日韓歴史論争

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

倭将チョンジョンを撃退したニダ!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2007/06/26 21:05 投稿番号: [3913 / 6952]
>同屏風は、慶長の役の終盤の最大の勝負の山場だった13日間の蔚山城の戦闘(1597年12月23日〜1598年1月4日)の場面を事実的で細密に描写し、史料としての価値が大きい上、

史料ねえ…17・18世紀に描かれた、しかも「絵」だから、せいぜい当時を「しのぶ」程度にしておいたら?
もちろん、描いた人も検証を重ねた上で描いたのだろうけど。
まあ、美術品としては一級品だろうけどさ。

>残りの2枚は、国内はもとより日本でも存在すらわからなかった作品だ。チョン館長は、「蔚山城の戦闘で日本が負けたため、日本人の製作者やコレクターたちが負担を感じ、公開を嫌がったためだ」と伝えた。

そうかね????
まずさあ、まあ文禄・慶長の役は、ありゃ大失敗だ。それはそうだ。
ただ、その場面を絵にするのは、むしろ清正の篭城ぶりと、将兵の艱難辛苦ぶりを顕彰する意味合いが強いぜ。
なにせ、庄内藩でも、清正の子の加藤肥後守忠広が半ば流罪で預けられた時、「加藤家は朝鮮でブイブイいわせた武勇の家だから、監視には念を入れるように」と幕府から含められていたからな。(と言いつつ、庄内の酒井家は加藤家を案外鄭重にもてなした。)
将軍吉宗が、自分のじいさん(紀伊大納言頼宣)の正室が清正の娘(あま姫)だというので、必死に加藤家の血筋の者を探した事を思い出すとしようぜ。

>このため、日本軍たちは土を煮込んで食べたり、馬を殺して食べたりしながら過ごさなければならなかった。6万人余りの日本軍の救援兵のため、朝鮮―明の連合軍は後退したが、加藤清正が逃げ出すなど実質的な日本軍の敗北とつながり、慶長の役を終わらせるのに決定的な役割を果たした戦争と評価されている。

つうか、宗主国大明の援軍まで来ておいて、秀吉軍が6万上陸すると、後退したってことじゃん? 明が援軍を出す前は、清正が「おらんかい」の領域にまでブチ抜いたのは、なぜだい?
「朝鮮-明」連合軍って、まあいいけどサ、日本の講和相手が明朝だった事は、忘れちゃなるまい?
で、「馬を殺してまで」って、軍馬は最後の糧食でもあるのは、分かって…ない?
蒙古に至っては、モロにそういう認識だったじゃないか?

>朝鮮―明の連合軍とは異なって、日本軍は所属の家門によって、お互いに異なる旗を掲げているのが特徴だ。

なるほど。それはいかにも「封建」だと感じるのは、ワシだけかな。

ttp://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007062607048
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)