Re: 「母国は日本祖国は台湾:柯徳三著」
投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/10/02 02:43 投稿番号: [609 / 735]
また、十八歳の時から、自分で設立した私塾で児童に漢学を教えていました。
日本が来る前、台湾に学校はありませんでしたから、
まさに寺子屋のようなものでした。
黄文雄先生の「拓殖大学の台湾語講座と台湾の言語事情」
(『外国語・地域研究の系譜・拓殖大学百年の学統〈2〉・』拓殖大学)に
よれば、清時代にも書房や義塾、社学といった学童の教育機関がありましたが、
その教育目的は科挙にあって、しかも就学率はきわめて低かったようです。
それには、
「清国時代の書房の普及率については統計がないが、日本領台二年後の
明治三十(一八九七)年に行われた台湾総督府の調査では、
当時の書房数は千百二十七箇所、生徒数は一万七千六十六人であり、
入学年齢は七歳からが一般的である。
この統計数字から単純に計算すると、一校の生徒は平均約十四・五人で、
近代国民学校の教室に比べると規模はそれほど大きくなかった。
当時の台湾総人口は約三百万人であったため、書房で学ぶ者の割合は
わずか〇・五七%に過ぎず、義塾や社学を入れても一%にも満たない」
とあり、また、その後の日本統治時代の就学率の変化については
次のように書かれています。
「公学校令施行の翌明治三十二(一八九九)年の公学校(台湾人の初等学校)
への就学率は二・〇四%であった。
それは中国大陸に比べ、ほぼ同数に近い。
しかし大正元(一九一二)年は六・六%になり、昭和元(一九二六)年は
二八・四二%、義務教育制の施行によって昭和十八年は六五・七六%、
昭和十九年は七一・一七%と飛躍的に向上している。
これは当時のアジアにおいて日本に次ぐ数値である。
台湾は日本の植民地だったとされているが、世界で現地住民の就学率が
これほどまでに高かった植民地が当時存在しただろうか。
むしろこの点からだけでも、日本の内地延長政策の下、
台湾が植民地ではなかったということが証明できるはずである。
昭和二十三年に学齢児童全員に義務教育実現を予定していたが、
日本の敗戦によって実現するには至らなかった」
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これは メッセージ 608 (ajisai110701 さん)への返信です.
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