台湾を語る〜〜〜

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Re: 台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報

投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/09/16 02:34 投稿番号: [81 / 825]
>夜中に赤いジープが門前に止まり、地元の警官の尋問と拉致されてジープではしりさりました。
_______________

戦前台湾人でただ一人アメリカの哲学博士を取った林茂生氏も同じようにして拉致されて二度とこの世に戻ってこなかった。

林茂生氏の経歴を見ると中学時代から秀才で台湾総督府の奨学金をたびたび受けている。たしか東京帝国大学の文学部を卒業したが、それも総督府の奨学金による。アメリカ留学も総督府の奨学金によった。彼は素直に日本人の好意に感謝すればよかったが、自分が日本人に統治されている台湾人であるという「楚囚の嘆き」を捨てなかった。自らを楚囚に擬することによって陶酔していたのではなかろうか。

支那事変が始まると彼は蒋介石に激励の手紙を送った。日本が敗戦し、陳儀という軍閥が蒋介石から派遣されて台湾接収に来た。林茂生は台湾接収祝いの會で日本の統治を地獄の世のように罵った。

間もなく台湾各地の倉庫に蓄えられていた米と砂糖が高雄、基隆からどんどん船に積まれて支那大陸へ送られ、台湾は米不足で物価が上昇に上昇を続けた。この有様を見た林茂生は楚囚の陶酔から醒めて、初めて世の中の現実を正視した。彼は戦後に彼が興した新聞に、陳儀政府が台湾の物資を奪取していることへの警告を書いた。その結果はこの投稿の初めの部分に書いたとおりで、ある晩彼は拉致されて、二度とこの世に戻ってこなかった。

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: ttoottaakk 投稿日時: 2010/09/15 19:41 投稿番号: [80 / 825]
こんばんは

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: ttoottaakk 投稿日時: 2010/09/15 19:41 投稿番号: [79 / 825]
こんばんは

Re: 台湾を語る〜〜〜

投稿者: ttoottaakk 投稿日時: 2010/09/15 19:40 投稿番号: [78 / 825]
こんばんは

Re: 台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/10 20:53 投稿番号: [77 / 825]
肝に銘じて、覚えます。公で会う機会があれば、よいですかと、望んでいます。

Re: 台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/09 17:39 投稿番号: [76 / 825]
natunokaze 001様:
英語が達者で闘志も十分、財政は安心、健康も優れて政治場面で

動ける立派な人材ですよ。米国では返って女性の方が活躍しやすい

らしい。台湾に居れば祭英文女史と同じ位の活躍はするでしょう。

母親が一緒に暮らしています。記憶しておいてください、優秀な

人物です。

Re: 台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/08 23:29 投稿番号: [75 / 825]
その娘さんも、65ぐらいになりましたでしょう?政治家でしたら、活躍盛りの歳ですが。

Re: 台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/08 02:14 投稿番号: [74 / 825]
natunokaze001様:
郭先生の奥様から無事出産した女の子は医者として引退したが、間もなく

ワシントンD.C.と台湾地位決定派との外交で姿を見せるでしょう。

台湾の帰属はまだ未定であります。強いていえば米国の領有権が受けられて

います。之を再度法律で確かめたく連邦、巡回、最高裁判所でグループが

戦いました。幾多の法律家が奉仕で参与しました。結果は米国国務省

との連絡チャンネルが成立できたのです。ここに郭先生の娘さんが

活躍するでしょう。筋金入りの女性です。美人のお母さんによると、結婚

時代では東京の日吉台の生活が一番楽しかったそうです。慶応大学の

キャンパスの周辺でした。

Re: 台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/08 00:04 投稿番号: [73 / 825]
当時、同じ手法で消えた台湾人は少なくないですよ。

これも、どうして、その後、台湾をずっと統治できた理由の一つでした。

台湾社会から、精英が消えたのだから〜〜〜

台湾帰国組の専門職を狙い撃ちした諜報部

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/06 05:05 投稿番号: [72 / 825]
夏の風001様:戦後日本留学から台湾へ帰国して自分も台湾を助けてみようと渡ったインテリは大体専門職にすわりました。慶応医学部をでて、鈴木梅太郎博士の病状を診察して尽力した宜蘭出身の郭博士も宜蘭州の病院副院長をしていました。香港で発足した台湾独立運動要人に最近台湾から訪問した台湾人が宜蘭からいると突き止めた国民党諜報部は海外旅行が出来る人物が数人しかいないので、郭先生が疑義を挟まれて、夜中に赤いジープが門前に止まり、地元の警官の尋問と拉致されてジープではしりさりました。
結婚を日本でやった奥様のおなかに娘さんが宿っていたのです。奥様が寒いのでオーバーを掛けてあげるとすぐ引っ張られて、闇の中に消えるまで僅か
数分でありました。その後全然痕跡を残さずに行方不明であります。穴を掘った農民の話によると、射殺して死体を放り込んだ挙句、穴を掘った農民も
同時に殺して埋めたそうです。無事娘さんは生まれて成人し、慶応の同窓生の奨学資金で高雄医学院を卒業して米国で医者として活躍、引退しましたが、父上への仕打ちには抑え難き怨念を持っています。1947年の3月下旬の出来事でありました。戦時中、郭博士は鈴木梅太郎介護の労苦に対して
今上天皇から金一封を授与されています。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/04 23:03 投稿番号: [71 / 825]
228と、それから続く白色恐怖〔戒厳令を施して、夜中に逮捕〕の理由で、内地帰来のものは、ほとんど専門職に勤めました。
政治舞台に動き出したのは、ダイブ、あとのことでした。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/04 00:59 投稿番号: [70 / 825]
natunoakze001様:
半分「唐山人化』している半山人が無理に背広着て鳥松の郡官舎に接収に
やってきたのが威張っていました。特に台湾語、大陸語を話して、土足のまま上ってきたのです。高雄中学の先輩が注意しました。家財や衣類、靴類、本、貴重品などを住民に投げていました。先輩は半山人に台湾語で話す様に
依頼しました。貴重品の中から祖父の形見の銀時計を見つけてポケットに
かくしました。高中の猛者で喧嘩がめっぽう強い先輩は遠慮なく反対したり
していました。細目ごとに加算したのではなくて、全くいい加減な憶測で散財の合計を出して領収書だと、日本に持参すれば政府が弁償するとか出鱈目な言いがかりでサインして父にわたしました。父は本人の前で破り捨てました。しょうがっこうを卒業した半唐山人のインテリ(?)でありました。先輩によると台湾人の屑だともうし、小学校しか出ていないだろうと呟いていました。戦後20年間も威張れた台湾だったのですね。専門職(弁護士、医者、技術者ーーーー)は内地から帰国した海ロぎんなが独占したのですね。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/03 23:13 投稿番号: [69 / 825]
山人とは大陸から来た人のことです。台湾人は自分を「海口ぎんんな」〔子〕
と自称しています。

半山人とは、半分が唐山化している意味です。

半山人は、蒋介石在任中が、一番威張ってた時期でした。李閣下が上任、なされてからは、声も出なくなり、ついに一人一人、姿を消してしまいました。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/03 03:43 投稿番号: [68 / 825]
natunokaze001様:
清国の統治時代に大陸人を「唐山人』と呼んだのですね。大体の意味がわかりますが、一寸明白に理解できません。終戦後、大陸から台湾出身者が帰国
(?)してきたのを「半山人}と呼びました。「山人」は大陸か台湾を意味
したのですかね。どっちでしたかね?「半山人」は威張っていまして、台湾人を同胞なのに、卑下した機運が存在しました。この井戸の蛙は台湾で観光に来て威張り、日本にきて威張り卑下します。自分の文化の低さを知らない
のか哀れな人種であります。空威張りだけであります。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/02 22:34 投稿番号: [67 / 825]
大陸と台湾が仲良くした時代はなかったです。だから、台湾人が自分は中国人だと、思ったことはないです。日本に割拠する前からです。
それも、どうして日本を素直に受け入れた理由です。

清の時代、台湾人は大陸人を「唐山人」と呼んで、本地人との区別に使っていました。

かえって、日本が来ると、日本人を「内地人」と呼んでいました。

どっちに心を向いているか、一目瞭然です。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/02 02:20 投稿番号: [66 / 825]
natunokaze001様:
3通解放以来中国に門を開いた台湾経済はどうですか?馬氏が申した

台湾10年の極楽園を創出するからとFCFAを理解して欲しいともうしていました。
中国沿岸部から裕福な観光団が来て台湾製品をあさっていますね。しかし、

台湾で買うメリットが少なくなる時期がくるでしょう。台湾の値段が高く、香港

あたりで十分買えるでしょう。経済政策がうまく運ばない馬氏は当面の選挙

宣伝用にこの条約を結んで、賭けにでました。仮に効果がでてもすぐとは

期待できません。観光団が増えたが一向に儲かってこないという場面になる

かもしれません。それよりも気になるのは俺達が来てお前達の品物を買って

やるから(経済がよくなるのだ)という思い上がりの浅いうぬぼれですね。

こんな輩に限って相手の文化、文明、習慣、芸術を理解しようとせずに、何

でも物とお金だけで解決できると誤解するれんちゅうです。明(漢人)も

清(北方人)も台湾に投資せずに、化外の世界と放置、破棄したのです。

今でもそんな気分で観光に来る威張る連中もあるでしょう。台中の歴史をみると
うまく仲良く極楽園が生まれた時代はなかったですね。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/01 22:10 投稿番号: [65 / 825]
FTAが結べないのは、考えられる理由が二つ。
一つは、大陸が影で反対していたので、、、、
又の一つは、馬政権が表でやって、うまくいかない場合、その反射力が怖いので、それを進める力が出てこない。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/09/01 01:54 投稿番号: [64 / 825]
夏の風001様:
馬総統はFTAを世界と結びたいのだが、進捗しませんでした。中南米の5ヶ国

だけ締結しています。台湾製品の魅力に欠けるのか中国の邪魔にあったのか、
民進党s蔡英文女史から蘇貞昌氏、黄昭堂(独聯)氏とかが最近しきりに李登



前総統の宅に出入りが頻繁だそうです。FTAが結べない台湾経済はやや孤立無援
と遅れを取っているそうです。之も中国の経済封鎖を食らっている様なものです。
FTAを嫌って中国は台湾に品目枠組み別の締結という楔を打ち込んだものです。
この提携は決して台湾住民に有利に進まないと危惧しています。アジアでは

FCFAを結んだ国はありません。二カ国間のFTA締結が自由でいいですね。数カ

国のFTA区域との締結もいいのですが、国各々に加味するべき規約もあるでしょう。
台湾が何故多くの国とFTAが結べないのか、その理由は何処にあるのか不思議

です。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/09/01 00:42 投稿番号: [63 / 825]
最恵国待遇とおなじです。でもこの特典の製品目が無くなったときは、魅力がうせますね。すべて変更をする時は相手の事前許可が必要になっています。台湾の交易の自由が無くなっています。考える協定ですね。<<<

仮に、民進党が政権を握った時でも、台湾人民に有利であれば、民進党とて、談判で、それを延長することも考えられます。

要は、何が台湾人民に一番有利であることですね。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/31 03:11 投稿番号: [62 / 825]
natunokaze001様:
李前総統が居なければ恐らく1980年には、台湾は中国の行政下に
入ったでしょう。FCFAもたいわんけいざいを中国経済圏の中に入れた大きな
要因ですね。幾ら中国が繁栄していても枠組み貿易に縛られるデメリットの
大きさは、メリットよりも大きな損失でしょう。途中で方向転換は簡単ではありません。
初期は特に台湾製品の中国輸出に掛かる関税がゼロに近いから特典が大きいです。しかも台湾製品の輸出品目の数が中国の倍もありますから輸出には
最恵国待遇とおなじです。でもこの特典の製品目が無くなったときは、魅力がうせますね。すべて変更をする時は相手の事前許可が必要になっています。台湾の交易の自由が無くなっています。考える協定ですね。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/31 00:05 投稿番号: [61 / 825]
台湾の憲法は李登輝閣下の手で、何度も修正なされたのが、大きな恵みで、それが、台湾の憲法に多くの新しい命を注いだということになります。

大陸から持ってきた奴をずっと今でも使っていたら、台湾は、すでに死んでいるのでしょう。

だから、私はいつまでも、李登輝閣下に感謝の念を忘れたことがありません。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/30 02:20 投稿番号: [60 / 825]
natunokaze001様:
今で首相、総統、大統領を間接に選ぶ国は少数です。台湾、比島、ソ連、

米国、ベトナム、インド、タイ、インドネシヤ、マレー、シンガポール、

は直接選挙ですね。韓国はどうですかね?北朝鮮と中国は別体制です。

日本の政局ですが今回も民主党代表と首相を同時に直接選挙で選ぶべきですね。
民意に反した代表、首相を選ぶのはアジアでも珍しい結果になりそうです。

古い憲法は修正するべきですね。もう世界で誰も日本を信用してくれない

地位におちつつあるのですが。台湾も憲法修正を何回も(10−20)も

しましたね。勇気ある台湾人ですね。

Re: 台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/29 21:56 投稿番号: [59 / 825]
馬は与党だから、仕方がないですね。

しかし、二年後に総統選挙があります。そこに機会が埋もれているのかも?

台湾と中国とのFCFA締結先の末路

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/29 02:25 投稿番号: [58 / 825]
国民党が立法院の選挙で辛勝シ、総統選で馬が大勝してから、台湾は3通(通商、通航、通郵)を進めて中国化に邁進しています。制限つきの解放
政策で会った李登輝、陳水篇総統時代とは大違いである。これで十分では無いと馬は今回重慶でFCFA(経済協力枠組協定)を中国と交渉開始半年で調印にこぎつけた脱兎の様な進め方に何がかくされているのかな?台湾の市街
には中国観光団が溢れているとききますが、はたして多額の元が落ちているのでしょうか?締結後の1−2年は台湾が有利な条約であります。枠組商品
の無税化が進み枠組商品の無税化が終わった時は、台湾の条約の妙味がおわります。その時、中国の大きな役得(大きすぎる)が動き出します。

Re: 東條氏の自殺

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/28 23:54 投稿番号: [57 / 825]
あがれ。

Re: 東條氏の自殺

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/24 13:42 投稿番号: [56 / 825]
unhoo様:
日本よりは敵が』天晴れ』という精神はありますね。41年同じ仕事場で

スポーツ鑑賞でどこかの国の様におかしな物を投げたり、殴り合いは

みた事がありません。戦争でも捕虜となったら人権破りは余りありません。

相手のチームがFine Playをすると立って拍手する気持ちがあります。

彼らは国として観戦するのではなくて、個人の競技としてみている様です。

戦後今井均一インドネシヤ、ニューギニア方面司令官は南洋の現地で服役した

後、残りの刑期を日本で服するために帰国しました。10年後です。帰国し

た今井司令官はまだ現地で服役中の部下が居るのに、どうして私がのうのう

と帰国しておられるかと南方の刑務所に再度帰る要請をしました。そして、

5年服役して昭和36年に帰り静かな隠遁生活をしました。再度南方に帰る

今井中将をマッカーサーはまだ大和魂の日本侍が居るのだなーと感心したそう
です。マッカーサーは刑期をすぐ短縮したそうです。両者とも立派な行動

であると思った次第です。

Re: 東條氏の自殺

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/21 04:03 投稿番号: [55 / 825]
unhoo様:
連合軍側にとっては東條は何よりも大事な戦犯とする意思がつよかったでしょう。
ぺ二シリンの注射ですぐ対処したのはGHQの命令ですね。胸をうったのですかね。
傷口が狙いが外れたわき腹に出来ました。次に打とうとしたがもう力足らずで
あったのでしょう。「日本人はこんなに浅い愛国心であったのか、心外で

会った」ともうしました。其処には国の為に倒れた国民、部下などへの

陳謝はありませんでした。おおきな国民との相違が存在していたのですね。

Re: 東條氏の自殺

投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/08/20 11:27 投稿番号: [54 / 825]
屏東高雄さん

銃で撃たれたり、刀で斬られたりすると、傷と同時に化膿菌感染が起こります。昔は感染を治す方法がなかったので、大村益次郎などは暗殺者に斬られたのち、感染が治らずに数ヵ月後に死亡しました。

東條英機大将はアメリカ人がすぐ引き取ってペニシリンを注射したので、感染が起こらずに傷がなおりました。ペニシリン注射をしたことは、当時の新聞に報道されました。

本間雅晴中将は開戦当時に善戦したので、アメリカ人にとっては復讐しなければならない敵将です。よってバターンの死の行進という事件をでっちあげて、復讐殺害をおこなったが、さすがの復讐鬼どもも、恥辱感に抗しきれず、絞殺を避けて銃殺にしました。

アメリカ人には敵ながらあっぱれという観念はありません。戦った敵には必ず復讐するのが、アメリカ建国以来の国是です。

Re: 東條氏の自殺

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/20 02:56 投稿番号: [52 / 825]
unhoo様:
土壌の青カビから培養したペニシリンが東條の何の病気に効いたのですか。

当時彼は病気と知りませんでした。ピストル銃弾の傷口が感染症でも

起こしたのですか。裁判中はかなり平静でありましたね。後ろに坐って

居る国粋思考派の大川周明に後ろから頭を叩かれた事件がありました。

マレー半島掃討戦の指揮を取った牟田口廉一、本間雅春、山下奉文などは

全部勝利時期の司令官で猪突猛進型の人物でした。軍人としては本間中将

が政治抜きの本格派軍人でありました。この人は中将の正規の軍装で銃殺

刑に処された(軍人の本懐であった当時)が牟田口が敵前逃亡にも関わらずに
陸大校長となり、戦後引退できました。山下中将は正式の軍装剥奪で絞首刑

に倒れました。裁判中の本間の態度、特に妻の最後の別れの言葉は

そこに居合わせた検察官、裁判官、書記などを感服させたそうです。

Re: 東條氏の自殺

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/20 02:54 投稿番号: [51 / 825]
unhoo様:
土壌の青カビから培養したペニシリンが東條の何の病気に効いたのですか。

当時彼は病気と知りませんでした。ピストル銃弾の傷口が感染症でも

起こしたのですか。裁判中はかなり平静でありましたね。後ろに坐って

居る国粋思考派の大川周明に後ろから頭を叩かれた事件がありました。

マレー半島掃討戦の指揮を取った牟田口廉一、本間雅春、山下奉文などは

全部勝利時期の司令官で猪突猛進型の人物でした。軍人としては本間中将

が政治抜きの本格派軍人でありました。この人は中将の正規の軍装で銃殺

刑に処された(軍人の本懐であった当時)が牟田口が敵前逃亡にも関わらずに
陸大校長となり、戦後引退できました。山下中将は正式の軍装剥奪で絞首刑

に倒れました。裁判中の本間の態度、特に妻の最後の別れの言葉は

底に居合わせた検察官、裁判官、書記などを感服させたそうです。

東條氏の自殺

投稿者: unhoo 投稿日時: 2010/08/18 18:51 投稿番号: [50 / 825]
屏東高雄さん

>東條がピストル自殺をしそこない、軽傷で生き残ったのは魔か不思議
でありました。
_______________

東條氏は、阿南、永野、杉山、大西などの諸氏が部下の保護のもとに切腹を遂げたのと違って、大勢のアメリカ兵、アメリカ新聞記者に取り囲まれた中で自殺をしなければならなかったから、切腹は不可能であった。

日本政府がアメリカの命令で生きた東條をアメリカに引渡し、アメリカ側が受け取ったとき東條は死体になっていたという状態、これが敗戦当時からの東條氏の計画であった。東條氏の計画は戦前なら成功するところだったが、戦時中アメリカはペニシリンの実用生産にはいっていたので、アメリカはペニシリンで東條氏の生命を引き戻した。

東條氏が上記のような計画だったことは、東條氏と同時に巣鴨に収容されていた日本人の誰かが出獄後に、獄中で東條氏からそう聞いたと語り、それが新聞に出ていた。

アメリカ人がアメリカ大陸で侵略を広げていた時代、先住民の小国をひとつひとつ攻め亡ぼすたびに、敵の勇士を絞首という方法で最大の恥辱を与えて殺害した。このような悪質の復讐はアメリカ人の天性となった。絞首に使う縄の環や絞首台はアメリカ人の発明である。

日本に対しては、山下奉文がアメリカ式の悪質の復讐を行うに好適の勇将であった。アメリカ人は日本に対して伝統の悪質な復讐心を十分に満足させることができた。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/18 14:00 投稿番号: [49 / 825]
なつのかぜ001様:それはしりませんでしたね。阿南は最後の会議が
おわったとき、一番悩ました陸軍の横柄さを鈴木貫太郎首相に謝罪に
首相の部屋にはいり、許しを請いました。外国製の葉巻の箱を進呈
して静かに下がったそうです。直後首相は秘書官につたえたのが、
「阿南は別れに来たのだ」といいました。官舎に直行した彼は戸を
全部閉めて広い廊下で二人の参謀を別の部屋に待たせて一人で自殺を
果たしました。途中で甥の参謀が介錯を進言しましたが、「無用」と申して
果てたそうです。之についで、永野修、杉山、大西などの責任者がつずきました。東條がピストル自殺をしそこない、軽傷で生き残ったのは魔か不思議
でありました。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/18 00:18 投稿番号: [48 / 825]
当時戦時体制に入り日用品の欠如が一般に響いているのですね。

そのとき、天皇陛下から、阿南にワイシャツを一枚授けられたことがありました。阿南はそれを大事にして、自決した時、身につけていたのが、天皇陛下賜りのワイシャツでした。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/17 04:30 投稿番号: [47 / 825]
natunokaze001様:
陸大では真中くらいの成績で終えた阿南陸相は全閣僚の仲では一番腹が

坐った軍人でした。陛下の傍に寄り、戦争継続を懇願したのですが、

陛下は「阿南、もうこれでよいのだ」とたしなまれて落涙したそうです。

苦渋の選択を選ぶより方法が無かった陸相を一番困らせたのは、生意気な

佐官級のエリート官僚でありました。特別な人間と思いあがったのか

現地の第二国民兵(35−45歳)の必至の戦いぶりも知らぬくせに、

勝手な無謀戦略をでっちあげいつも負け戦でありました。その責任を

感じることも無くて本土決戦を主張したのです。大本営所属の中堅軍人

たちこそ多かれ少なかれ責任は重大でした。この連中こそ、A級戦犯で

あったのですが。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/16 22:48 投稿番号: [46 / 825]
当時の最高指導原則では、一億玉砕でしょう?だから、5月〜7月にに終結するはずないです。本土決戦という馬鹿な戦略があるのですから。

終戦に貢献した一人として、私は阿南陸相を推薦します。

天皇陛下の玉盤がすでに作り上げていたのに、東条の婿が率いる将校は、宮内を、くまなく探し、それを食い止める行動を取っていたのですね。

幸いに見逃されまして、放送できることだったのですが、その間の手続きとして、内閣が同意することになっているのです。もし、阿南が同意のサインをしなかったら、内閣は総辞職となるのですね。

それこそ、そんな羽目に落ちたら、日本は悲惨至極ですよ。

阿南はサインしてから、後で、自宅へ帰り、自決をなされたのでしたね。

日本国、救亡図存の大恩人でしたよ。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/16 04:55 投稿番号: [45 / 825]
natunokaze001様:
米国の統合参謀本部はーーーです。東郷参謀本部と出ましたので改正

します。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/16 04:52 投稿番号: [44 / 825]
natunokaze 001様:
もっと早く終戦の受託をするべきでした。昭和20年の5月ー7月まで

無為に過ごしたのは一重に陸軍の横車でありました。何時までも「最後の

一兵まで戦う」という非現実味的な悲しい断末魔を繰り返したのです。気の毒な
のは阿南陸軍大臣でありました。国体擁護と下からの圧力と首相の説得に

絡まれたのですね。昭和21年3月米国の東郷参謀本部が決めた本土進攻

は19個師団で高知県、南九州(宮崎県、鹿児島県)相模湾、東京に空母を含む
250−300隻からの艦艇で
上陸をする予定で進めていたそうです。オリンピック、コロナプランと呼んだ
そうです。之が起きないうちに終戦を迎えてよかったですよ。北からはソ連

軍が侵攻してきたでしょう。国敗れて山河残らずにならなくてよかったです。、

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/15 22:55 投稿番号: [43 / 825]
米国は広島と長崎にあの恐ろしい原子爆弾を爆撃して、終戦後も、何一口に謝っていません。
死者はほとんどへ平民というのに〜〜〜

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: heitotakaohonors 投稿日時: 2010/08/15 03:44 投稿番号: [42 / 825]
natunokaze001様:
ポーランドにはユダヤ系が多数住んでいました。ドイツから逃げて来た連中も多いのです。ですからドイツ首相は訪問すれば当然殉国者を参拝したでしょう。
しかし、日本周辺国の如く事あるごとに批判をする国はありません。未来の
平和を築くのが先決なのですね。
アジアでは65年まえの負の歴史を蒸し返してきます。楽しいのでしょうかね?
未来志向とは韓国のイミョウバン大統領が宣言していました。先進国では

日本の負の志向が国際政治に反映してうまく指導者になれません。東アジア


共同体は40年前のアジアの声でありましたが、日本は欧米一点張りで

見向きしなかったのです。

Re: :台湾を語る〜;皇紀二千六百年奉祝国民

投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2010/08/15 00:18 投稿番号: [41 / 825]
戦後の話になるのですが、ドイツの首相がポーランドのかつてユダヤ人を大虐殺した跡を訪れた時、その墓標にひざまついて謝り礼をしたのは覚えております。
イタリアについてはなにもきいたことありませんが〜〜〜
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