李舜臣1
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2010/12/22 17:59 投稿番号: [3856 / 4504]
記事入力 : 2010/12/22 16:15:17
李舜臣将軍の銅像、再制作をめぐり攻防
補修作業を行うため、ソウル・光化門広場から一時的に撤去されていた李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が、40日ぶりにその力強い姿を披露する。先月14日から京畿道利川市で欠陥や亀裂などの修理、内部の補強、細工、鍍金など大掛かりな補修作業が行われていた銅像は、22日夜に光化門広場に運ばれ、設置作業を終えた23日朝から、再び市民の前に姿を現す予定だ。
設置作業のため、23日深夜1時から午前7時まで、世宗文化会館前の光化門から市庁方面への3車線が通行止めとなる。銅像の設置を終えた、同日昼12時からは歓迎式典が開催され、勝戦鼓をはじめ、歓迎詩の朗読、海軍儀仗隊と軍楽隊の演奏、全羅道に伝わる民俗舞踊「カンガンスルレ」(重要無形文化財第8号)の公演などが予定されている。
1968年4月に光化門広場に設置された李舜臣将軍の銅像は、制作から42年が過ぎて初めて補修作業が施され、再び元の位置に戻される。しかし同時にさまざまな問題も浮上し、新たに制作すべきとの声も上がっている。銅像が建立された当時から指摘されてきた多くの問題が、今回の補修をきっかけに再び表面化した格好だ。ソウル市議会のムン・サンモ議員は、「徹底した考証を経て、本来のアイデンティティーを取り戻した忠武公・李舜臣将軍の銅像を制作すべきだ」という内容の請願書を提出した。
ソウル市は銅像を改めて制作する問題について、各界の専門家で構成された諮問委員会を立ち上げ、本格的に議論する計画だ。再制作することが決まった場合、42年にわたり光化門を守ってきた従来の姿は歴史の中に消え、新たな李舜臣将軍の銅像が登場することになる。
■李舜臣将軍の銅像を取り巻く五つの論争
「文化財を本来の位置に戻す運動」の事務総長を務めるヘムン僧侶は、以前から李舜臣将軍の銅像をめぐり五つの問題点があると訴えてきた。まずは「銅像が手にしている刀が日本刀」、2番目に「右利きの李舜臣将軍が左手でなく右手に刀を持ち、降伏の意思表示をしている」、3番目は「甲冑が中国式」、4番目は「顔が標準画像に基づくものではなく彫刻家のもの」、5番目に「銅像の前にある太鼓は立ててあるべきなのに、実際は横に倒されている」という点だ。
翰林大学校アジア文化研究所のキム・ヨンチョル研究員は、銅像と亀甲船、座台などを含む造形物全体の形態とその構成が、日本の宮崎県にある日本海軍発祥の地記念碑とよく似ていると指摘する。この記念碑は第2次大戦当時に一時撤去されたが、1962年に復元された。李舜臣将軍の銅像が制作されたのが68年であることから、この記念碑から一部影響を受けた可能性もあるというのだ。
また、「李舜臣将軍の銅像が忠武路でなく、光化門(世宗路)にあるのはおかしい」という指摘もある。これを受けてソウル市は、95年にいったん移転計画を考案したが、反対する声が強く、計画は中止となった。
李舜臣将軍の銅像を取り巻く問題は、70年代から数多くの議論を呼んだ。「歴史考証が不十分」というのがその最も大きな理由だ。79年5月には政府(文化広報部)による審議を経て、新たな銅像の制作方針が取りまとめられた。しかし、美術界の反発や朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領暗殺事件などが重なった影響で、この計画はうやむやになってしまった。現在、学会や専門家の間では、刀が日本刀という点と、中国式甲冑、表情が標準画像に基づくものではないという指摘には幅広い共感が形成されている。
2に続きます。
李舜臣将軍の銅像、再制作をめぐり攻防
補修作業を行うため、ソウル・光化門広場から一時的に撤去されていた李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が、40日ぶりにその力強い姿を披露する。先月14日から京畿道利川市で欠陥や亀裂などの修理、内部の補強、細工、鍍金など大掛かりな補修作業が行われていた銅像は、22日夜に光化門広場に運ばれ、設置作業を終えた23日朝から、再び市民の前に姿を現す予定だ。
設置作業のため、23日深夜1時から午前7時まで、世宗文化会館前の光化門から市庁方面への3車線が通行止めとなる。銅像の設置を終えた、同日昼12時からは歓迎式典が開催され、勝戦鼓をはじめ、歓迎詩の朗読、海軍儀仗隊と軍楽隊の演奏、全羅道に伝わる民俗舞踊「カンガンスルレ」(重要無形文化財第8号)の公演などが予定されている。
1968年4月に光化門広場に設置された李舜臣将軍の銅像は、制作から42年が過ぎて初めて補修作業が施され、再び元の位置に戻される。しかし同時にさまざまな問題も浮上し、新たに制作すべきとの声も上がっている。銅像が建立された当時から指摘されてきた多くの問題が、今回の補修をきっかけに再び表面化した格好だ。ソウル市議会のムン・サンモ議員は、「徹底した考証を経て、本来のアイデンティティーを取り戻した忠武公・李舜臣将軍の銅像を制作すべきだ」という内容の請願書を提出した。
ソウル市は銅像を改めて制作する問題について、各界の専門家で構成された諮問委員会を立ち上げ、本格的に議論する計画だ。再制作することが決まった場合、42年にわたり光化門を守ってきた従来の姿は歴史の中に消え、新たな李舜臣将軍の銅像が登場することになる。
■李舜臣将軍の銅像を取り巻く五つの論争
「文化財を本来の位置に戻す運動」の事務総長を務めるヘムン僧侶は、以前から李舜臣将軍の銅像をめぐり五つの問題点があると訴えてきた。まずは「銅像が手にしている刀が日本刀」、2番目に「右利きの李舜臣将軍が左手でなく右手に刀を持ち、降伏の意思表示をしている」、3番目は「甲冑が中国式」、4番目は「顔が標準画像に基づくものではなく彫刻家のもの」、5番目に「銅像の前にある太鼓は立ててあるべきなのに、実際は横に倒されている」という点だ。
翰林大学校アジア文化研究所のキム・ヨンチョル研究員は、銅像と亀甲船、座台などを含む造形物全体の形態とその構成が、日本の宮崎県にある日本海軍発祥の地記念碑とよく似ていると指摘する。この記念碑は第2次大戦当時に一時撤去されたが、1962年に復元された。李舜臣将軍の銅像が制作されたのが68年であることから、この記念碑から一部影響を受けた可能性もあるというのだ。
また、「李舜臣将軍の銅像が忠武路でなく、光化門(世宗路)にあるのはおかしい」という指摘もある。これを受けてソウル市は、95年にいったん移転計画を考案したが、反対する声が強く、計画は中止となった。
李舜臣将軍の銅像を取り巻く問題は、70年代から数多くの議論を呼んだ。「歴史考証が不十分」というのがその最も大きな理由だ。79年5月には政府(文化広報部)による審議を経て、新たな銅像の制作方針が取りまとめられた。しかし、美術界の反発や朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領暗殺事件などが重なった影響で、この計画はうやむやになってしまった。現在、学会や専門家の間では、刀が日本刀という点と、中国式甲冑、表情が標準画像に基づくものではないという指摘には幅広い共感が形成されている。
2に続きます。
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