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辛亥革命の今日的な意味は何か

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/10 23:49 投稿番号: [641 / 735]
【正論】
国際教養大学理事長・学長   中嶋嶺雄   辛亥革命の今日的な意味は何か
2011.10.10 02:59 (1/3ページ)[正論]     産経ニュース

  今日10月10日は、辛亥革命の発端となった武昌(現在は武漢市に統合)
での蜂起(1911年)から百周年の記念日である。
中華民国の建国に扉を開いた辛亥革命はまさに、
中国近代史の大きな分水嶺となった出来事であった。

  辛亥革命の結果、翌12年の元日には、米国から帰国した孫文が
中華民国臨時大総統就任を南京で宣言し、270年余の歴史を
誇った清朝は翌2月に崩壊した。
だが、孫文は北洋軍閥を率いてきた清朝の軍事指導者、袁世凱に
その地位を奪われ、以後、中国は軍閥割拠の混乱を余儀なくされる。

  孫文は、「革命未だ成らず」との有名な遺嘱(いしょく)を残して、
25年3月に没するのだが、結局は当時のソ連とコミンテルンに頼るという、
「連ソ容共」政策に向かい、中国を革命と内戦の時代に招じ入れてしまった。
その間には、19年の日本の21カ条要求に抵抗する五四運動や2度に
わたる国共合作とその破綻によって、中国共産党の毛沢東と中国国民党の
蒋介石という2人のリーダーが歴史の前面に登場することになり、
49年の中華人民共和国成立以後も、中国国民党と中国共産党との対立と
違和は存在し続けて、今日に至っている。

  ≪号「中山」は日本の表札から≫

  孫文については多くのことが語り尽くされながら、
その実像については意外に知られていない。

  例えば、孫文の号は孫中山で、中国にも台湾にも「中山公園」や「中山路」
など「中山」を冠した場所や建物は数多くあるが、孫文が東京・日比谷の
宿屋に名を秘して泊まった際、通りがかりに見た表札の「中山」を使った
のがそのいわれであることや、広東省香山の客家(ハッカ)(中華文化発祥の地、
古代の中原などをルーツとし、後に戦乱を逃れて南に下った正統な漢民族)
の出身であった孫文が客家語と広東語のどちらが得意であったかも
一般には分かっていない。

  晩年は著名な宋家の慶齢を夫人としたのだが、数多くの女性と関係があり、
横浜には2人の日本人女性がいて子供もあったことなども、直木賞作家の
西木正明氏が実に丹念に調べ上げた本、『孫文の女』(文藝春秋)
を出すまで、全く明らかにされていなかった。

  ≪孫文の位置、中台社会と乖離≫

  孫文は中国でも台湾でも、「中国革命の父」として、または「国父」
としての尊称を得て、いずれにも巨大な像が建てられている。
だが、その孫文の言説と現実社会の間には、
中国においても台湾においても、大きな背理がある。

  孫文が唱えた三民主義は、民族(漢族独立)・民権(民国創立)・
民生(地権平均)の実現を構想したものである。
また、「五族共和」は漢(漢族)・満(満州族)・蒙(モンゴル族)・
回(イスラム教徒)・蔵(チベット族)の平等な共存を理想とするものであった。
いずれもしかし、共産党の一党独裁と漢民族の優位を実行している
今日の中国には全く馴染まない。
最近のウイグル族(イスラム教徒)やチベット族、内蒙古自治区のモンゴル族
に対する弾圧や、漢族による満州族同化政策が、そのことを雄弁に物語っている。


つづく
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