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蒋政権時代の日本雑誌の輸入

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/09/20 18:16 投稿番号: [1972 / 3149]
tokyo_cachito3 さん

蒋政権時代の日本雑誌の輸入事情については、わしの記憶がばらばらで、求められても自信のある回答ができません。ただ思い出したことを断片的に記述してみるだけです。

日本雑誌の輸入解禁はかなり早かったように思います。終戦後5年ぐらいだったらしい。最初に入ってきたのは婦人雑誌(婦人倶楽部、主婦の友)映画雑誌(映画の友など)です。

輸入された日本の雑誌は、検閲官の命令により、ページの切り取りや文字の塗りつぶしがいっぱいでした。数ページの文章が全篇切り取られたり、写真を掲載したページが切り取られたりして、本屋の店頭に重傷兵、軽傷兵の姿で横たわっていました。検閲官が職務怠慢を問われることを恐れて、毎号必ずある程度のカットと、塗りつぶしをしたのだと思う。

初めの頃、文藝春秋はまだ禁止であったが、10年ぐらいたって許可された。ところが連載記事の20ページほどが毎月全部カットされていた。巻頭の目次を見ると、戦前共産党員だった人が、共産党内部の凶悪な状況を暴いた記事のようであって、反共蒋政権の立場からすると、人民に読ませたほうがよさそうだが、検閲官が日本語の読めない奴なので、共産党を持ち上げた記事かと思ったのだろう。

蒋政権の後期に至って、毛沢東や中共の要人の写真は、ページを切り取る代わりに、顔の真ん中に匪と言う字のゴムスタンプが押された。

日本雑誌が無傷で輸入されるようになったのは、李登輝政権が成立してからである。人間は平和に馴れ易く、昔危機が立ちこめていた時代のことを忘れやすい。現在70歳以上の人は、蒋政権時代に輸入された日本の雑誌が、必ず塗りつぶしやカットがあったことを見ていたはずだが、もはや忘れかけている。

短波ラジオについては、日本国民は敗戦まで短波ラジオという物があることを知らされず、短波ラジオで外国の放送が聞けることを知らなかった。外国の放送を国民に聞かせまいとする軍部の政策は成功したけれども、その代わり国民の電波機械に関する知識を世界の水準から50年も遅れさせた。わしは昭和17年上海へ渡ったが、上海では車夫や馬丁でも、ラジオと言えば短波ラジオのことで、世界中の放送が聞けるのは当然と思っていた。わしよりもおそく上海へ来た日本に短波ラジオを見せたところ、最高の知識人ですらびっくりしていた。
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