古代と中世以降では
投稿者: hontokasila2 投稿日時: 2002/02/08 10:52 投稿番号: [20152 / 60270]
「朝貢国」の意味合いが違っていたようだね。
古代、平安時代までは、中国は文字通り日本を朝貢国とみなしていたようだが、中世に入り決定的な転機が訪れた。
「元寇、弘安の役」で日本軍が14万人もの蒙古、高麗、南宋連合軍を殲滅し、(嵐に助けられた面はあったが)中国人は日本を、よっぽど強力な軍国主義国家だと思ったようだ。(実際はそうでもなかったが)
この時代の南宋の詩人が、日本軍の勝利について唱い、元軍がことごとく海の藻屑と消えたのを、いかにも痛快といった書き方をしていたのを見たことがある。(実際は、亡くなったのはほとんど南宋の兵だったが)
このころを境に、中国人にとって日本はなんとなく無視できない国となり、朝貢国という形は次第に形式的なものになった。
精神的には「対等」な関係になったようだ。
後に明朝が滅亡の危機に即した時、明から徳川家康に援軍の協力要請があった。
家康は国内の安定を第一に考えこれを断ったけれどもね。
中世以降の日中関係は、形式的には日本は朝貢国としてふるまったが、実質的には対等だったと思うよ。
対等どころか、日中貿易では、中国側からタンマリ手土産をもらったから、日本にとっては、一応頭さえ下げていれば、中国は気前のいい兄貴であり、悪い取り引きではなかったのさ。
これは メッセージ 20148 (bianchi20022002 さん)への返信です.
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