北への警戒心が弱まり心配
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/01/22 06:26 投稿番号: [999 / 2701]
金新朝牧師「北朝鮮への警戒心が弱まり心配」
21日は1968年の‘1・21事態’からちょうど40年になる日だ。 当時侵入した北朝鮮特捜部隊員31人のうち、金新朝(キム・シンジョ、66)氏だけが唯一、生存した。 金氏は現在、京畿道南楊州市(キョンギド・ナムヤンジュシ)のソンラクサムボン教会の担任牧師。 91年にソウル浸礼新学校を卒業した後、97年に牧師の按手を受けた。 その後、現実問題に一定の距離を置いていた。
17日に教会で会った金牧師は「私はなにぶん北朝鮮の立場では敵なので、この10年間は政府の対北朝鮮政策に冷水を浴びせるのではないかと心配し、北朝鮮批判を自制してきた」と語り始めた。 そして「最近、韓国国民の間で北朝鮮への警戒心があまりにも弱まっているようで心配」と強調した。
金牧師は「当時、韓国は国防力や経済水準で北朝鮮よりも劣っていた。 逮捕された後、‘朴正煕(パク・ジョンヒ)の首を取りに来た’と叫んだことで刺激され、国防力が補強され、経済も発展することになった」とし、自身の‘寄与論’を強調したりもした。 感懐を尋ねると、「自由というものが何か知っていた。 努力すれば成し遂げられる社会で暮らすというのが幸せだ」と答えた。
転向後、民間企業でも働いた金牧師は70年10月、手紙で慰労してくれた夫人と結婚し、息子と娘が1人ずついる。
以下は一問一答。
−−牧師は按手後、メディアとの接触を避けてきたが。
「その間、北朝鮮に一方的に与えながら、変化したことはあるだろうか。 一方的な対北朝鮮支援政策は北朝鮮政権の寿命を延ばしただけで、住民はさらに飢えている。 今は黄長菀(ファン・ジャンヨプ、85、元労働党秘書)と一緒に言いたいことを言う」
−−転向後、韓国社会への適応に苦労が多かったと思うか。
「うまく暮らしていこうとしたが、どうすればいいのか分からなかった。 最近、脱北者が韓国に来て苦労するのも同じ理由だ。 私は特攻隊の中で、体力も思想も誰よりも優れていた。 そういう人間が転向してこの地に適応するのはどれほど難しいことか」
−−侵入中、京畿道坡州(キョンギド・パジュ)の山で出会った市民4人を解放し、‘人間的’という評価もあった。
「殺そうという意見もあったが、あまりにも田舎だったので申告する所もないだろうと判断し、解放した。 実際、冬だったので、凍った土を掘って埋めるのも大変だった。 後になって分かったが、その市民が申告していた。 本当の愛国者だ」
金牧師は転向後も1年間に何度か自分が侵入した仁王山(インワンサン)と北岳山(ブクアクサン)を訪れる。 当初は軍作戦関係者と一緒に訪れていたが、現在は健康管理のために山を登っているという。
「当時は山の中の一本道だったが、今では6車線の道路になっている。 自分が捕まった場所も正確に探せない。 それほどこの都市が発展したということでしょう」。
◇1・21事態=1968年1月21日夜、北朝鮮特殊部隊‘124部隊’所属31人が手投げ弾および機関短銃で武装して休戦ラインを越え、ソウル市内まで侵入した。 韓国軍の服装をした部隊員らは洗剣亭(セコムジョン)峠の紫霞門(チャハムン)を通過するところで、警察と激しい交戦を繰り広げた後、逃走した。 その後、京畿北部一帯で1月末まで交戦が続き、31人のうち28人が射殺され、金新朝氏は逮捕された。
チェ・ソンウク記者
2008.01.21 19:26:33
しかし、偉そうに。
21日は1968年の‘1・21事態’からちょうど40年になる日だ。 当時侵入した北朝鮮特捜部隊員31人のうち、金新朝(キム・シンジョ、66)氏だけが唯一、生存した。 金氏は現在、京畿道南楊州市(キョンギド・ナムヤンジュシ)のソンラクサムボン教会の担任牧師。 91年にソウル浸礼新学校を卒業した後、97年に牧師の按手を受けた。 その後、現実問題に一定の距離を置いていた。
17日に教会で会った金牧師は「私はなにぶん北朝鮮の立場では敵なので、この10年間は政府の対北朝鮮政策に冷水を浴びせるのではないかと心配し、北朝鮮批判を自制してきた」と語り始めた。 そして「最近、韓国国民の間で北朝鮮への警戒心があまりにも弱まっているようで心配」と強調した。
金牧師は「当時、韓国は国防力や経済水準で北朝鮮よりも劣っていた。 逮捕された後、‘朴正煕(パク・ジョンヒ)の首を取りに来た’と叫んだことで刺激され、国防力が補強され、経済も発展することになった」とし、自身の‘寄与論’を強調したりもした。 感懐を尋ねると、「自由というものが何か知っていた。 努力すれば成し遂げられる社会で暮らすというのが幸せだ」と答えた。
転向後、民間企業でも働いた金牧師は70年10月、手紙で慰労してくれた夫人と結婚し、息子と娘が1人ずついる。
以下は一問一答。
−−牧師は按手後、メディアとの接触を避けてきたが。
「その間、北朝鮮に一方的に与えながら、変化したことはあるだろうか。 一方的な対北朝鮮支援政策は北朝鮮政権の寿命を延ばしただけで、住民はさらに飢えている。 今は黄長菀(ファン・ジャンヨプ、85、元労働党秘書)と一緒に言いたいことを言う」
−−転向後、韓国社会への適応に苦労が多かったと思うか。
「うまく暮らしていこうとしたが、どうすればいいのか分からなかった。 最近、脱北者が韓国に来て苦労するのも同じ理由だ。 私は特攻隊の中で、体力も思想も誰よりも優れていた。 そういう人間が転向してこの地に適応するのはどれほど難しいことか」
−−侵入中、京畿道坡州(キョンギド・パジュ)の山で出会った市民4人を解放し、‘人間的’という評価もあった。
「殺そうという意見もあったが、あまりにも田舎だったので申告する所もないだろうと判断し、解放した。 実際、冬だったので、凍った土を掘って埋めるのも大変だった。 後になって分かったが、その市民が申告していた。 本当の愛国者だ」
金牧師は転向後も1年間に何度か自分が侵入した仁王山(インワンサン)と北岳山(ブクアクサン)を訪れる。 当初は軍作戦関係者と一緒に訪れていたが、現在は健康管理のために山を登っているという。
「当時は山の中の一本道だったが、今では6車線の道路になっている。 自分が捕まった場所も正確に探せない。 それほどこの都市が発展したということでしょう」。
◇1・21事態=1968年1月21日夜、北朝鮮特殊部隊‘124部隊’所属31人が手投げ弾および機関短銃で武装して休戦ラインを越え、ソウル市内まで侵入した。 韓国軍の服装をした部隊員らは洗剣亭(セコムジョン)峠の紫霞門(チャハムン)を通過するところで、警察と激しい交戦を繰り広げた後、逃走した。 その後、京畿北部一帯で1月末まで交戦が続き、31人のうち28人が射殺され、金新朝氏は逮捕された。
チェ・ソンウク記者
2008.01.21 19:26:33
しかし、偉そうに。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbbe5hu_1/999.html