文化宗主国2
投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2007/05/07 13:47 投稿番号: [58823 / 60270]
次に焼き物の話でもしましょうか。
分かりやすいところで、有田焼について書きます。
有田焼の歴史は朝鮮から連れて来られたか、自分からすすんできたのかわからない李参平という御仁が1616年に磁器に使える石を見つけたことから始まります。
と、一般には言われています。
いや、もっと前から作られていたよ・・・という意見もありますが、李参平が有田焼に及ぼした影響というのはやはり大きいです。
しかし、絵付けの技術は中国の磁器を参考にしたと考えられています。
朝鮮半島には絵付けの技法が無いことは無いのですが、17世紀の有田焼を見る限りまったくその影響はありません。
ちなみに、北海道のサンペイ汁というのは、鮭と野菜を煮込んで李参平の器に盛ったことからきているとも言います。
これを見てもわかるとおり、有田の焼き物は主に交易品、献上品として発展していきます。
中国が陶磁器の輸出を禁止していた時期がありまして、代わりといってはなんですが、有田の焼き物は遠くヨーロッパまで辿り着き、マイセンなどに多大な影響を与えます。
初代酒井田柿右衛門は、さんざん苦労して柿右衛門様式を完成させます。この苦労話は歌舞伎になったりもしています。1640年代くらいの出来事でしょうか。
初代柿右衛門は李参平が日本に来る2年くらい前に生まれています。
陶磁器に興味の無い人でも柿右衛門くらいは聞いたことがあるというくらい有名な御仁であります。
歌舞伎の影響か、柿右衛門様式は赤絵ばかり注目されがちなのですが、それとは別に「余白」「濁し手」というのもあります。濁し手とは、乳白色の生地のことを言います。
李参平が磁器に使う石を発見してから20年くらいでもう朝鮮系の焼き物とはまったく違うモノが完成されていることには特筆するべきことです。
さらに時代が下っていくと、狩野派、琳派などの影響もあり、どんどん日本的な器になっていきます。
現在14代酒井田柿右衛門氏がその技と美を継承されておられるわけですが、氏曰く、三代で一人前。
400年も続き、完成度を増してきた柿右衛門様式の全てをたった一人で受け継ぐのは不可能なのだそうです。
時代に合わせて変化し、完成度を増していくのが「文化」というものじゃないですかね。
ちなみに、李参平の窯は6代で廃業。
そのずっと子孫がまた李参平窯を作ったそうですが、私はどうも、先祖の七光りをアテにしているようで好かんですね。
これは メッセージ 58809 (edozaijyu さん)への返信です.
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