Re: 那智高雄さま、台湾東部の印象
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2008/03/31 01:28 投稿番号: [9208 / 10346]
unhoo様:
間違いは「外省人男性と本島人女性」です。外省人男性は台湾に赴任した
官吏と教員が多いですが、戦後すぐ赴任したのは、多くが独身であった。
蒋介石が連れてきたのは13-18歳くらいの少年、青年が多く、無学、
技術者でなくて婚姻相手の問題解決に軍事基地の山地への移転と引退者の
山地住民との婚姻を奨励した。是で山地の原住民女性が結婚すると、本省人
が与えられた特典受給が配偶者に拡大できた。親竹の山奥の戦車隊の家族、
南投県の(霧社でも同じ情勢)原住民女性の婚姻相手も外省人男性が多く、
東海岸地帯の原住民は昔(日本時代)は山地に暮らしたが、日本総督府は
治安の観点から集団移動させて平地に集落を作りくらしていた。原住民は
概して大人しく、日本語学習も真面目で、戦時中は志願兵が素晴らしい
戦果をあげたがなぜか総督府、軍部も原住民の雇用が気に入りでした。
多くの苦労した女性達も同年代の男性が少なくなり(志願兵で戦死や行方不明)、結局特典のある外省人男性がもてたそうだ。
霧社の校長になる寸前で終戦となった平山明先生(師範卒の本島人)の
息子は日本国籍で日本在住、娘さんも師範卒で外省人の教員と結婚する場合
家庭で母親の反対(母親は静岡出身の日本人)もあったが、時代の流れに乗って
外省人と幸福にくらしている。美空ひばりの歌の歌詞に「時の流れに身を
寄せてーーー」と有ります様に。ただ中台混血の若手の間にも台湾意識は
段々強くなりつつあるそうです。戦時中一度、戦後2回ほど東部を見た
感触では原住民独特の伝統芸術が消えつつあり、ただ商業ベースだけで
残っている様です。日本時代底辺で粛々と受け継がれた伝統藝術ですが、
中華の文化、藝術に押されたのか心底から伝統が消えつつあるのではないかと
思うのですが、どうなんでしょうか?
これは メッセージ 9205 (unhoo さん)への返信です.
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