Re: 太祖・李成桂はモンゴル軍閥だった!?
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2007/12/24 02:35 投稿番号: [1075 / 1329]
>李成桂の高祖父(祖父の祖父)李安社(イ・アンサ)は全州を離れ、豆満江流域の斡東地域に定着した後、
1255年に5000戸の千戸長とダルガチ(元の地方役人)の地位を元皇帝から下賜されている。
>この事実について、尹博士は「千戸長はモンゴル族でなければほとんど任命される事のない高位の官吏であり、
事実上、李安社がオッチギン家から認められた軍閥勢力に成長していた証拠と見るべきだ」と語った。
いや、別に千戸長なら、創業期はいざ知らず、拡張期には非モンゴル部(モンゴル「族」は存在しない)でも任命されてるし・・・
1206年の「大モンゴル」誕生時、「千人隊」は「95個」(「元朝秘史」)でしたが、チンギス他界後の1227年には「129個」(「集史」)
西方に展開したジュチ・ウルスは当初4個の千人隊のみでしたが。
ホラズム・シャー王国の滅亡後4年目の「西征」で、80〜120個の千人隊を保有しましたし。
そう言う意味では、在地勢力に対し、安全・経済保障と地位を与えて、人材を供給させ、彼等もまた「モンゴル」とするのが、「モンゴル」の方針でしたし。
まぁ、李成桂の先祖もそう言う意味で「モンゴル」となったのでしょうか。
>「モンゴル世界帝国の中心地である北東アジアで、13世紀から14世紀に起きた激変の歴史の総体的果実として生まれた王朝が朝鮮王朝だ。
まぁ、この説には賛成です。
「自己完結」した歴史の結果は存在しませんから。
>朝鮮王朝は表面では親明事大を標榜していたにもかかわらず、パックス・モンゴリア体制の中心である北方遊牧帝国の伝統を事実上維持し続けていた」と尹博士は語った。
「伝統を基盤」は、どうなのだろう・・・・・?
正直、牧民諸族が形成した諸国家の伝統とは、些かかけ離れている節も多々見受けられるけど・・・
これは メッセージ 1074 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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