あげを兼ねてバテレン禁止について
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/24 02:11 投稿番号: [924 / 1329]
深夜に起きてしまった。あげを兼ねてですが・・・提示したサイトの文章を掲載しておきます。
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/50765013.html______________________________
>「宣教師たちによる日本人奴隷の貿易」
天文11年(1543年)の鉄砲伝来の後、1540年代後半から始まったと考えられている。
16世紀後半にはポルトガルや南米アルゼンチンなどへ送られていた。
天正10年(1582年)にローマへ派遣された天正遣欧少年使節の一行が、各地で日本人奴隷を目撃し、自国人と白人両方への憤りを報告書に記している。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。
ヨーロッパ各地で50万という。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、
白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。
この出来事によって棄教した使節の一員もおり、皮肉な結果となったとある。
以前に天草の“隠れキリシタンの信仰”について現地で見ることができたが、彼らのキリストに対する信心の凄まじさを目の当たりにして、当時の為政者は驚愕したであろうと感じた。
彼ら宣教師はキリスト教という(当時
日本にとってはカルト教団)思想戦を仕掛けながら、
南蛮貿易の莫大な利益で諸大名の目を眩ませ、日本人を取り込んでいった。
それが当時のキリシタン大名である有馬晴信、高山右近、大友宗麟等であり、
彼らは宣教師に領土を寄進し、バテレンの指導で神社仏閣を打ち壊し、
僧侶神官を惨殺、戦国大名同士の戦いで相手を打ち負かした戦利品として女・子供・武士・町人を奴隷として宣教師に売り渡した。
奴隷となった日本人は朝鮮、中国・マレー半島、南米、ヨーロッパ、アフリカの果てまで、売りさばかれたという。
これは メッセージ 894 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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