植民地化の罪:u26699さん,first kissさん
投稿者: _Lupin_The_Fourth_ 投稿日時: 2001/05/28 23:08 投稿番号: [5150 / 60270]
ディベートとはスポーツやゲームのようなものでしょう。おもしろさはありますが点を入れられることはショックであり時には強い不快感にもおそわれます。だから格闘技にあるような「礼」が大切なのでしょう。
では失礼して私の意見を述べさせていただきます。
>但し。帝国主義まっさかりの時期にそもそも「公正な者の視点」というものが存在したかと言う点については、疑問があります。当時は、弱肉強食がグローバルスタンダードであり、国際社会に秩序が生まれるのは、第1次大戦後の国際連盟の成立以降でしょう。
「弱肉強食の時代だからそれを行った日本帝国は悪くなかった、罪はなかった」とする意見をこのカテゴリーではほんとうによく見かけます。u26699さんはそこまで言うつもりはないかもしれませんが、これについて私見を述べさせていただきます。(弱肉強食についてはFirst_Kiss_16_2001さんからもレスをいただきました。確かにかめレスですが、レスです。)
「弱肉強食の時代だったから帝国主義諸国に罪はない」という考え方は、一種の錯覚だと思います。
なぜそのような錯覚を起こすのかと言えば、2つのことが思い浮かびます。一つは「善悪の判断が多数決で決まると考えていること」、もう一つは、「強い者の意見が多数派であると思いがちなこと」です。
善悪の判断は多数決で決まるのでしょうか?奪おうとする人が多い場合は略奪は良いことで、その逆の場合は悪いことになるなんてことが果たしてあるのでしょうか。あるとすればそれはそう思う人の錯覚でしかないと私は思います。世の中の人間がいっせいにコンビニ強盗をすればそれは罪ではなくなるのでしょうか?善悪の判断はそれを為す者の多寡に無関係であるはずです。
かつ、弱肉強食肯定派が全人類の多数派であったとはわたしにはとうていおもえません。欧米と日本で、いったい当時の全人類のどれだけの割合を占めていたのでしょう。支配する人間がいればかならずそれと同数の、それ以上の支配される人間がいるはずです。支配する人間が相当の強い意欲でもって他の既得物を得ようとするならば、支配される側はそれに相当する強さでもって奪われてはならないと思うはずです。
これは歴史書物の記述の仕方が強く影響していると思います。歴史書物の多くは強者が主語になっているようです。イギリスがインドに進出したという記述は多く見られても、インドがイギリスに進出されたと記述はあまり見たことはありません。どちらの書き方が妥当かと言えばどちらも論理的に間違いはないのでどちらも妥当です。強国が帝国主義によって利益を得てそれを肯定していたならば、略取される側は強くその価値観に反していたはずです。なのにその一方の肯定派だけを取り上げその時代全体の価値観とすることは錯覚以外の何者でもありません。
また、公正な者の視点から考えると他国の植民地化は間違いなく罪と呼べます。
公正な者の視点とは時代や場所に関係なく存在するものと思います。私は「公正な者の視点」とは、全ての人間を同じ価値(あるいは同じ重さ、同じ格)と仮定した場合の視点と考えています。全ての人間を同じ価値と仮定するために時代や場所を選ぶ必要があるとは思えません。
「公正な者の視点」が当時にもあったと主張する根拠のひとつは国内の刑法です。同じ国籍の人どうしに限るわけですが、同じ国の中で他人の既得物を暴力的に奪うことは、「罪」という名の下に罰せられる「公正な者の視点」から見たルール違反であったはずです。
それがこと異国の人々の間に限っては急に帝国主義者達は「公正な視点」を持つことを忘れてしまったというのでしょうか?
支配者は「公正な視点を持っていなかった」のではなく、「公正な視点で人を裁く力を持った第3者がいなかったためにわかっていてルール違反を犯した。」というのが正解だと思います。
弱者から暴力的に既得物を奪うことは、いつの時代のどこの場所でも「公正な者の視点」から見たルール違反です。
以上の理由から、「日本帝国の朝鮮植民地化に罪はある」という命題を考えるとき、それは真であると私は考えます。
だからと言って、1945年より後に生まれた日本人が今現在韓国人に謝罪すべきかどうかについては全くその必要はないと考えています。
では失礼して私の意見を述べさせていただきます。
>但し。帝国主義まっさかりの時期にそもそも「公正な者の視点」というものが存在したかと言う点については、疑問があります。当時は、弱肉強食がグローバルスタンダードであり、国際社会に秩序が生まれるのは、第1次大戦後の国際連盟の成立以降でしょう。
「弱肉強食の時代だからそれを行った日本帝国は悪くなかった、罪はなかった」とする意見をこのカテゴリーではほんとうによく見かけます。u26699さんはそこまで言うつもりはないかもしれませんが、これについて私見を述べさせていただきます。(弱肉強食についてはFirst_Kiss_16_2001さんからもレスをいただきました。確かにかめレスですが、レスです。)
「弱肉強食の時代だったから帝国主義諸国に罪はない」という考え方は、一種の錯覚だと思います。
なぜそのような錯覚を起こすのかと言えば、2つのことが思い浮かびます。一つは「善悪の判断が多数決で決まると考えていること」、もう一つは、「強い者の意見が多数派であると思いがちなこと」です。
善悪の判断は多数決で決まるのでしょうか?奪おうとする人が多い場合は略奪は良いことで、その逆の場合は悪いことになるなんてことが果たしてあるのでしょうか。あるとすればそれはそう思う人の錯覚でしかないと私は思います。世の中の人間がいっせいにコンビニ強盗をすればそれは罪ではなくなるのでしょうか?善悪の判断はそれを為す者の多寡に無関係であるはずです。
かつ、弱肉強食肯定派が全人類の多数派であったとはわたしにはとうていおもえません。欧米と日本で、いったい当時の全人類のどれだけの割合を占めていたのでしょう。支配する人間がいればかならずそれと同数の、それ以上の支配される人間がいるはずです。支配する人間が相当の強い意欲でもって他の既得物を得ようとするならば、支配される側はそれに相当する強さでもって奪われてはならないと思うはずです。
これは歴史書物の記述の仕方が強く影響していると思います。歴史書物の多くは強者が主語になっているようです。イギリスがインドに進出したという記述は多く見られても、インドがイギリスに進出されたと記述はあまり見たことはありません。どちらの書き方が妥当かと言えばどちらも論理的に間違いはないのでどちらも妥当です。強国が帝国主義によって利益を得てそれを肯定していたならば、略取される側は強くその価値観に反していたはずです。なのにその一方の肯定派だけを取り上げその時代全体の価値観とすることは錯覚以外の何者でもありません。
また、公正な者の視点から考えると他国の植民地化は間違いなく罪と呼べます。
公正な者の視点とは時代や場所に関係なく存在するものと思います。私は「公正な者の視点」とは、全ての人間を同じ価値(あるいは同じ重さ、同じ格)と仮定した場合の視点と考えています。全ての人間を同じ価値と仮定するために時代や場所を選ぶ必要があるとは思えません。
「公正な者の視点」が当時にもあったと主張する根拠のひとつは国内の刑法です。同じ国籍の人どうしに限るわけですが、同じ国の中で他人の既得物を暴力的に奪うことは、「罪」という名の下に罰せられる「公正な者の視点」から見たルール違反であったはずです。
それがこと異国の人々の間に限っては急に帝国主義者達は「公正な視点」を持つことを忘れてしまったというのでしょうか?
支配者は「公正な視点を持っていなかった」のではなく、「公正な視点で人を裁く力を持った第3者がいなかったためにわかっていてルール違反を犯した。」というのが正解だと思います。
弱者から暴力的に既得物を奪うことは、いつの時代のどこの場所でも「公正な者の視点」から見たルール違反です。
以上の理由から、「日本帝国の朝鮮植民地化に罪はある」という命題を考えるとき、それは真であると私は考えます。
だからと言って、1945年より後に生まれた日本人が今現在韓国人に謝罪すべきかどうかについては全くその必要はないと考えています。
これは メッセージ 5006 (u26699 さん)への返信です.