>『黄真伊』のドラマ
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/27 22:04 投稿番号: [410 / 1329]
>和泉も二条もそこそこの身分があるから恋愛は奔放でも、それが終わった時の悟りのようなものがあって、品がありますね。
そう思います。
当時は俗世の恋愛と清浄な精神世界を行ったり来たり、結局、仏に救われるという文化的装置が用意されています。
後年創作された「小野小町伝説」や「和泉式部伝説」など、愛欲に溺れた女性の悲劇的末路の説話のように、仏教の功徳の説法臭くなると嫌ですが。
>393番の妓女『黄真伊』のドラマ の内容を読むと
あれは、史実に沿った崔基鎬著「韓国・堕落の2000年史」の記述で、ドラマの内容とは違います。
「韓国・堕落の2000年史」では、
『真伊の父は下級官僚の両班で、母は常民の娘だった。両班は常民の娘と結婚する事が出来たが、普通は妾にする事の方が多かった。
黄真伊は、自分に恋した青年が病死するまで、母親がその青年の事を隠していた為に、その片想いしていた若者が居た事を知らなかった。ところが、其の若者の葬列が、彼女の家の門の前で動けなくなった為に、母にどうした事かと質した処、初めて青年が自分を切に慕って焦がれて居た事を知った。そして青年が生前に自分に会うことを願ったのに、母が断った事を知った。
真伊は自分が最も大事にしていた衣装を、青年の冷たくなった体の上に広げて置いた。すると、葬儀の車が動き出した。この事を切っ掛けにして、真伊は一転して妓生という賤職を志願して、その後、妓生詩人として多くの優れた詩を遺す事になった。』
でも、韓国のテレビドラマ、映画や一般の通説では、
才能・美貌を備える女性の物語、出生の秘密に悩む、根性、ライバル、ラブロマン(又は濃厚ラブシーン)というストーリーになるようです。
いつものお決まりのパターンですね。(苦笑)
------------------------------------
(テレビドラマ)
序盤は黄真伊が最高の名妓になる、少し静的な修練の過程を描くのに対し、中盤からは黄真伊が最高の名妓になり、当代最高の人士キム・ソンハンに出会い、愛し葛藤する動的なラブストーリーが描かれる。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/12/20061012000034.html
逆さになり、足だけが結ばれた状態で踊りをさせられるシーン
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/22/20061022000018.html
松都の行首妓生(官庁に属する芸妓のトップ)ペクムが、10代の妓生たちを水に入れて特訓するシーン。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/02/20061002000035.html
芙蓉は黄真伊の持って生まれた才能に嫉妬する役で、自分の夢をつかめずに悔しい思いをする人物として描かれる。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/07/20060907000006.html
(映画)
『黄真伊』のベッドシーンは黄真伊が妓生(芸妓)になる過程でターニングポイントとなる重要な場面。黄真伊は両班(上流階級)の息子と結婚を控えていた時、自分の身分が明らかになり妓生になることを決心、しもべの身分で幼い時から友達のように過ごしてきた‘ノミ’と一晩過ごし、純潔を捨てることになる。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000030.html
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の小説では珍しいエロティックな性描写で話題を集めた小説『黄真伊(ファン・ジニ)』
『黄真伊』は一般的に考えられているような黄真伊と徐敬徳(ソ・ギョンドク)のロマンチックな恋愛ではなく、「主従関係」にある2人の悲劇的な愛を軸に展開する。
両班(貴族)の父と奴婢の母の間に生まれた出生の秘密を背負う黄真伊が、妓生になるため自分の体を徐敬徳に捧げる
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/12/28/20031228000037.html
そう思います。
当時は俗世の恋愛と清浄な精神世界を行ったり来たり、結局、仏に救われるという文化的装置が用意されています。
後年創作された「小野小町伝説」や「和泉式部伝説」など、愛欲に溺れた女性の悲劇的末路の説話のように、仏教の功徳の説法臭くなると嫌ですが。
>393番の妓女『黄真伊』のドラマ の内容を読むと
あれは、史実に沿った崔基鎬著「韓国・堕落の2000年史」の記述で、ドラマの内容とは違います。
「韓国・堕落の2000年史」では、
『真伊の父は下級官僚の両班で、母は常民の娘だった。両班は常民の娘と結婚する事が出来たが、普通は妾にする事の方が多かった。
黄真伊は、自分に恋した青年が病死するまで、母親がその青年の事を隠していた為に、その片想いしていた若者が居た事を知らなかった。ところが、其の若者の葬列が、彼女の家の門の前で動けなくなった為に、母にどうした事かと質した処、初めて青年が自分を切に慕って焦がれて居た事を知った。そして青年が生前に自分に会うことを願ったのに、母が断った事を知った。
真伊は自分が最も大事にしていた衣装を、青年の冷たくなった体の上に広げて置いた。すると、葬儀の車が動き出した。この事を切っ掛けにして、真伊は一転して妓生という賤職を志願して、その後、妓生詩人として多くの優れた詩を遺す事になった。』
でも、韓国のテレビドラマ、映画や一般の通説では、
才能・美貌を備える女性の物語、出生の秘密に悩む、根性、ライバル、ラブロマン(又は濃厚ラブシーン)というストーリーになるようです。
いつものお決まりのパターンですね。(苦笑)
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(テレビドラマ)
序盤は黄真伊が最高の名妓になる、少し静的な修練の過程を描くのに対し、中盤からは黄真伊が最高の名妓になり、当代最高の人士キム・ソンハンに出会い、愛し葛藤する動的なラブストーリーが描かれる。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/12/20061012000034.html
逆さになり、足だけが結ばれた状態で踊りをさせられるシーン
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/22/20061022000018.html
松都の行首妓生(官庁に属する芸妓のトップ)ペクムが、10代の妓生たちを水に入れて特訓するシーン。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/02/20061002000035.html
芙蓉は黄真伊の持って生まれた才能に嫉妬する役で、自分の夢をつかめずに悔しい思いをする人物として描かれる。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/07/20060907000006.html
(映画)
『黄真伊』のベッドシーンは黄真伊が妓生(芸妓)になる過程でターニングポイントとなる重要な場面。黄真伊は両班(上流階級)の息子と結婚を控えていた時、自分の身分が明らかになり妓生になることを決心、しもべの身分で幼い時から友達のように過ごしてきた‘ノミ’と一晩過ごし、純潔を捨てることになる。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000030.html
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の小説では珍しいエロティックな性描写で話題を集めた小説『黄真伊(ファン・ジニ)』
『黄真伊』は一般的に考えられているような黄真伊と徐敬徳(ソ・ギョンドク)のロマンチックな恋愛ではなく、「主従関係」にある2人の悲劇的な愛を軸に展開する。
両班(貴族)の父と奴婢の母の間に生まれた出生の秘密を背負う黄真伊が、妓生になるため自分の体を徐敬徳に捧げる
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/12/28/20031228000037.html
これは メッセージ 406 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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