李朝朝鮮

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李朝文学「春香伝」

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/04/12 00:35 投稿番号: [64 / 1329]
日韓歴史論争 で「春香伝」の話題が出てましたが、
李朝文学なので、このサイトをこちらに貼り付けておきます。

http://www.koubunken.co.jp/0300/0282sr.html

春香伝は、朝鮮の古典文学において、代表的なものの一つといわれ、沈清伝、興夫伝などと共に、民衆全体から愛されてきた作品であった。どんな山奥に住む人々でも、どんなに若い人々でも、春香や沈清や興夫の話はよく知っているのである。
  これらの作品は、だいたい十八世紀につくられたものだといわれているが、作者や原本が明確でないというのも、共通した特徴である。もともと朝鮮国文(ハングル)の発達が、歴史的な制約をうけ、きわめて苦難にみちた道を歩んだように、朝鮮国文の散文文学の発達も、支配階級に抵抗する庶民たちの反抗意識や抵抗運動と密接に結びついていた。
  李朝封建制度(十五〜十九世紀)のもとでも、漢文を教習させる書堂(寺小屋)は無数にあった。しかし、ここでは国文(ハングル)を教えなかった。民衆は、川原の砂場や、広場の木陰で、筆も紙も教科書もないところで、地面や砂場の上に木片や石ころで字を書いて、教え、かつ教わったのであった。
  世界で一番はやく活字を鋳造(銅活字)して本を印刷した(十五世紀)歴史をもっている朝鮮民族であったが、庶民の要求する国文の物語本(小説散文)を印刷して配布するような政治は行われていなかった。庶民たちは筆写した物語本を宝物のように持ち回りながら耽読したものであった。
  その頃、庶民に愛好された演劇は、唱劇(パンソリ)であった。初期の唱劇は、日本の浪花節語りのように、独りの歌い手が、路傍に簡単な幕をはり、節回しも面白く、一つの物語を語ったものである。それが徐々に発達して、小屋掛けとなり、舞台をつくり、幾人もの歌い手が登場人物となって出演し、台本がつくられるようになった。この唱劇の筆頭台本が、やはり春香伝であり、沈清伝であり、興夫伝であった。
  永年の間、筆写され、数多くの唱劇台本として潤色されていくうちに、春香伝は、数えきれないほどの類本を形成していった。現存している主なものだけでも、およそ三十数種におよんでいる。
  題名も、「烈女春香守節歌」「小春香歌」「京版春香伝」「水山広寒楼記」「漢文春香伝」「古本春香伝」「獄中花」等さまざまなものがあり、唱劇の台本としての純然たる韻文調のものがあるかと思えば、小説らしい構成の言文一致の会話をおりまぜたものもあり、やたらに漢語をつかったものや、美文調のものもある。
  大体の筋書は、すべての類本がほとんど同一であるが、場面の会話や、風景描写や、人物の表現等、千差万別で、非常な差異がある。現存しているものの中では「全州土版・烈女春香守節歌」がもっとも古いものといわれ、内容も一番充実している。

  春香伝は、かなり古くから、日本に紹介されていたようである。大正年間には、不充分なものではあるが、日本語の訳本も出たりした。もっとも広く紹介されたのは、一九三〇年代の終わり頃で、新劇や新派演劇などでさかんに上演された。その台本が張赫宙の脚色によって日本語で出版され、新潮文庫で刊行されたりした。
  一九四五年以後も、新劇で上演され、一九四八年には、オペラとして上演された。
  原本の忠実な翻訳は、きわめて難渋なことで、まったく不可能なこととされていたが、許南麒が、「全州土版・烈女春香守節歌」を原本とした註釈本を、非常な努力をして翻訳し、岩波文庫で出版した。これは流麗な筆致で訳され、しかも原文の味を生かすことに成功したもので、本書の読者諸氏にも、是非一読をおすすめするものである。
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