日韓歴史論争

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>その日本鉄砲隊が行っても

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/02/27 16:29 投稿番号: [974 / 6952]
>朝鮮ひとつ取れなかった。

朝鮮軍のみ相手なら、十二分に取れましたが...

>明軍が出現すると驚いてソウルまで逃げ、さらにソウル龍山の兵糧置き場が放火されると食料がなくなり、自発的に釜山周辺まで退去、結局明に騙されて講和を結んだ。

うーん、随分と認識不足がありますよ。
文禄の役の概略は
1592年(文禄元年)
4月12日・小西行長旗頭の第1軍、釜山上陸。釜山城攻略・占領。(最終の第8軍上陸完了は4/18)
4月27日・忠州にて8000の朝鮮軍撃破。
(この間、朝鮮王、漢城放棄)
5月1日・小西行長の1軍、漢城入城
5月2日・加藤清正の2軍、漢城入城
5月8日・最終の8軍、漢城入城
6月16日・1軍、平壌攻略終了
7月7日・閑山島付近で脇坂安治の水軍衆、朝鮮水軍に撃破される
援軍の九鬼嘉隆・加藤嘉明の水軍衆も被撃破
(これにより、日本側の兵站線確保が非常に困難となる。
石田三成が敗戦の警鐘を鳴らしだしたのはこの時期)
7月16日・明軍(祖承訓の軍勢5万)、平壌付近で小西行長の1軍(約1万8000〜1万9000)と交戦。撃破され撤退
8月30日・明の沈惟敬、小西行長と50日間の休戦締結
12月23日・明の李如松が4万3000の軍勢で鴨緑江を渡り朝鮮入り。朝鮮軍1万含め、平壌の1軍包囲
1593年(文禄2年)
1月7日・平壌総攻撃。小西行長、1軍を漢城へ後退させる
(開城の戦力も、漢城に集中する)
1月27日・李如松率いる明・朝鮮軍、漢城近郊の碧蹄館で小早川隆景に撃破される
4月18日・日本軍、漢城放棄。
(この後、帰国)

日本側を一言で言えば「兵站作戦の失敗」ですね。
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