Re: 李朝文学「春香伝」
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/04/12 01:07 投稿番号: [65 / 1329]
春香伝』は身分を越えた純愛ドラマですが、本筋は圧制に対する民衆の鬱憤晴らしですよね。
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「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著より。
「春香伝」と「忠臣蔵」の違いとは?
「洪吉童伝」は4章で紹介した「春香伝」と並んで、韓国民に最も親しまれ、人気が高い作品である。
「春香伝」は李朝末期の小説だが、「洪吉童伝」と違って作者が不詳である。17世紀末から18世紀初期に掛けて、長い物語に節をつけて、仕草を織り交ぜながら歌うパンソリの歌い手によって作られたと言われる。
「洪吉童伝」と「春香伝」は、共に両班による民衆に対する苛酷な搾取をテーマにして居る。確かに「春香伝」は、両班の嫡子と妓生あがりの退妓の娘が相思相愛の間柄になり、階級の絶対的なタブーを超えて結ばれる恋の物語ではある。
だが、悪政に対して正義が勝つという筋運びが、何よりも民衆の鬱憤を晴らした。春香の恋人が暗行御使として乞食に変装して故郷に戻り、悪代官の宴席に乗り込んで身分を明かし、「暗行御使出道!」と一喝する処が山場で、この場面になると、読み手は溜飲が下がると言う物だ。
「春香伝」は、朝日新聞が明治15(1882)年から翻訳して連載した事によって、初めて日本に紹介された。連載の最終回は、「世間の女子よ、此冊子を一度読みて守節の尊ぶ可き事を知れ」という訳者の言葉によって結ばれている。
日本で「洪吉童伝」や「春香伝」と同じ様に、国民によって最も愛され、人気が高い歴史的な作品と云えば、何と言っても47人の赤穂浪士による仇討ち劇である「忠臣蔵」であろう。藩主が江戸城内で刃傷沙汰に及んだ為に、切腹を申し付けられ、取り潰された赤穂藩の浪士が、家老の大石良雄に率いられて艱難辛苦を重ねた末に、見事、主君の遺恨を晴らしたと言う史実に基づいている。
私は、ここにも李氏朝鮮と江戸時代の日本とを分かつ際立った違いが見られると思う。「洪吉童伝」と「春香伝」が、李朝の苛斂誅求な暗い社会を主題としているのに対して、「忠臣蔵」の方は、武士の主君への直向きで純粋な忠誠心をテーマとしている。
つまり日本は、李氏朝鮮と同様に儒教を導入したが、朝鮮の朱子学偏重主義に拠らず、儒教をすっかり浄化して、「忠」を最も重要な価値とする日本型の儒教に作り変えたのだった。「忠」という概念を行動哲学の中心に据える考え方は、中国にも朝鮮にも生まれなかった。
江戸時代の日本文学は、日本のシェークスピアとして知られる近松門左衛門(1653-1724)の「曽根崎心中」の様に、大きな商家や、その手代を主人公にしたものが多く、日本の町人が豊かな消費生活を営み、庶民が今日の日本と同じ様に享楽的で、旺盛な物欲を持っていた事を示している。
シェークスピア(1564-1616)の戯曲が、王侯貴族を主人公としているのと対照的である。近松は大石や赤穂浪士と同じ時代に活躍したが、李氏朝鮮では李朝中期に当たった。江戸時代の日本ほど、庶民が自由で豊かな生活を享受して居た国は、世界に無かった。
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「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著より。
「春香伝」と「忠臣蔵」の違いとは?
「洪吉童伝」は4章で紹介した「春香伝」と並んで、韓国民に最も親しまれ、人気が高い作品である。
「春香伝」は李朝末期の小説だが、「洪吉童伝」と違って作者が不詳である。17世紀末から18世紀初期に掛けて、長い物語に節をつけて、仕草を織り交ぜながら歌うパンソリの歌い手によって作られたと言われる。
「洪吉童伝」と「春香伝」は、共に両班による民衆に対する苛酷な搾取をテーマにして居る。確かに「春香伝」は、両班の嫡子と妓生あがりの退妓の娘が相思相愛の間柄になり、階級の絶対的なタブーを超えて結ばれる恋の物語ではある。
だが、悪政に対して正義が勝つという筋運びが、何よりも民衆の鬱憤を晴らした。春香の恋人が暗行御使として乞食に変装して故郷に戻り、悪代官の宴席に乗り込んで身分を明かし、「暗行御使出道!」と一喝する処が山場で、この場面になると、読み手は溜飲が下がると言う物だ。
「春香伝」は、朝日新聞が明治15(1882)年から翻訳して連載した事によって、初めて日本に紹介された。連載の最終回は、「世間の女子よ、此冊子を一度読みて守節の尊ぶ可き事を知れ」という訳者の言葉によって結ばれている。
日本で「洪吉童伝」や「春香伝」と同じ様に、国民によって最も愛され、人気が高い歴史的な作品と云えば、何と言っても47人の赤穂浪士による仇討ち劇である「忠臣蔵」であろう。藩主が江戸城内で刃傷沙汰に及んだ為に、切腹を申し付けられ、取り潰された赤穂藩の浪士が、家老の大石良雄に率いられて艱難辛苦を重ねた末に、見事、主君の遺恨を晴らしたと言う史実に基づいている。
私は、ここにも李氏朝鮮と江戸時代の日本とを分かつ際立った違いが見られると思う。「洪吉童伝」と「春香伝」が、李朝の苛斂誅求な暗い社会を主題としているのに対して、「忠臣蔵」の方は、武士の主君への直向きで純粋な忠誠心をテーマとしている。
つまり日本は、李氏朝鮮と同様に儒教を導入したが、朝鮮の朱子学偏重主義に拠らず、儒教をすっかり浄化して、「忠」を最も重要な価値とする日本型の儒教に作り変えたのだった。「忠」という概念を行動哲学の中心に据える考え方は、中国にも朝鮮にも生まれなかった。
江戸時代の日本文学は、日本のシェークスピアとして知られる近松門左衛門(1653-1724)の「曽根崎心中」の様に、大きな商家や、その手代を主人公にしたものが多く、日本の町人が豊かな消費生活を営み、庶民が今日の日本と同じ様に享楽的で、旺盛な物欲を持っていた事を示している。
シェークスピア(1564-1616)の戯曲が、王侯貴族を主人公としているのと対照的である。近松は大石や赤穂浪士と同じ時代に活躍したが、李氏朝鮮では李朝中期に当たった。江戸時代の日本ほど、庶民が自由で豊かな生活を享受して居た国は、世界に無かった。
これは メッセージ 64 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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