紫陽花亭日乗

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日本の誠意

投稿者: ajisai110701 投稿日時: 2011/08/16 23:00 投稿番号: [327 / 735]
【産経抄】
8月14日
2011.8.14 02:44
  昭和20年8月14日、つまり終戦の日の前日、
東郷茂徳外相はアジア各地駐在の外交機関あてに暗号の緊急電を発した。
日本の敗戦で、大東亜会議に参加した親日国の要人は厳しい立場に置かれる。
もし望むなら日本への「移行」に便宜をはかれとの内容だった。

  ▼「敗戦国日本に呼び寄せたあとの対策や見通しがあったとは思われないが…
日本なりに誠意を示したのであろう」。
親日政権のひとつ、汪兆銘政権を追った『我は苦難の道を行く』の中で
上坂冬子さんはそう書いている。
確かに敗戦前夜の国とは思えないような「気遣い」である。

  ▼「亡命」を打診されたひとりが中国・南京政府の陳公博代理主席だった。
汪兆銘亡き後、同政府を率いていた。陳主席は当初、申し出を断る。
だが自分が南京に残れば蒋介石軍と衝突が起き市民に犠牲者が出ると判断、
25日に日本へ向かうことになる。

  ▼一行7人の引導兼警護役を任されたのが小川哲雄陸軍主計中尉だった。
拓殖大を卒業、中国語に堪能で南京政府の軍事顧問などをつとめていたからだ。
南京から飛行機で青島に向かうと見せかけ、海を渡り一気に鳥取県米子の
空港に着陸、「亡命」は成功する。

  ▼その後も小川中尉らの努力で京都に入り、金閣寺に潜伏する。
だが戦勝国側の圧力の前に、日本政府による保護には限界があった。
中国・重慶政府の「帰国命令」には抗しきれず、
陳主席は10月初めに帰国、翌年銃殺刑に処せられる。

  ▼敗戦国が亡命を受け入れるなどしょせん無理という見方もあるだろう。
だが国も我が身もどうなるかわからない中で誠心誠意、他国の要人のために
働いた日本人がいた。そのことは誇りとして語り継いでいきたいものである。

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