Re: Re昭和10年代の台湾人と日本人(4)
投稿者: taiwanboom 投稿日時: 2005/12/21 17:06 投稿番号: [7580 / 10346]
cafe様
<メイド>
日本人の家庭では、10歳代の台湾人の若い女性を雇っていた。
彼女らは「ねーや」と呼ばれ、日本人の家庭の間で日本語が上手な
「ねーや」を自慢していた。
台南の清水町(現青年路)の官舎で、隣の家の「ねーや」は22、3歳の
なかなかの美人で、きれいな日本語を話し、ほとんどの人が日本人の女中
さんと思っていた。
雇い主も彼女に「梅子」と日本名をつけて「おうめさん」と呼んで、
自慢していた。
「ねーや」は出入りの商人の世話で雇うことが多かった。
服装は、洋服のこともあるが、支那服を着ているものも少なくなかった。
支那服のボタンは、紐を丸めたもので、襟は立ち襟だったと記憶している。
半パンツに上着のツーピースだった。ワンピースはなかった。
仕事がしにくいからだろう。
給金は月に2〜3円だったか…。大卒初任給は70円ていどだった。
彼女に直接払うより、両親か仲介人(出入り商人)に払っていたようだ。
私の家では彼女と一緒に食事をした記憶はない。内地に帰っても女中さんが
家族と同じ食卓についたことはなかった。当時はこれが当たり前だった。
私の家では「ねーや」は通いだった。他の家庭では住み込みもあったが…。
私が台南で小4のときの「ねーや」は、綺麗な日本語を話していた。
なかなか上手なので、私たち姉弟と会話が弾み、口喧嘩になることがあった。
そのとき母が、彼女だけをし叱った記憶はない。
差別ではなく、母の無関心の結果かもしれない。
メイドのほかに「洗濯ばあさん」がきていた。
毎日午前中にやってきて、たくさんの洗濯物を盥と洗い板で、
ごしごし洗っていた。
中年の女性で、黒い朱子織の支那服を着ていた。長い髪をまとめて後頭部に
ひっつめていた。白髪が混じっていた記憶がある。
洗濯盥の前に座っている彼女のお尻は、服がはちきれんばかりになっていた。
纏足をしていて、ビンロウを噛んでいて、口の中が真っ赤になっていた。
彼女と話したことはまったくなかった。
これは メッセージ 7578 (taiwanboom さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/bfoqbfma4hkdc5a4a4g8rnae_1/7580.html