Re: 「これが植民地の学校か」
投稿者: asian_gloom 投稿日時: 2007/03/09 03:53 投稿番号: [3652 / 6952]
こんにちは。
思わず書き込んでしまいました。
私の父は、戦時中、台湾師範学校を卒業し、そのまま終戦まで台中で教鞭をとっていました。
私が幼い頃見た当時の写真には、二十歳代前半の若々しい父母が、日本刀7〜8振りを立て掛けた床の間を背に、和服姿で映っています。
戦後50年ほど経って、台中を訪れる話が持ち上がり、飛行機の嫌いな父の名代として私が母に同行しました。
母は、台中の街角で当時の建物を見つけては、一人感慨に耽っていました。
台湾の人達は旧日本軍が作った建物を今でも大切にしてくれていたんですね。
父が教師をしていたという学校の入り口で、母の足が止まります。
「当時のまんま、、、」
休みだったのか、人影の無い校庭をゆっくり進むと、母が、古びた何棟かの木造平屋を指差し、
「ここが教員宿舎、、、」「私たちも此処に、、、」
そして、更にびっくりすることが起こります。
どこから見ていたのか、老人がゆっくりとこちらに歩いてきました。
きれいな日本語で、
「日本の方ですか?」
「はい、実は、、、戦時中此処で教師をしていた、、、」
「ええ、覚えています、、、」
母にはこの老人の記憶は無かったようだが、相手はしっかり覚えていたようです。
「朝起きて雨戸を開けるとね、食料を持った父兄が沢山並んでるのよ」
「今日、農作業で学校を休ませたいからとかね」
子供の頃よく聞かされた、台湾時代の話を思い出した。
敗戦、引揚げ、
その間、台湾でも現地人による日本人虐殺がありました。
日ごろ威張り散らしている警察官が真っ先に襲撃されたそうです。
父の同僚も、山の炭焼き小屋で惨殺されました。
「私たちが無事日本に帰れたのは、台湾人のおかげなの、、、」
台湾人、有難う。
これは メッセージ 3640 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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