日本は何故、反省しないのか?

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>サル発サル着って?

投稿者: bianchi20022002 投稿日時: 2002/02/09 07:58 投稿番号: [20199 / 60270]
>清の建国前後に、日本が朝鮮で明と激しく戦ったことや南で倭寇として暴れていたことは、統一後、状況把握できたでしょうから、一目置くのは当然でしょう。


軍事大国と思ったかどうかは疑問。ただ日本に好感持ってたのは事実のよう。(詳しくは司馬遼太郎のダッタン疾風録をどうぞ)

>漢人に対して強制された辮髪ですが、朝鮮人には強制されなかったのは、清建国時に最初に朝貢国となったのが朝鮮だったからです。

これまた?
弁髪は民族の誇りであり、新キョウの回部(いまのウイグル)のトルコ族が弁髪を願い出たとき清朝はこれをゆるさなかった。(河出書房新社/世界の歴史14・明と清より)

>また、満州人(女真人)と朝鮮人の親近感もあったのです。

朝鮮人は女真をオランケと呼び野蛮極まりないと嫌っていた。秀吉の軍が朝鮮を攻めて明が苦戦してる時、「俺らがヤってやろう−かぁ?」と女真がプロポ−ズしてきたが朝鮮は「とんでもない!あんな奴等国内に入れたら国がボロボロにされてしまう!」という理由で断ったそうだ。(個人的には見たかった!戦国を勝ち抜いてきた日本軍と女真タタ−ルの世紀の、いや歴史的な戦いを!)

>清と朝鮮は創生期から仲がよく、決定的に敵対したことはなく、清にとって日本は、敵対すると厄介な東方の軍事国家だったのです。

またまた

日本軍の侵入前後朝鮮は党争に明け暮れていた。戦争が終わると今度は北方から満州軍の侵略をうけることになった。朝鮮は明の命令で満州に出軍そして敗れる。その後中立の立場をとり傍観、しかし内部党争が激しく中立主義は続かない。仁租が立つと向明排金の政策をとる。党争で負けた叛徒後金国に逃げ込み援助を請う。これが女真には朝鮮侵略のなによりの口実となった。1627年後金軍進攻、朝鮮は屈服し和議を結ぶ。その後は明と後金の両方に朝貢する。後金は清となりだんだんと朝鮮に無理難題をもちかけ始めた。朝鮮ではまた次第に夷テキの満州をを撃攘しようと再び向明排金の政策をとる。これに怒った清は1637年一気に南侵。明との断交、属国となる。(中公文庫/世界の歴史9・最後の東洋的社会より)
とこのように親近感というものはなかったと思います。

>李セイリョウ
は李成梁
>李ジョショウ
は私も?です。
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