紫陽花亭日乗

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Re: 「母国は日本祖国は台湾:柯徳三著」

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/02 02:42 投稿番号: [608 / 735]
  清朝から日本時代へ

  祖父・柯秋潔は、台湾で最初の日本語教育の発祥の地として有名な
芝山巌学堂の第一期生です。
清朝から日本時代への移り変わりの混乱期に、率先して、いの一番に
日本語を学んだのですから、本当に進取の気象に富んだ人間でした。
中華民国から言わせれば、反漢、漢奸第一号になるかもしれません。

  祖父は、明治五(一八七二)年に台北州内の士林街で生まれました。
家系図によると、大陸の福建省*州府竜渓県から渡台した五代目の直系になります。

  昭和十二(一九三七)年に台湾新民報社から出た『台湾人士鑑』は、
祖父のことを次のように紹介しています。

「柯秋潔
  教育方面の功勞者として名譽嘖々たる君は明治五年十一月二十一日を以って生る。
幼少より士林街習靜齎書塾に於いて漢學を修め、その君の天才的頭腦は
忽ち現れて數年にして四書、五經、古文詩賦等を卒へた程で、
其の明敏なる頭腦の一端を知る事が出来やう。
後士林に於いて書房を設けて育英事業に携はりしが感ずる所あって
更に当時の電報學堂に入りて學ぶ。
修業後臺北水陸電報總局司報生(技手)として奉職し、
同二十八年七月學務部臨時雇に命ぜられたのが動機となって教育界に入る。

  爾来國語學校、公學校の教員として一意専心育英事業に携り、
其の成績頗る良好にして名聲頓に昴る。

他方君は社會公共的事業の思念に篤く貧民の救恤寄附其の他等に多大な
金額を投じて吝まず、其の美學は人を動かすに足る、
なれば幾多の公職に擧げられ枚擧に遑がない程である。

後實業界方面にも手を出して曾て林伯壽君の支配人として其の明快な腕を
揮はれた事もなる。
今では老齢の故を以って引退されてはゐるが、過去に於ける君が社會公共の
爲めに盡した功績は永久に朽ちないであらう」

  幼い頃に通った、士林の「習静斉書塾」や「浄浴斉」というのは
私塾で、何炳奎先生という人に師事していました。

  十六歳の時、郷試(中国の官吏登用試験の第一次試験)で秀才
(官吏の位の一つ)の国家試験を受けましたが、通らず、もう一回試験を
受けるつもりでいたところに日本政府が来たわけです。
すなわち、明治二十八(一八九五)年、日本の明治政府が甲午戦争
(日清戦争のこと)で勝利し、台湾を領有したのです。

  当時、祖父は英語や電信技術を習い、台北の電報局に勤めていました。
電報局の技師で、英文電報をやっていましたから、英語は堪能、と言うか、
まあ日本語よりは話せたでしょう。


つづく
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