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戒厳令時代

投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/15 06:33 投稿番号: [9166 / 10346]
>おもしろいですね〜戒厳令下だっていうのに、緊張感ゼロ〜
今、40代ぐらいの台湾の人の中には、当時を懐かしむ人もいて、不思議に思っていました。戒厳令下といっても極悪非道の国民党独裁政権というイメージではなくて、けっこうのんびりしていたんだなあと。国民党一党独裁時代は「治安もよくて、社会も安定していた」と言う40代ぐらいの方も多いんですよ。<
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上の文章は蒋政権残存勢力メディアの活動力ものすごさを示すものと言えよう。現在40代と言えば蒋政権末期は20歳前後、われわれの記憶では息づまるような恐怖時代だったが、蒋政権残余勢力の宣伝力は、現在40代の人たちに、あの時代を天国時代だったと思わせることに成功していたのか。

蒋政権時代は、台湾語も禁止され、小学生が学校でうっかり台湾語を話すと、いろいろな方法で侮辱的な処罰を受けた。子どもの自尊心を徹底的に傷つけるように、巧妙に工夫した処罰方法が用いられた。

テレビ劇やテレビ広告には、台湾語を話すおじさん、おばさんがばかなことをやっているところへ、北京語を話す人物が出現して、指導するという場面が頻発した。

北京語を国語として自慢しているが、北京語成立の由来は、じつにあほらしいのだ。北京宮殿の主となった満州族の皇帝、皇族の話す中国語には、ひどい訛り(発音、文法双方)があった。そのときに漢族の廷臣たちが正しい発音、文法を教えてやれば、皇帝、皇族は喜んで受け入れたにちがいないのだ。満州族は中国文化を尊敬し、崇拝していたからね。ところが廷臣たちは教える勇気がなくて、かえって訛りのひどい言葉を宮廷内の通用語にしてしまった。ついでその言語が北京官庁の用語、つまり北京官話になった。北京市民が官話を学んで、やがて日常用にした。

今の40代は、現在享楽している自由、人権が蒋政権時代にも存在していたと思っている。当時は若い女性が外国のファッション雑誌を見習った派手な服装で歩いていると、突然警察へ連行されて、侮辱的な説教を拝聴させられることもあった。警察になぜそんな権力があるかと言うと「奇装異服」を禁止するという法律があったからだ。

日本語の看板は禁止、公務員が役所で日本語を話すとクビになるおそれがあった。日本の本や雑誌は、たくさんのページがカットされた。一冊に1ページもカットがないと、検閲官が職務怠慢とされるから、毎号必ずカットか塗りつぶしがあった。あるとき文芸春秋に日本共産党を痛烈に批判した論文が一年以上連載された。日本語の読めない奴が検閲官になっていたので、そいつが毎号全文をカットさせた。日本語が読めたなら、その文を中国語に翻訳して台湾の雑誌に連載させただろうに。

李登輝氏は総統に昇格してから、すぐさま手をつけた仕事のひとつは、各地の牢獄に「反乱犯」という名称でぶち込まれていた人たちの調査であった。蒋政権は政治犯という言葉を禁止して「反乱犯」と言っていた。数ヵ月後調査が終わって、「反乱犯」が次々に釈放され、やがて李登輝氏は「もはや台湾には一人の政治犯もいない」と発表した。この日は何月何日だったか、わしは記録しておかなかったが、今後台湾光復節として、国家の重要記念日とすべき日である。

李登輝氏が総統になったとたんに、一切の外国の新聞、雑誌、書籍からページカットや塗りつぶしがなくなった。今日の40代は外国の新聞雑誌書籍が無傷な姿で台湾の本屋に並ぶのは当然だと思っているが、蒋政権時代はしょっちゅうページカットや塗りつぶしがあったのだ。

40代が現在あたりまえのように享受していて、事実は蒋政権時代には厳禁だった事物が、たくさんあるのだよ。
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