代案教科書には満足できない
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/04/21 04:55 投稿番号: [1294 / 2701]
記事入力 : 2008/04/20 18:47:42
【コラム】代案教科書には満足できない
教科書フォーラムが発行した『代案教科書 韓国近・現代史』について激しい論争が巻き起こっている。歴史教育の左傾化を心配していた多くの国民は、権威ある学者たちが大韓民国の歩んできた道を肯定的な観点から記述した教科書の出現を歓迎した。その一方で左派学界やマスコミは強く批判しており、中立的な立場の勢力からも、内容の一部について不満の声が出ている。
代案教科書に対する批判の中には、批判というよりも公然のひぼうというべきものもある。一部の新聞やメディアが代案教科書について、日本帝国主義の侵略を美化する日本の扶桑社の歴史教科書とよく似ていると主張しているのが典型的なものだろう。日本帝国主義を露骨に擁護し、日本でさえも悪名高い扶桑社の教科書を引き合いに出すことによって、代案教科書のイメージをおとしめようとしているのだ。歴史学界は代案教科書について、歴史学者が執筆に参加していないため、教科書としての必要条件を満たしていないと主張している。しかしこの批判も、他の学問領域との交流を拒否し、自ら井の中のかわずであろうとする歴史学界の病弊を告白しているにすぎない。歴史は歴史学者の占有物ではない。内容の深みや視野の広さが問題の本質であり、執筆者が歴史学者かどうかは枝葉末節的な話だ。
代案教科書を高く評価しつつも、全面的に賛同できないという人たちは、代案教科書がこれまでの教科書の問題点を意識し過ぎて、あまりにも反対の立場に傾いているのではないかという点を心配している。このような指摘には一理ある。日本による統治が行われた期間に経済が成長し、近代文明が導入されたという「植民地近代化論」に近い立場で説明された日帝時代についての記述が、まずは問題となっている。しかし、それ以外にもバランスが失われていると思われる個所が少なくない。大韓帝国の歴史的意義をまったく認めていない点や、韓末から1950年代までについて解説のための囲み欄を三つも設けながらも、李承晩(イ・スンマン)大統領や臨時政府についての説明が不十分な点などもその一つの例だ。近代化の流れを朴正熙(パク・チョンヒ)中心としてだけ記述しようとしたことから、それ以外の民族運動の流れや人物が目に留まりにくくなっている。
このような結果になったのは、12人にもなる執筆者の立場や記述が十分に調整されていなかったからだ。執筆陣は、大韓民国を否定的に見る現行の教科書に対して不満を持つという点では一致しているが、歴史観においてはかなりの違いがある。それぞれが担当した部分を、自分の考えを基に書き下ろし、その後に本全体の大枠を定めようとする中で、説明された内容と観点を統一し、バランスを取るのに問題が生じたようだ。
教育現場で行われている時代錯誤的な歴史教育に対して、誰もが不満を持ちながらどうしようもできなかったときに、これを修正しようとした勇気ある学者たちによる最初の作品が代案教科書だ。この教科書は韓国近・現代史の展開を、韓半島(朝鮮半島)という枠組みの中の狭い因果関係だけで説明しようとするものではない。そこからさらに視野を広げ、韓半島に押し寄せていた世界史的な変化をその時代の背景として記述している。2004年に問題となった左寄りの韓国近・現代史教科書の欠陥が、単に理念的な偏向だけでなく、民族という観点だけにとらわれた自閉的な歴史観にもあったということを考慮すると、これは確かにある種の進展だといえるだろう。
しかし今後教科書フォーラムは、代案教科書に対する世間の熱い関心を考慮に入れた上で、より完成度の高い教科書を作り続ける責任がある。代案教科書はその端書きで、「史実が誤っていれば修正し、歴史観が偏向していればそれも修正したい」と明確にしている。そのような謙虚な姿勢で、健全な常識を持った大韓民国の国民が安心して読むことのできる教科書を作るという出発のときの思いを、もう一度新たにしてもらいたい。
李先敏(イ・ソンミン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
>国民が安心して読むことのできる教科書
爆笑!
【コラム】代案教科書には満足できない
教科書フォーラムが発行した『代案教科書 韓国近・現代史』について激しい論争が巻き起こっている。歴史教育の左傾化を心配していた多くの国民は、権威ある学者たちが大韓民国の歩んできた道を肯定的な観点から記述した教科書の出現を歓迎した。その一方で左派学界やマスコミは強く批判しており、中立的な立場の勢力からも、内容の一部について不満の声が出ている。
代案教科書に対する批判の中には、批判というよりも公然のひぼうというべきものもある。一部の新聞やメディアが代案教科書について、日本帝国主義の侵略を美化する日本の扶桑社の歴史教科書とよく似ていると主張しているのが典型的なものだろう。日本帝国主義を露骨に擁護し、日本でさえも悪名高い扶桑社の教科書を引き合いに出すことによって、代案教科書のイメージをおとしめようとしているのだ。歴史学界は代案教科書について、歴史学者が執筆に参加していないため、教科書としての必要条件を満たしていないと主張している。しかしこの批判も、他の学問領域との交流を拒否し、自ら井の中のかわずであろうとする歴史学界の病弊を告白しているにすぎない。歴史は歴史学者の占有物ではない。内容の深みや視野の広さが問題の本質であり、執筆者が歴史学者かどうかは枝葉末節的な話だ。
代案教科書を高く評価しつつも、全面的に賛同できないという人たちは、代案教科書がこれまでの教科書の問題点を意識し過ぎて、あまりにも反対の立場に傾いているのではないかという点を心配している。このような指摘には一理ある。日本による統治が行われた期間に経済が成長し、近代文明が導入されたという「植民地近代化論」に近い立場で説明された日帝時代についての記述が、まずは問題となっている。しかし、それ以外にもバランスが失われていると思われる個所が少なくない。大韓帝国の歴史的意義をまったく認めていない点や、韓末から1950年代までについて解説のための囲み欄を三つも設けながらも、李承晩(イ・スンマン)大統領や臨時政府についての説明が不十分な点などもその一つの例だ。近代化の流れを朴正熙(パク・チョンヒ)中心としてだけ記述しようとしたことから、それ以外の民族運動の流れや人物が目に留まりにくくなっている。
このような結果になったのは、12人にもなる執筆者の立場や記述が十分に調整されていなかったからだ。執筆陣は、大韓民国を否定的に見る現行の教科書に対して不満を持つという点では一致しているが、歴史観においてはかなりの違いがある。それぞれが担当した部分を、自分の考えを基に書き下ろし、その後に本全体の大枠を定めようとする中で、説明された内容と観点を統一し、バランスを取るのに問題が生じたようだ。
教育現場で行われている時代錯誤的な歴史教育に対して、誰もが不満を持ちながらどうしようもできなかったときに、これを修正しようとした勇気ある学者たちによる最初の作品が代案教科書だ。この教科書は韓国近・現代史の展開を、韓半島(朝鮮半島)という枠組みの中の狭い因果関係だけで説明しようとするものではない。そこからさらに視野を広げ、韓半島に押し寄せていた世界史的な変化をその時代の背景として記述している。2004年に問題となった左寄りの韓国近・現代史教科書の欠陥が、単に理念的な偏向だけでなく、民族という観点だけにとらわれた自閉的な歴史観にもあったということを考慮すると、これは確かにある種の進展だといえるだろう。
しかし今後教科書フォーラムは、代案教科書に対する世間の熱い関心を考慮に入れた上で、より完成度の高い教科書を作り続ける責任がある。代案教科書はその端書きで、「史実が誤っていれば修正し、歴史観が偏向していればそれも修正したい」と明確にしている。そのような謙虚な姿勢で、健全な常識を持った大韓民国の国民が安心して読むことのできる教科書を作るという出発のときの思いを、もう一度新たにしてもらいたい。
李先敏(イ・ソンミン)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
>国民が安心して読むことのできる教科書
爆笑!
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