李朝朝鮮

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Re: 科挙の弊害

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/04/08 00:03 投稿番号: [49 / 1329]
なお、支那も朝鮮も、私利を図る弊害を防ぐため、出身地への赴任は禁じられていました。

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及第者を作るために武科を利用

ところで科挙の資料を見ていると、まず文科及第者に比べて武科及第者の数が圧倒的に多いことに気づく。李朝後期の二十一代英祖から正祖、純祖に至る百十年間の科挙及第者を調べ上げた宋俊浩氏によると、その間に行われた二百五回の科挙で、及第者は文科が三千九百五十名であるのに対し、武科は十倍以上の四万一千七百五十二名に上っている。軍の士官要員は一般官吏より多数必要だとしても、この差はあまりにも大きい。
  この二百五回の科挙中、式年試は三十七回に過ぎず、あとはみな臨時試験である。当然、及第者の数も、臨時試験の場合が比較にならないくらい多い。文科も臨時の科挙で及第した者が、式年試及第者の倍以上に上っているが、武科に至っては七千対三万四千という桁違いの選抜数である。こういう数字を見ていると、朝鮮政府が合理的な武官の充員計画にもとづいて科挙を実施していたとは思われない。
  もっとも武人になることを熱望する人間が、朝鮮社会に満ち溢れていたということであれば、それもよかろう。しかし「歴代崇文の弊」は高麗時代から積み重ねられており、国民が「柔弱で武技を好まな」かったのは、丁若𨉷が指摘しているように、厳然たる事実であった。だから武科の大量及第は、政府に確固たる国防幹部要員の充員計画がなく、受験者の多くに、たくましい武人になる意志などなかった状況の中での現象であった。要するに政府は、科挙志望生がいっぱいいる現実を消化するために、臨時の科挙を頻繁に実施して大いに及第者を作るという便法を採ったに過ぎない。彼らはそうした“数でこなす”方策を実施するのに、武科を利用したのである。武科を低くみていたことがよく分かる措置だ。
  武科の試験は易しく設定されていた。丁若𨉷の時代だと「十技一講」といって、十種目の武技のうち幾つかと、四書五経、武経七書、経国大典などについての学科試験(講書)が一種目行われるだけだった。しかも、講書は初試にはなく、覆試でだけ課せられることになっており、それとても必ずというわけでもなかったようである。武技の方は弓技が主だった。弓矢の重さ、射程距離、騎乗の有無などで、鉄箭、柳葉箭、片箭、木箭、騎射、貫革といった種目があり、その他は槍や銃、鉄鞭の技を見るものであった。武科でも定期試験である式年試や新王即位の際に行われる増広試の場合は、文武両面にわたり試験科目も多かったが、実施頻度の高い臨時試験の方は、たいてい一科目か二科目の試験ですまされた。それなら文科にパスするのは無理な者も、武科なら及第できるだろうというわけである。

(田中明「物語   韓国人」文春新書)

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続きます。
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