Re: >『朴氏夫人伝』
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/04/20 14:29 投稿番号: [93 / 1329]
>これは韓国の史実ではまた違う内容になってるのでしょうか。
(あたりまえか、でもちょっと気になる)
後金(清)の侵略という史実を下敷きにしてはいます。
年表ふうにのべれば、
1619年:サルハの戦い。明・朝鮮連合軍が後金軍に惨敗。朝鮮軍は早々に降伏したため、後金の報復等は無し。明の敗戦を予想していた国王光海君が司令官の姜光立に形勢しだいで速やかに降伏せよ、と言い含めていたという説もあり。光海君を追放した次期政権のプロパガンダともされる。
1623年:クーデターで光海君追放。仁祖即位。明への支持、後金への抗戦を明示する。
1627年:後金の侵攻(丁卯胡乱)。朝鮮と兄弟の盟約を結び(後金が兄)、明と後金の戦いに中立を守るという条件で和議成立。
1636年:後金あらため清の侵攻(丙子胡乱)。清皇帝太宗(ホンタイジ)の即位式に、たまたま訪れた朝鮮の朝貢使が「夷狄の皇帝は認めぬ」と祝賀を拒否、またその後仁祖の王妃の葬儀に参列した太宗の兄弟と将軍に無礼を働いたのが直接のきっかけ。
首脳陣の分裂や軍備の脆弱さにより朝鮮軍は惨敗、全面降伏。
翌年、完全な臣事、多額の朝貢の義務化といった屈辱的な三田渡の盟約が結ばれ、「迎恩門」で国王が清使に三跪九叩頭して迎えることになる。
これは メッセージ 92 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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