東京裁判における未提出資料(2
投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/01/04 17:59 投稿番号: [32828 / 60270]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000549&tid=jf9qa4nbpa5fa5mc0oaha4k4xoa2a47a4f&sid=2000549&mid=1865
我々の提出せんとする証拠は、次の事実を指摘するものであります。日本は大体カリフォルニア州位の面積があり、その大部分は峨々たる山岳に覆われ、耕作地は全土の16%を超えず、しかも耕作地の多くが、15度或はそれ以上の傾斜を持っているので農業は非常な困難を伴っております。日本政府は、年々の著しい人口増加に対して、日本国土内の耕作地がその人口を支えて行くに不充分であると云うことを夙に悟りました。日本内地の人口は1884年に37,689,000だったものが1940年には73,114,000に増加しました。過去10年間においては、毎年80万から100万の割合で増加していたのであります。耕作地のみを対象としたとき、人口の密度は日本が世界第1であります。
日本の政府は、この人口問題の解決を試み、先ず第1に、耕作面積の拡大による食糧の増産を行い、ある程度までこの方面で成功しました。第2の方法は朝鮮や台湾における拓殖の奨励であり、これもある程度成功しました。第3の方法は事態改良のための海外移民の奨励でありましたが、之は失敗しました。その主な原因の1つは、欧米諸国が之に対して築いた障壁でありました。日本が採った最後の手段は国内の工業化と海外貿易でありました。日本の工業化に関連して、日本特有の工業と、西洋諸国から伝えられた種類の商品を製造する工業とを我々は証明するでありましょう。
日本の工業化は徐々に進展したのであります。それは軍国主義を目的としたものでもなく、また軍国主義に転換できるよう準備されたものでもありません。日本が島国であり、平常の経済を維持するのに必要な鉱物その他の原料の何物をも自ら持たないが故に、これらの原料を世界の諸処から輸入し、更に之を製品として輸出しなければならなかったのであります。これらの重要な輸入品の支払いに必要な外国為替を得るために日本は輸出をしなければなりませんでした。其の輸出貿易の情況如何が日本の輸入能力の大部分を事実上決定したのであります。
斯く日本産業の発展能力は自動的に外国為替事情のために制限されたのでありますが、この為替相場事情は少なくとも1925年(大正14年)から1940年(昭和15年)に至る間絶えず深刻なものでありました。日本は綿を持たず、羊毛も殆どなく、又治金用石炭を有せず、牧牛及び牛皮は無に等しく、ゴムはなく、含有鉄量の充分な鉄鋼を有せず、銅も不充分、錫、亜鉛及びアルミニウムの製造の主要原料たるボーキサイトに事欠き、食糧生産不充分にして、且又木材及び建築用材の欠乏甚だしき等、之を普通の国民的経済及び生活維持の見地からするも、又他方、幾らかの自衛能力を維持するの見地からするも、多くの点において日本は、経済的に他から圧力を受け易い状態にありました。
此所に我々が提出せんとする研究資料は1928年(昭和3年)より1939年(昭和14年)に至る間の日本の生産、輸入、輸出及び重要産業の消費を指示するのでありますが、ある場合は比較参照のために1945年(昭和20年)迄の資料が附加されております。この研究は各種産業を含んでいますが、就中(ナカンズク)鉄鋼、石油、綿、羊毛、ゴム、牛皮、治金用石炭、鉄鋼、屑鉄、銅、亜鉛、セメント、食糧、材木、電気器具、戦車、航空機、トラック、自転車、造船業、海運業の如く国民経済及び自衛能力に直接関係のある産業を取扱っています。真珠湾攻撃の際に日本が有していた産業能力は中位の自衛力の維持に辛うじて間に合う程度のものであり、又その日暮らしではあるが進歩的な生活を少なくも過去20ヵ年間に亙って事実上営んできた貧困な国民経済の必要とする物資を、辛うじて調え得るに過ぎなかったのであります。
我々の提出せんとする証拠は、次の事実を指摘するものであります。日本は大体カリフォルニア州位の面積があり、その大部分は峨々たる山岳に覆われ、耕作地は全土の16%を超えず、しかも耕作地の多くが、15度或はそれ以上の傾斜を持っているので農業は非常な困難を伴っております。日本政府は、年々の著しい人口増加に対して、日本国土内の耕作地がその人口を支えて行くに不充分であると云うことを夙に悟りました。日本内地の人口は1884年に37,689,000だったものが1940年には73,114,000に増加しました。過去10年間においては、毎年80万から100万の割合で増加していたのであります。耕作地のみを対象としたとき、人口の密度は日本が世界第1であります。
日本の政府は、この人口問題の解決を試み、先ず第1に、耕作面積の拡大による食糧の増産を行い、ある程度までこの方面で成功しました。第2の方法は朝鮮や台湾における拓殖の奨励であり、これもある程度成功しました。第3の方法は事態改良のための海外移民の奨励でありましたが、之は失敗しました。その主な原因の1つは、欧米諸国が之に対して築いた障壁でありました。日本が採った最後の手段は国内の工業化と海外貿易でありました。日本の工業化に関連して、日本特有の工業と、西洋諸国から伝えられた種類の商品を製造する工業とを我々は証明するでありましょう。
日本の工業化は徐々に進展したのであります。それは軍国主義を目的としたものでもなく、また軍国主義に転換できるよう準備されたものでもありません。日本が島国であり、平常の経済を維持するのに必要な鉱物その他の原料の何物をも自ら持たないが故に、これらの原料を世界の諸処から輸入し、更に之を製品として輸出しなければならなかったのであります。これらの重要な輸入品の支払いに必要な外国為替を得るために日本は輸出をしなければなりませんでした。其の輸出貿易の情況如何が日本の輸入能力の大部分を事実上決定したのであります。
斯く日本産業の発展能力は自動的に外国為替事情のために制限されたのでありますが、この為替相場事情は少なくとも1925年(大正14年)から1940年(昭和15年)に至る間絶えず深刻なものでありました。日本は綿を持たず、羊毛も殆どなく、又治金用石炭を有せず、牧牛及び牛皮は無に等しく、ゴムはなく、含有鉄量の充分な鉄鋼を有せず、銅も不充分、錫、亜鉛及びアルミニウムの製造の主要原料たるボーキサイトに事欠き、食糧生産不充分にして、且又木材及び建築用材の欠乏甚だしき等、之を普通の国民的経済及び生活維持の見地からするも、又他方、幾らかの自衛能力を維持するの見地からするも、多くの点において日本は、経済的に他から圧力を受け易い状態にありました。
此所に我々が提出せんとする研究資料は1928年(昭和3年)より1939年(昭和14年)に至る間の日本の生産、輸入、輸出及び重要産業の消費を指示するのでありますが、ある場合は比較参照のために1945年(昭和20年)迄の資料が附加されております。この研究は各種産業を含んでいますが、就中(ナカンズク)鉄鋼、石油、綿、羊毛、ゴム、牛皮、治金用石炭、鉄鋼、屑鉄、銅、亜鉛、セメント、食糧、材木、電気器具、戦車、航空機、トラック、自転車、造船業、海運業の如く国民経済及び自衛能力に直接関係のある産業を取扱っています。真珠湾攻撃の際に日本が有していた産業能力は中位の自衛力の維持に辛うじて間に合う程度のものであり、又その日暮らしではあるが進歩的な生活を少なくも過去20ヵ年間に亙って事実上営んできた貧困な国民経済の必要とする物資を、辛うじて調え得るに過ぎなかったのであります。
これは メッセージ 32827 (u26699jp さん)への返信です.