町の運命を変えたニダ 1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/02/02 06:44 投稿番号: [1056 / 2701]
二つの線が町の運命を変えた
鉄原1945〜1953
ふたつの線が、ある町とその住民の運命を変えた。
日本の敗戦後の1945年9月、米国とソ連が占領地域をわけるために引いた38度線。そして朝鮮戦争での激しい攻防戦の末、53年7月に引かれた軍事境界線だ。最初は北側の、次に南側の国の一部となる。分断に運命を揺さぶられた町は今、どうなっているのか。私は韓国に向かった。
× × ×
その町は鉄原(チョルウォン)。朝鮮半島の「へそ」と言っていいほど、ちょうど真ん中にある。広大で豊かな平野部の中心にあり、古くから交通の要所だった。日本の植民地支配下にあった1914年、現在のソウルと東朝鮮湾に臨む元山(ウォンサン)を結ぶ京元(キョンウォン)線が鉄原を通ってできた。景勝地の金剛山(クムガンサン)まで延びる別の鉄路の出発地にもなった。鉄原駅前には銀行や商店が軒を連ね、町には病院や劇場もあり、上水道も整備された。約2万人が暮らす内陸の中心として栄えた。
にぎやかだっただろうその場所を、郷土史を調べている金栄圭(キム・ヨンギュ)さん(45)と回った。38度線から北に約30キロ。雪の残る農地と低木、枯れ草が広がり、タンチョウやマナヅルが羽を休めている。のどかな風景だが、韓国兵の立つ検問所と「地雷」と赤い看板のかかる鉄条網が、軍事境界線に近いことを教えてくれた。視界に入る数キロ先の北の山並みは北朝鮮である。
かつての駅前の目ぬき通りには、壁が黒く焼けただれ、無数の弾痕の穴があいた廃虚がぽつんと立っていた。金さんは「朝鮮戦争での激しい市街戦と爆撃で町は消えました。いまも民間人が自由に出入りできない区域にあるため、戦争の傷跡がそのまま残っているのです」と説明してくれた。
日本統治下に生まれ、朝鮮戦争まで駅前の繁華街に暮らした金松一(キム・ソンイル)さん(77)が語る半生は、ふたつの線に揺さぶられた人々の運命の悲哀を鮮やかに伝える。
45年の解放で日本兵が消えたと思ったのもつかの間、町にはソ連兵があらわれた。半島の中心部にあった町は住民の知らぬ間に大国が引いた線の北側に入り、両陣営がにらみ合う最前線の町になった。
翌年、住民を動員して北朝鮮の労働党の庁舎がつくられ、町のあちこちに金日成(キム・イルソン)の肖像画が掲げられた。38度線は北朝鮮の人民軍が警備し、南側との自由な往来もできなくなった。「日本語を覚えさせられたと思ったら、今度は共産思想。わたしたちはただ従うしかなかった」
2に続きます。
ふたつの線が、ある町とその住民の運命を変えた。
日本の敗戦後の1945年9月、米国とソ連が占領地域をわけるために引いた38度線。そして朝鮮戦争での激しい攻防戦の末、53年7月に引かれた軍事境界線だ。最初は北側の、次に南側の国の一部となる。分断に運命を揺さぶられた町は今、どうなっているのか。私は韓国に向かった。
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その町は鉄原(チョルウォン)。朝鮮半島の「へそ」と言っていいほど、ちょうど真ん中にある。広大で豊かな平野部の中心にあり、古くから交通の要所だった。日本の植民地支配下にあった1914年、現在のソウルと東朝鮮湾に臨む元山(ウォンサン)を結ぶ京元(キョンウォン)線が鉄原を通ってできた。景勝地の金剛山(クムガンサン)まで延びる別の鉄路の出発地にもなった。鉄原駅前には銀行や商店が軒を連ね、町には病院や劇場もあり、上水道も整備された。約2万人が暮らす内陸の中心として栄えた。
にぎやかだっただろうその場所を、郷土史を調べている金栄圭(キム・ヨンギュ)さん(45)と回った。38度線から北に約30キロ。雪の残る農地と低木、枯れ草が広がり、タンチョウやマナヅルが羽を休めている。のどかな風景だが、韓国兵の立つ検問所と「地雷」と赤い看板のかかる鉄条網が、軍事境界線に近いことを教えてくれた。視界に入る数キロ先の北の山並みは北朝鮮である。
かつての駅前の目ぬき通りには、壁が黒く焼けただれ、無数の弾痕の穴があいた廃虚がぽつんと立っていた。金さんは「朝鮮戦争での激しい市街戦と爆撃で町は消えました。いまも民間人が自由に出入りできない区域にあるため、戦争の傷跡がそのまま残っているのです」と説明してくれた。
日本統治下に生まれ、朝鮮戦争まで駅前の繁華街に暮らした金松一(キム・ソンイル)さん(77)が語る半生は、ふたつの線に揺さぶられた人々の運命の悲哀を鮮やかに伝える。
45年の解放で日本兵が消えたと思ったのもつかの間、町にはソ連兵があらわれた。半島の中心部にあった町は住民の知らぬ間に大国が引いた線の北側に入り、両陣営がにらみ合う最前線の町になった。
翌年、住民を動員して北朝鮮の労働党の庁舎がつくられ、町のあちこちに金日成(キム・イルソン)の肖像画が掲げられた。38度線は北朝鮮の人民軍が警備し、南側との自由な往来もできなくなった。「日本語を覚えさせられたと思ったら、今度は共産思想。わたしたちはただ従うしかなかった」
2に続きます。
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