李承晩

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町の運命を変えたニダ 2

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/02 06:45 投稿番号: [1057 / 2701]
  50年6月、38度線に向かう兵士や戦車の姿が日ごとに増えているなと思っていたら、間もなく戦争が始まった。通っていた高等中学校の上級生や同級生が徴兵で連れていかれた。金さんは身を隠したが、父が監禁されたと聞いて自首。人民軍兵として戦車隊とともに南に進んだ。ソウルの漢江(ハンガン)をこえたが、米軍の反撃にあって後退。約100日ぶりに鉄原に戻ったとき、山を越えて脱走した。翌年、避難先の米空軍基地でバーテンダーの職を見つけた。

   ある時、客の将校が誇らしげに戦果を語っていた。爆撃した場所を聞いて耳を疑った。「トライアングル」。激しい攻防戦の続く鉄原平野は当時、「鉄の三角地」と呼ばれていた。「わたしの仕事場の部隊が、わたしのふるさとを爆撃している。人生はなんて無常なのだと思いました」

   米ソを後ろ盾に48年、半島に南北二つの政権ができた。大韓民国(韓国)の李承晩(イ・スンマン)大統領も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成首相も、相手への侵攻を考えていた。38度線を挟んで双方の軍隊が向きあい、ときに武力衝突も起きた。「いずれ戦争は避けられなかった」。鉄原で会った戦争体験者は異口同音に当時の空気を語った。

■「北に協力」と連行、農民ら153人を銃殺

  同じ民族同士の戦争は、米国のマッカーサー率いる国連軍と中国軍の参戦で大規模な国際戦となった。前線は南に北に行ったり来たりを繰り返し、民衆はそのたびに着の身着のままで避難し、あるいは生きるために時の占領者に従うしかなかった。

  ソウル郊外の高陽市(コヤンシ)。幹線道沿いの小高い丘をあがると、井戸のような暗く深い穴がぽっかりと空いていた。95年、ここから153人分の遺骨が出てきた。

  朝鮮戦争が始まって数日で一帯は北朝鮮の支配下に落ちたが、3カ月足らずで再び韓国が奪還した。「敵に協力した」として農民らが右翼団体や警察の手で連行され、穴の前で次々と銃殺された。犠牲者には少年少女もいた。遺族らの訴えで調査した国の独立機関「真実と和解のための過去事整理委員会」(真実・和解委員会)は昨年、「警察による不法な集団銃殺事件だった」と認め、国の公式謝罪を勧告した。

  冷戦下の戦争はイデオロギー対立を背景に多くの惨劇を招いた。米軍による虐殺事件も起きた。市民団体は、朝鮮戦争前後の民間人虐殺の犠牲者は100万人に及ぶとみるが、90年代前半まで続いた軍人出身の大統領のもとでは、遺族は沈黙を強いられた。

  真実・和解委員会の常任委員として集団虐殺の解明に取り組んだ金東椿(キム・ドンチュン)・聖公会大教授は、民衆にとっては虐殺こそが戦争だった、と指摘したうえでこう述べた。

  「虐殺に加担した警察や右翼団体には日本の植民地支配への協力者が多かった。米ソが38度線を引いたのも日本軍の武装解除のためだった。分断と戦争の悲劇は植民地支配の遺産でもあるのです」


3に続きます。
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