那智高雄さま、戦後のどさくさと国籍
投稿者: cafebangchhunhong 投稿日時: 2007/01/14 23:22 投稿番号: [8371 / 10346]
那智高雄さま
>戦後内地人で引揚げなかったのは山奥の原住民地域に住んでいた官憲、教師などの家族が多いです。奥地の家族に日本の引揚げ船の出港
郵便が届くには3−4週間かかりました。ついた時にはもう、船が出港
していたのです。
なるほど、そういう事情があって戦後、日本へ帰れなかった日本人の方も多いのですね。台湾に定着して台湾人としてすごしているのでしょうか。
>高等教育が差別があった(やむを得ない状況で)ので本島
人の優等生は内地にりゅうがくして差別を避けました。伊藤潔教授(故人)
などもそうです。母が本島人で父が日本人で日本留学して大学教授となった日本人であるが帰国ができなかった。残った日本人は隠れて住み、国籍は無しが多いが、後で中華の国籍を取った人もある。
伊藤教授は一昨年?に亡くなったと思いますが、この方はお父さんが日本人だったのですか!さまざまな事情で台湾に戻れなくなった日本と台湾のハーフの方も多いんですね。
植民地であったという台湾の歴史的状況から考えると、どちらの国籍なのか曖昧だったり、どちらの国籍をうまく使い分けて生きるようになった人がいても不思議はないと思います。
ある意味では、そのようなどさくさで、日本に台湾の血統を持つ人々が流れていき、日本社会の活性化に役立ったのかもしれません。在日韓国人については戦後賠償の問題ばかりがとりあげられますが、日本に移住した背景はどうであれ、日本に韓国の血統が根付いていったということは、非常におもしろい現象だと思います。
台湾にしても日本人の血を受けついだ若い世代の人たちが少なくありません。日台の平和な交流にプラスの効果があることを祈ります。
これは メッセージ 8367 (houzantakao1946 さん)への返信です.
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