>bosintangさんへ(前レスの補足)
投稿者: _Lupin_The_Fourth_ 投稿日時: 2001/05/19 18:08 投稿番号: [4498 / 60270]
植民地化しないだけならそれは自己犠牲的と表現すべきではありません。
「他国を植民地化するという競争」においては、日本は「利己主義的」に行動しました。朝鮮という「他」を不幸に陥れて、植民地という利益を得ました。間違いなく、日本は「そんなことをするくらいなら朝鮮の植民地になってあげる」という自己犠牲的な方針を持っていなかったと言えるでしょう。
では「朝鮮を植民地化しなかった」ならばそれは「自己犠牲的」と言えるのでしょうか?
植民地化しないだけならそれは自己犠牲的と表現すべきではありません。(再記)
自ら日本帝国を朝鮮の植民地とすることによってはじめて自己犠牲的と表現できます。
もしロシアが日本を植民地化しようとした場合、「自己犠牲的」とは「日本が自らロシアの植民地となった場合」にのみ当てはまる言葉ではないでしょうか。その場合、「第3国である朝鮮を利用しないこと」は、やはり自己犠牲的と表現すべきではないと思います。
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うーんくどいですね私の文章。いやなに、今日はひまなんですよ。こっからは気楽に書きます。
利己主義もある程度は許されてある程度は許されないってことなんですかね。受験でも、しっかり勉強してライバルを落第させることは許されても、ライバルを殺害してしまうことはゆるされませんもんね。
いくら競争社会だといったって、その内容によって競争しちゃいけないことってのもあると思いますね。例えば既得物の略奪競争なんかはしちゃまずいですよね。つまり、まだだれのものかも決まっていないオークションなどで、ライバルと値段のつり上げ競争するのはいいとしても、隣の家と財産の略奪競争なんかしちゃまずいってことです。
いくら私でも「自己犠牲的に生きるのは死に等しいから」なんて言いながら隣の家のものを片っ端から我が家の倉庫に放り込んだりはしないつもりです。
帝国主義が否定されるべきであるのは、その競争が既得物の略奪競争だからというのもあるんじゃないですかね。
これは メッセージ 4469 (bosintang さん)への返信です.
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