>u26699さん(日韓併合に関して):(1)
投稿者: _Lupin_The_Fourth_ 投稿日時: 2001/05/27 16:45 投稿番号: [5003 / 60270]
>u26699さん(日韓併合に関して)
>まず、始めに私自身の個人的な気持ちとして、日韓併合に際して日本が貴国に行ったことに対して謝意を述べさせて頂きます。
*このことに関して、私自身まだ気持ちのなかで明確な整理がついたわけでは無いのですが、現実の世界で、もし韓国の方にお会いした時、日本の戦後教育を受けた者として、そのように答えようと現在考えているからです。
お気遣いありがとうございます。しかし1945年より後に生まれた日本人は個人的な謝罪の必要はないと考えています。
では失礼してあなたの意見に反駁させていただきます。
>日韓併合に関して、日本は公正な者の視点から考えて責められるべきなのか?
日韓併合当時、
韓国国内にも併合を望む勢力(一進会)があった。(KYとします)
同様に、併合に反対する勢力(三.一事件)があった。(KNとします)
日本国内にも併合推進派があった(JYとします)
同様に、併合反対派があった(JNとします)
ここで、KY>KN 且つ JY>JNであったならば、日韓併合は相思相愛のもとに行われたものであり、日本は全く責められるべきでは無いと云えます。
又、KY>KN であれば、日本の国内事情の如何によらず、同様に日本は責められるべきでは無いと考えます。
多数派を肯定する考え方をとるならば上記の考え方は妥当なことでしょう。ただし、「数が多かったからといって、朝鮮の国家主権を廃することに日本に責任はなかったのか」ということに関しては議論の余地があると思います。
三・一独立運動と一進会を対比させるのは適切ではないと思います。一進会と三・一独立運動は時期が違います。(一進会は1904年〜1910年、三・一独立運動は1919年。)かつて一進会の会員でありかつ三・一独立運動に参加したという人々も多かったと思われます。
一進会と対比させるべき団体は義兵や大韓自強会、新民会などでしょう。これらの団体はすべて併合の数年前に活発化したものです。
>実際は、KY>KN であったのか KY<KN であったのか当時の韓国において世論調査等の記録が存在するとは思えませんので、今となってはわかりませんが
「実際にどうであったかはその当時の正確な調査を行ってみない限りわからない」とする考え方はもっとも賢明なものの一つだと思います。
>KY(一進会)の中に、韓国の宰相級の人物が含まれていたことから類推するに、当時は KY>KN であった公算が強いこと。
たしかに一進会は当時の朝鮮半島の中では大きな勢力の一つであったようです。しかし宰相級の人物が含まれていたことを、より多数の勢力であったことの根拠とするには不十分だと思います。また、当時の会員数はそのまま比較するのでは真実の会員数を反映しているとは言えません。なぜなら国権回復を目指す団体は当時の朝鮮統監府から圧力を受けていました。大韓自強会は1907年に早々と解散させられ、新民会は非合法組織とされていました。当時朝鮮統監府は法律を定めて朝鮮の国権回復を主張することを違法と定め取り締まっていました。(保安法)
>および KY>KN、KY<KN は時代によって変遷していると思われることから、貴方のご意見
「時代に関係なく責められるべき行為」との結論は、日韓併合に関しては必ずしも成立しないと考えます。
実際行われた「日韓併合」を望んでいた朝鮮人は、いったいどれだけいたのでしょうか?疑問です。
一進会の望んでいたのは対等な立場としての合邦であり、じっさい行われた併合とは中身の異なるものです。だから、「朝鮮人のなかで、少なくとも一進会の会員は(実際行われたような)日韓併合を望んでいた」という理論さえも成り立たないと思います。
(注:一進会は併合直後に解散させられています。一進会の会員の中には、併合後の朝鮮人にたいする不平等な扱いに対し非難している者がいます。)
(つづく)
>まず、始めに私自身の個人的な気持ちとして、日韓併合に際して日本が貴国に行ったことに対して謝意を述べさせて頂きます。
*このことに関して、私自身まだ気持ちのなかで明確な整理がついたわけでは無いのですが、現実の世界で、もし韓国の方にお会いした時、日本の戦後教育を受けた者として、そのように答えようと現在考えているからです。
お気遣いありがとうございます。しかし1945年より後に生まれた日本人は個人的な謝罪の必要はないと考えています。
では失礼してあなたの意見に反駁させていただきます。
>日韓併合に関して、日本は公正な者の視点から考えて責められるべきなのか?
日韓併合当時、
韓国国内にも併合を望む勢力(一進会)があった。(KYとします)
同様に、併合に反対する勢力(三.一事件)があった。(KNとします)
日本国内にも併合推進派があった(JYとします)
同様に、併合反対派があった(JNとします)
ここで、KY>KN 且つ JY>JNであったならば、日韓併合は相思相愛のもとに行われたものであり、日本は全く責められるべきでは無いと云えます。
又、KY>KN であれば、日本の国内事情の如何によらず、同様に日本は責められるべきでは無いと考えます。
多数派を肯定する考え方をとるならば上記の考え方は妥当なことでしょう。ただし、「数が多かったからといって、朝鮮の国家主権を廃することに日本に責任はなかったのか」ということに関しては議論の余地があると思います。
三・一独立運動と一進会を対比させるのは適切ではないと思います。一進会と三・一独立運動は時期が違います。(一進会は1904年〜1910年、三・一独立運動は1919年。)かつて一進会の会員でありかつ三・一独立運動に参加したという人々も多かったと思われます。
一進会と対比させるべき団体は義兵や大韓自強会、新民会などでしょう。これらの団体はすべて併合の数年前に活発化したものです。
>実際は、KY>KN であったのか KY<KN であったのか当時の韓国において世論調査等の記録が存在するとは思えませんので、今となってはわかりませんが
「実際にどうであったかはその当時の正確な調査を行ってみない限りわからない」とする考え方はもっとも賢明なものの一つだと思います。
>KY(一進会)の中に、韓国の宰相級の人物が含まれていたことから類推するに、当時は KY>KN であった公算が強いこと。
たしかに一進会は当時の朝鮮半島の中では大きな勢力の一つであったようです。しかし宰相級の人物が含まれていたことを、より多数の勢力であったことの根拠とするには不十分だと思います。また、当時の会員数はそのまま比較するのでは真実の会員数を反映しているとは言えません。なぜなら国権回復を目指す団体は当時の朝鮮統監府から圧力を受けていました。大韓自強会は1907年に早々と解散させられ、新民会は非合法組織とされていました。当時朝鮮統監府は法律を定めて朝鮮の国権回復を主張することを違法と定め取り締まっていました。(保安法)
>および KY>KN、KY<KN は時代によって変遷していると思われることから、貴方のご意見
「時代に関係なく責められるべき行為」との結論は、日韓併合に関しては必ずしも成立しないと考えます。
実際行われた「日韓併合」を望んでいた朝鮮人は、いったいどれだけいたのでしょうか?疑問です。
一進会の望んでいたのは対等な立場としての合邦であり、じっさい行われた併合とは中身の異なるものです。だから、「朝鮮人のなかで、少なくとも一進会の会員は(実際行われたような)日韓併合を望んでいた」という理論さえも成り立たないと思います。
(注:一進会は併合直後に解散させられています。一進会の会員の中には、併合後の朝鮮人にたいする不平等な扱いに対し非難している者がいます。)
(つづく)
これは メッセージ 4989 (u26699 さん)への返信です.