ウリの叔父を独立功労者に汁!
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2009/03/01 23:16 投稿番号: [5088 / 6952]
>1936年に日本軍に逮捕され、同氏の飛行学校脱出が発覚した。同氏はやむを得ず、「神風特攻隊として戦線に参戦し、命を捧げ任務を遂行する」という内容の誓約書を書き、再び立川飛行学校に戻ることで赦免された。その後、頭部負傷による後遺症を理由に、飛行待機者名簿に名を連ね、脱出の機会をうかがっていた。1937年、故郷の済州に脱出することに成功したが、再度日本の警察に逮捕されるという苦汁を味わった。
↑とりあえず、1936年に「神風特攻隊」なるものが存在したとは、驚いた。(爆)
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記事入力 : 2009/03/01 09:42:18
イム・ジョンボム氏「叔父を独立功労者として認めて」
「日本軍の飛行機を運転して中国に脱出し、抗日運動を繰り広げた独立運動家・任道賢(イム・ドヒョン)を独立功労者として認めてください」
伯父・任道賢の運動記録書を見せながら説明するイム・ジョンボムさん。/写真=オ・ジェヨン記者 済州大師範大学付属高校の教師イム・ジョンボムさん(54)は、日本や中国で抗日運動を行った伯父・任道賢さんに対する国家報勲処による独立功労者の最終審査結果を待っている。イムさんによる独立功労者叙勲の申請は、2005年の3・1節(独立運動記念日、3月1日)と2008年の光復節(日本の植民地支配からの解放記念日、8月15日)に続き、今回が3度目。昨年11月に申請し、発表は3・1節に合わせて行われる予定だ。
任道賢氏は1909年に済州道済州市朝天邑臥屹里で生まれた。同氏の抗日運動に関する記録は、1940年ごろ同氏が故郷に帰った際に残した自筆の履歴書が始まりだった。履歴書には、1331年に東京の立川飛行学校に入学し飛行訓練を受け、同僚7人とともに訓練機で中国・上海に脱出したと記されている。中国では上海外国語学校や柳州陸軍航空学校などで学び、中国軍の中尉に任官。四川省重慶中央軍事政府直属の部隊で蒋介石を補佐し、実戦に参加したという。
中国・広西航空学校のサイトに掲載されている任道賢氏(矢印)の写真。柳州航空学校は1934年、「広西航空学校」に名称が変わった。
その後、ソ連と満州国境で日本軍との戦闘の際に頭を負傷し、1936年に日本軍に逮捕され、同氏の飛行学校脱出が発覚した。同氏はやむを得ず、「神風特攻隊として戦線に参戦し、命を捧げ任務を遂行する」という内容の誓約書を書き、再び立川飛行学校に戻ることで赦免された。その後、頭部負傷による後遺症を理由に、飛行待機者名簿に名を連ね、脱出の機会をうかがっていた。1937年、故郷の済州に脱出することに成功したが、再度日本の警察に逮捕されるという苦汁を味わった。
履歴書は、1948年の済州4・3事件(済州島で1948年に起きた住民蜂起)当時、村全体が火事に見舞われた後に残ったタンスの中から発見された。同氏が飛行機で日本を脱出した内容は、甥のイム・ジョンボムさんが国家記録院で得た「1936年5月、朝鮮総督府光州地裁・済州支所の裁判記録」が証明している。
イム・ジョンボムさんはこのような内容の資料を基に、2005年に独立功労者として認定してもらうよう申請したが、資料不足などの理由で認められなかった。イムさんの母親イ・スソンさん(81)は、「抗日運動の際に障害になるという理由で結婚をしなかった義理の兄が蒋介石と撮った写真を見せてくれた。蒋介石から本や薬が送られてきたこともあった。しかし、手紙などの資料は4・3事件当時に焼失した」と残念そうに語った。
だがイム・ジョンボムさんはあきらめず、伯父が要注意人物のレッテルを張られ、日本の警察に集中的にマークされていた内容が明記された日本の警察庁の秘密文書を昨年1月に発見した。また同じ時期に、中国・柳州新聞社の編集長を通じて知ることになった広西航空学校の公式サイトに、1937年に撮影された伯父の写真が掲載されていることも確認した。
イム・ジョンボムさんは「伯父は1940年代に済州に帰還した後、村で供出や徴兵拒否運動を繰り広げたが、拷問などの後遺症により1950年に亡くなった。政府は提出された資料だけで審査するのではなく、さらに積極的な調査を行い、独立功労者として認めてほしい」と語った。
済州=オ・ジェヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
↑とりあえず、1936年に「神風特攻隊」なるものが存在したとは、驚いた。(爆)
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記事入力 : 2009/03/01 09:42:18
イム・ジョンボム氏「叔父を独立功労者として認めて」
「日本軍の飛行機を運転して中国に脱出し、抗日運動を繰り広げた独立運動家・任道賢(イム・ドヒョン)を独立功労者として認めてください」
伯父・任道賢の運動記録書を見せながら説明するイム・ジョンボムさん。/写真=オ・ジェヨン記者 済州大師範大学付属高校の教師イム・ジョンボムさん(54)は、日本や中国で抗日運動を行った伯父・任道賢さんに対する国家報勲処による独立功労者の最終審査結果を待っている。イムさんによる独立功労者叙勲の申請は、2005年の3・1節(独立運動記念日、3月1日)と2008年の光復節(日本の植民地支配からの解放記念日、8月15日)に続き、今回が3度目。昨年11月に申請し、発表は3・1節に合わせて行われる予定だ。
任道賢氏は1909年に済州道済州市朝天邑臥屹里で生まれた。同氏の抗日運動に関する記録は、1940年ごろ同氏が故郷に帰った際に残した自筆の履歴書が始まりだった。履歴書には、1331年に東京の立川飛行学校に入学し飛行訓練を受け、同僚7人とともに訓練機で中国・上海に脱出したと記されている。中国では上海外国語学校や柳州陸軍航空学校などで学び、中国軍の中尉に任官。四川省重慶中央軍事政府直属の部隊で蒋介石を補佐し、実戦に参加したという。
中国・広西航空学校のサイトに掲載されている任道賢氏(矢印)の写真。柳州航空学校は1934年、「広西航空学校」に名称が変わった。
その後、ソ連と満州国境で日本軍との戦闘の際に頭を負傷し、1936年に日本軍に逮捕され、同氏の飛行学校脱出が発覚した。同氏はやむを得ず、「神風特攻隊として戦線に参戦し、命を捧げ任務を遂行する」という内容の誓約書を書き、再び立川飛行学校に戻ることで赦免された。その後、頭部負傷による後遺症を理由に、飛行待機者名簿に名を連ね、脱出の機会をうかがっていた。1937年、故郷の済州に脱出することに成功したが、再度日本の警察に逮捕されるという苦汁を味わった。
履歴書は、1948年の済州4・3事件(済州島で1948年に起きた住民蜂起)当時、村全体が火事に見舞われた後に残ったタンスの中から発見された。同氏が飛行機で日本を脱出した内容は、甥のイム・ジョンボムさんが国家記録院で得た「1936年5月、朝鮮総督府光州地裁・済州支所の裁判記録」が証明している。
イム・ジョンボムさんはこのような内容の資料を基に、2005年に独立功労者として認定してもらうよう申請したが、資料不足などの理由で認められなかった。イムさんの母親イ・スソンさん(81)は、「抗日運動の際に障害になるという理由で結婚をしなかった義理の兄が蒋介石と撮った写真を見せてくれた。蒋介石から本や薬が送られてきたこともあった。しかし、手紙などの資料は4・3事件当時に焼失した」と残念そうに語った。
だがイム・ジョンボムさんはあきらめず、伯父が要注意人物のレッテルを張られ、日本の警察に集中的にマークされていた内容が明記された日本の警察庁の秘密文書を昨年1月に発見した。また同じ時期に、中国・柳州新聞社の編集長を通じて知ることになった広西航空学校の公式サイトに、1937年に撮影された伯父の写真が掲載されていることも確認した。
イム・ジョンボムさんは「伯父は1940年代に済州に帰還した後、村で供出や徴兵拒否運動を繰り広げたが、拷問などの後遺症により1950年に亡くなった。政府は提出された資料だけで審査するのではなく、さらに積極的な調査を行い、独立功労者として認めてほしい」と語った。
済州=オ・ジェヨン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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