Re: 黒い山葡萄原人
投稿者: higanbana26 投稿日時: 2008/09/13 07:05 投稿番号: [4841 / 6952]
「半島の稲作が日本のそれよりどれほど遅れて開始されたか」と断定しているので、「断定」しちまっていいのかなと思ったまでです。
物が伝わる時は一方向だけではなく波紋のように四方八方に広がってゆくのではないですか。日本にだけ伝わって朝鮮半島には伝わらなかった、とは考えられないです。朝鮮と日本はあまりにも近くて、しかも中国が日本とだけ交易があり、日本にだけ稲作が伝わり、朝鮮とは交易がまったく無かった、何も伝わらなかったと考えるのは無理がある、とすれば当然ほぼ同時期に伝わったと考える方が自然だと思います。
海洋ルートか、陸路か、はさほど問題ではありません。
日本に伝わり南から北に至るまでに200年しかかからなかったといいます。
私は、なぜ朝鮮からは古い稲作の遺跡が発見されないのか、を考えた方が早いような気がします。
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朝鮮半島南部は、日本の雨季には雨が少なく夏に雨量が多いようです。朝鮮の雨季に苗を成長させようとすると実りが遅すぎるでしょう。
中国のイネを持ってきて、同じ種を同じ時期に植えても難しかったのではないのかな。日本の方がずっと適した土地だったということでしょう。
また、初期のあぜを作らない水田稲作が出来る立地条件になかったのかもしれません。水はけが悪ければ全部腐ってしまうだけですから。
中国で水田稲作が発達した時期はおりしも氷河期を脱して高温期になり始めた時期で、河姆渡遺跡は高床式住居です。朝鮮半島も高温多湿で小動物は無条件に繁殖し、なにも大変な苦労をして田畑を耕す必要など無く、もともと肉食の狩猟民族が支配していたならば、稲作は発達しなかっただろうと思います。
これは メッセージ 4840 (tyd_freedom さん)への返信です.
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