Re: 朝鮮は自主の国だったか?
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/03/21 20:23 投稿番号: [732 / 1329]
>同じ東アジアの地域の李朝朝鮮・日本の江戸時代の末期は共に欧米の列強に狙われている状態でした。
なので、李朝の開国の状態と平行して、
しばらく自分の国の日本がそれをかいくぐろうとした詳細を扱えたらなと思っています。
朝鮮がアメリカと修好通商条約を結んだのち、清は朝鮮に対して外交について3つの約定を守るよう指示しました。
『清史稿 列伝 属国 朝鮮』光緒十三年(1887年)の記述から引用します。
十三年、鴻章遵旨籌議朝鮮通使各国体制、奏言:電飭駐扎朝鮮弁理交渉通商事宜升用道補用知府袁世凱、転商伊国応派駐扎公使、不必用"全権"字様。旋於九月二十三日接拠袁世凱電稟:准朝鮮外署照称;奉国王伝教、前派各使久已束装、如候由咨文往返籌商、恐須時日、請先電達北洋大臣籌覆。並拠其国王咨称;近年泰西各国屡請派使修聘、諸国幅員権力十倍朝鮮、不可不派大公使。惟派使之初、未諳体制、未先商請中朝、派定後即飭外署知照各国、以備接待。茲忽改派、深恐見疑。仍請准派全権公使前往、待報聘事竣調回、或以参賛等員代理、庶可節省経費;並飭使至西国後、与中国大臣仍恪遵旧制。'等語、辞意甚為遜順。臣復加籌度、更将有関体制者先為約定三端:一、韓使初至各国、応請由中国大臣挈赴外部;一、遇有宴会交際、応隨中国大臣之後;一、交渉大事関系緊要者、先密商中国大臣核示、並声明此皆属邦分内之体制、与各国無干、各国不得過問。当即電飭袁世凱転達国王照弁。茲復准王咨称:於十月杪飭駐美公使朴定陽、駐英徳俄意法公使趙臣煕先後前往、所定三端並飭遵行。臣査朝鮮派使往駐泰西、其国原約有遣使互駐之条、遂未先商請中国、遽以全権公使報聞各国。此時慮以改派失信、自是実情。既称遣使後与中朝使臣往来恪遵旧制、臣所定擬三端又経遵行、於属邦事例並無違礙。
つまり、清の執政たる李鴻章は、袁世凱を通じて、朝鮮の大使は現地での外交において、
一、韓使初至各国、応請由中国大臣挈赴外部
・使者は各国に着いたら、清の大臣と共に相手国の外務省へ行くこと。
一、遇有宴会交際、応隨中国大臣之後
・宴会など外交のお付き合いの場合、朝鮮の席次は清の下とすること。
一、交渉大事関系緊要者、先密商中国大臣核示、
・重要な外交案件については、まず清の大臣と相談すること。
以上3点を遵守せよと命じてきました。これを「三端[別の左側]約」といいます。
ですが、1887年夏、アメリカに赴いた駐美大使朴定陽は清大使館に行かず、勝手に単独でアメリカの外務省に行ってしまいます。
さて、そのあと事態はどうなったか?という点について史料を入手しました。現在画像スキャン・処理とテキスト起こしの最中ですが、その作業が今月中に終わるかどうかさえ怪しいところです。(苦笑)
なので、李朝の開国の状態と平行して、
しばらく自分の国の日本がそれをかいくぐろうとした詳細を扱えたらなと思っています。
朝鮮がアメリカと修好通商条約を結んだのち、清は朝鮮に対して外交について3つの約定を守るよう指示しました。
『清史稿 列伝 属国 朝鮮』光緒十三年(1887年)の記述から引用します。
十三年、鴻章遵旨籌議朝鮮通使各国体制、奏言:電飭駐扎朝鮮弁理交渉通商事宜升用道補用知府袁世凱、転商伊国応派駐扎公使、不必用"全権"字様。旋於九月二十三日接拠袁世凱電稟:准朝鮮外署照称;奉国王伝教、前派各使久已束装、如候由咨文往返籌商、恐須時日、請先電達北洋大臣籌覆。並拠其国王咨称;近年泰西各国屡請派使修聘、諸国幅員権力十倍朝鮮、不可不派大公使。惟派使之初、未諳体制、未先商請中朝、派定後即飭外署知照各国、以備接待。茲忽改派、深恐見疑。仍請准派全権公使前往、待報聘事竣調回、或以参賛等員代理、庶可節省経費;並飭使至西国後、与中国大臣仍恪遵旧制。'等語、辞意甚為遜順。臣復加籌度、更将有関体制者先為約定三端:一、韓使初至各国、応請由中国大臣挈赴外部;一、遇有宴会交際、応隨中国大臣之後;一、交渉大事関系緊要者、先密商中国大臣核示、並声明此皆属邦分内之体制、与各国無干、各国不得過問。当即電飭袁世凱転達国王照弁。茲復准王咨称:於十月杪飭駐美公使朴定陽、駐英徳俄意法公使趙臣煕先後前往、所定三端並飭遵行。臣査朝鮮派使往駐泰西、其国原約有遣使互駐之条、遂未先商請中国、遽以全権公使報聞各国。此時慮以改派失信、自是実情。既称遣使後与中朝使臣往来恪遵旧制、臣所定擬三端又経遵行、於属邦事例並無違礙。
つまり、清の執政たる李鴻章は、袁世凱を通じて、朝鮮の大使は現地での外交において、
一、韓使初至各国、応請由中国大臣挈赴外部
・使者は各国に着いたら、清の大臣と共に相手国の外務省へ行くこと。
一、遇有宴会交際、応隨中国大臣之後
・宴会など外交のお付き合いの場合、朝鮮の席次は清の下とすること。
一、交渉大事関系緊要者、先密商中国大臣核示、
・重要な外交案件については、まず清の大臣と相談すること。
以上3点を遵守せよと命じてきました。これを「三端[別の左側]約」といいます。
ですが、1887年夏、アメリカに赴いた駐美大使朴定陽は清大使館に行かず、勝手に単独でアメリカの外務省に行ってしまいます。
さて、そのあと事態はどうなったか?という点について史料を入手しました。現在画像スキャン・処理とテキスト起こしの最中ですが、その作業が今月中に終わるかどうかさえ怪しいところです。(苦笑)
これは メッセージ 713 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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