Re: れRe: 民藝運動の父 柳宗悦
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2008/09/02 21:06 投稿番号: [1231 / 1329]
>>李朝工芸との出会いによって 開眼された柳の目は、自国日本へと向けられていきます。
>自国の工芸美術の良さを知り尽くしていたから、よそにも目が行った、って思う
のが自然でしょうに
そうですね。
木喰研究とか日本のあまり注目されてなかったものにもスポットライトを当てて世に知らせた人ですから、
朝鮮美術もそういう感じで・・・ということだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%AE%97%E6%82%A6>殆どの日本文化人が、朝鮮文化に興味を示さない
というのは、支配する側だから見下してたとかそういうのではなくて、
やっぱり全体的みると、明治維新を迎えた日本から李朝末期を観ると、朝鮮半島は文化面や経済面でもみすぼらしかったからなのでは?となんとなく思っているのですが。
朝鮮側が柳宗悦(やなぎ むねよし)を好きなのは、
1919年3月1日に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する日本政府の弾圧に志対し、「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である。」と批判してくれたことでしょうか。
あの時代に朝鮮が独立したら、列強の中、どう生き延びていけるか考えもせずに、
言ってるのだから、けっこう無責任かもしれませんが。
結局、アジアの中で稀有に独立を保ってる日本の状態を柳宗悦はわかってないってことですね。
>1924年、京城(現:ソウル)に朝鮮民族美術館を設立。朝鮮の文化にも深い理解を寄せ、京城において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮の光化門が取壊されそうになると、これに反対する評論「失はれんとする一朝鮮建築のために」を雑誌『改造』に寄稿した。これが大きな反響を呼び、光化門は移築、保存された。
これは メッセージ 1229 (red_mangou さん)への返信です.
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