているような文章です。しかし、この際記者がどのような状況で質問したのかよくわかりません。私の知る限り朝日の記者は、都庁の会見で石原知事に場違いの質問をして逆にあしらわれたり、森首相の時には質問のすべてではなく一部を切り出して趣旨歪曲をしたりと、非常に油断ならない記者との印象を受けています。国会質問でされた答弁に首相が答えなかったのなら問題ですが、記者の質問にすべて答えないことは問題と言えないと考えられます。しかし、書き逃げのできる新聞では首相に反論の機会を与えず、首相が卑怯に見えます。そして最後は首相に責任がある、首相が悪いんだという、気持ちのいい締めくくりです。読者も、読者に情報を提供する立場の朝日も正義の立場で首相の悪行を批判し、責任を追及して終わる頼もしいエンディングです。
まず、14日社説。
・読売
「社説 靖国問題 前倒し参拝は適切な政治判断だ」
「中韓両国の反発や欧米の批判的な空気など、現下の厳しい国際情勢において、首相の言う「幅広い国益」を総合的に考えるならば、賢明な政治判断だったと言える。」
「政治問題化し混迷が深まる靖国問題を打破するためには、外国の元首も参拝できる、宗教色のない国立の追悼施設を設けることも検討に値する。福田官房長官は近く私的懇談会を設け具体的な議論に入る意向だ。二十一世紀にふさわしい追悼の在り方について知恵を絞るべきだ。」
まずは読売の腰抜けぶりを笑いたいと思います。なぜ、腰抜けか。それはこの社説に先立つ社説では小泉首相に予定通り15日の参拝を促していました。その社説はきわめて理路整然としたもので、参拝の意義を重要視したものではありませんでしたが、あえて変更中止することの必要性がないことを法律的な問題点、過去の事例等から理路整然と説く内容でした。反対派の人はどう思うかは別にして、この内容には妥当性がありました。そして、いざ14日にしたら「適切な判断」ですから腰抜けといわれても仕方がありません。また、政府の建設的な将来の代替案である「追悼施設」を弁護するあたりはマスコミとして好ましくない姿勢です。建設的な代替案を探すのではなく、読者を感情的に喜ばすネタを探してほしいと思います。
・朝日
「社説 首相靖国参拝 これが熟慮の結果か」
「熟慮とは、「よくよく考えること。十分に思いめぐらすこと」と広辞苑にある。小泉純一郎首相のいう熟慮を重ねた末の決断がこれだったのか。」
「首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある。」
「「戦争責任はだれにあると思うか」と先月の記者会見で尋ねられた首相は、質問に正面から答えなかった。「口」では過去の行為を謝りながら、なぜ責任には触れられないのか。首相の靖国参拝は、この国の政治指導者の、歴史認識をめぐる二重基準を印象づけもした。それでこの国が信用されると言えるだろうか。首相が答えなければならない問いは、まことに重い。」
読売に比べると朝日の社説は読者を熱くさせるすばらしい社説です。「熟慮とは」と広辞苑から単語を引いてきます。この広辞苑という権威ある書籍をキーワードとして文章に入れることによって、この文章の格調はいきなり高くなると、多くの権威主義的読者は勘違いします。ちなみにここで「熟慮とは、十分に思いめぐらすことだ。小泉純一郎首相のいう熟慮を重ねた末の決断がこれだったのか」としても意味は全く変わりません。必要はなくても文章を権威付けする、これは洗脳の中級テクニックです。この一文は、小泉首相は口だけで熟慮なんかしてないじゃないか、と見下すことができる文章であります。実際小泉首相は「この一週間つらかった」と感想をもらし、多くの人から意見を聞いて決断をしました。そのような過程を一行で否定し見下す手法は圧巻です。朝日にとって首相が熟慮したと評価されるのは、朝日の主張通り参拝を見送った場合のみに限られることは言うまでもありません。
憲法に「疑義」があるという表現も読者の正義感をくすぐる良い表現です。参拝問題については最高裁で合憲の判断を下された判例があるため、違憲とは言えません。「疑義」があると天下の大新聞が言えば、読者は首相の参拝が憲法違反だと勘違いすることができるでしょう。また、「記者会見で尋ねられた首相は、質問に正面から答えなかった」といかにも首相が回答から逃げているような文章です。しかし、この際記者がどのような状況で質問したのかよくわかりません。私の知る限り朝日の記者は、都庁の会見で石原知事に場違いの質問をして逆にあしらわれたり、森首相の時には質問のすべてではなく一部を切り出して趣旨歪曲をしたりと、非常に油断ならない記者との印象を受けています。国会質問でされた答弁に首相が答えなかったのなら問題ですが、記者の質問にすべて答えないことは問題と言えないと考えられます。しかし、書き逃げのできる新聞では首相に反論の機会を与えず、首相が卑怯に見えます。そして最後は首相に責任がある、首相が悪いんだという、気持ちのいい締めくくりです。読者も、読者に情報を提供する立場の朝日も正義の立場で首相の悪行を批判し、責任を追及して終わる頼もしいエンディングです。
これは メッセージ 1 (gesogeso1032 さん)への返信です.