紫陽花亭日乗

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嶽麓書院 / 楚材晉用

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/13 22:37 投稿番号: [654 / 735]
嶽麓書院   /   楚材晉用

http://japanese.cri.cn/918/2011/02/21/201s170975.htm


嶽麓書院は現在の湖南大学の前身です。
毛沢東(1893〜1976)はここで学び(当時は師範大学だったと思います)、
隣接する愛晩亭というあずまやで、友人たちとしばしば議論を闘わせたそうです。
毛沢東の師の楊昌済の娘さんが最初の毛沢東の妻です。
厳密にいえば、毛沢東には十代のときに親のいいつけで結婚した
かたちだけの妻がいますから、二番目の妻ということになりますが。
この人は、国民党によって処刑されています。

「楚材晉用」という言葉があります。
『春秋左氏伝』の襄公26年の項に、晋と楚との比較論があります。

  ――晋の卿は楚に如かざれども、其れ大夫は則ち賢なり。
皆、卿の材なり。杞梓、皮革の楚より往くが如し。
楚に材有りと雖も、晋は実に之を用いるなり。―――

と。
晋は春秋時代の北方の大国であり春秋の覇者といわれていました。
楚は南方(現在の湖北、湖南)から興った新勢力でいわば超軍事大国でした。
楚には杞梓(柳や梓のような有用植物)や皮革などの物産が豊かあるが、
みな北中国に輸出されて、主として晋で用いられている。
人材もそれと同様、楚の人材をほんとうに用いているのは晋であるというのです。
「楚材」とは、外国で用いられる人材、を意味しています。

岳麓書院の対聯に「惟楚有材, 于斯爲盛」とあります。
先のは『春秋左氏傳』、あとのは『論語』からとっています。

江戸末期から明治にかけて日本一の漢学者と認められていた、
尾張藩藩校明倫堂最後の督学(校長先生)佐藤牧山は、
自分で名を「楚材」とつけました。
字(あざな)は「晋用」。號を「牧山」といいます。
牧山は尾張の田舎の百姓の出身。現在の稲沢市祖父江町です。
尾張を楚にみたて、一生のうち活躍の場はほとんど江戸でしたので、
江戸を「晋」にみたてています。
いつ寝るのか、牧山の寝ている姿を誰も見たことがない、
というので「鰥魚先生」のニックネームがつきました。
表立っての出自による差別というのはないようでしたが、
れきとした武士からはときにあまり好意的にはみられていなかったようです。

この佐藤牧山の著書に『老子講義』がありますが、老子もまた一説に
「或曰。老莱子。亦楚人也」(『史記』「老莊申韓列傳第三」)とあります。
『老子』は、王侯貴族、成功者のテキスト、先ず儒教を学び、しかる後に
『老子』を学ぶのがよいといわれています。。

ほかに、耶律楚材という名の人もいます。字は晋卿だそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B6%E5%BE%8B%E6%A5%9A%E6%9D%90


尾張藩は面白い藩で、ほかにも身分の低い人が督学として採用されています。

明倫堂の最初の督学は細井平州、
米沢藩主上杉鷹山の師としても有名です。
この人もまた、現在の東海市の農家の出身です。

ほかにも江戸中期から後期にかけての人で、明倫堂督学となった
塚田大峯もなかなかのやり手でした。
この人の父親は、信濃善光寺の大勧進でした。

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★unhoo さん、

いろいろ勉強になりました。
有難うございました。

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