独島義勇守備隊
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/03/01 22:59 投稿番号: [3642 / 6952]
一般漁民を銃殺した殺人者じゃないか。
不法占拠の犯罪行為の再現VTRだろ?
あと、1955年にマッカーサーライン・・・・・?
マッカーサー・ライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
1952年4月25日 マッカーサー・ラインを廃止。
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日本の侵奪に対立した独島義勇守備隊の復元映像を初公開
1950年代、日本の領土侵奪から独島を守り抜いた独島義勇守備隊と、当時の独島の風景が収められた記録映画が復元され、3.1節88周年を迎えてKUKIニュースを通じて初め公開された。
28日、韓国映像資料院は『独島と平和ライン(Kodachrome/16㎜/No Sound Track)』の復元作業を終え、映像を公開した。
この映画には、独島義勇守備隊が独島を守っていた1955年に製作されと推定され、独島義勇守備隊と大韓民国海警の生活の場面、独島の天然洞窟や独島の海岸の絶壁など、当時の独島の全容が収められtいる。
この記録映画は、当時の海警チルチョン号の故ハン・チャンリョル艦長の息子であるハン・ヨンジュンさん(45歳・教師)が、2005年の3月に『独島に係わる映画を作る』という内容の本紙の記事を見て、病床の父親が所蔵していたフィルムを本紙に送って来た。
当時、ハンさんは、「父が済州海峡でラインを越えて来た日本漁船を捕える途中、独島守備隊が10日くらい補給が途絶えて餓死状態だという海警の連絡を受けた」とし、「この言葉を聞いてすぐに独島に行った際に、名前が分からない写真作家が同乗してこの記録映画を残す事になった」と紹介した。
映像資料院は、フィルムが非常に古くてそのまま放置した場合、今後の上映が不可能になるかも知れないという判断の基で復元を決定し、1年余り掛けた作業により復元されたフィルムが初公開された。
3分10秒程度のこのフィルムは、原本の編集過程で音声編集をする為の前段階として作られた、複製であると推測されている。
原本のフィルムには音声も収められていると思われるが、寄贈されたフィルムには映像情報のみが入っていると映像資料院側は説明している。
ハンさんは、「海警に勤務していた父は、マッカーサーラインを越えて来た日本の漁船を余りにも多く捕え、当時の日本の雑誌である『文芸春秋』で、三度も父を海賊として描いた」とし、「独島守備隊と韓国海警が、血の汗を流して守り抜いた独島を、日本に絶対に奪われてはならない」と強調した。
ハンさんはまた、「父が歌曲『待つ心』の、「日出峰(イルチュンボン)に日が登ったら私を呼んでください♪」という歌詞で、日出峰を『独島嶺(ドクトリョン)』に替えて一人で叫んだりしていた」と回想した。
独島義勇守備隊は鬱陵島(ウルルンド)に住む民間人と、6.25参戦軍人など33人で構成された民間組職で、朝鮮戦争の混乱に便乗した日本人の独島への侵奪が頻繁だった1953年の4月20日から、1956年の12月30日まで独島の実効的支配の為に犠牲と愛国精神を発揮し、漁民の保護と独島守護任務を遂行したと伝えられる。
だが独島義勇守備隊同志会の関係者は、「活動人員や時期が間違って伝えられている部分が多い」とし、「人員と活動期間に対する再検証が必要だ」と語った。
国民日報KUKIニュース(動画アリ)
http://www.kukinews.com/news/article/view.asp?page=1&gCode=soc&arcid=0920464652
不法占拠の犯罪行為の再現VTRだろ?
あと、1955年にマッカーサーライン・・・・・?
マッカーサー・ライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
1952年4月25日 マッカーサー・ラインを廃止。
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日本の侵奪に対立した独島義勇守備隊の復元映像を初公開
1950年代、日本の領土侵奪から独島を守り抜いた独島義勇守備隊と、当時の独島の風景が収められた記録映画が復元され、3.1節88周年を迎えてKUKIニュースを通じて初め公開された。
28日、韓国映像資料院は『独島と平和ライン(Kodachrome/16㎜/No Sound Track)』の復元作業を終え、映像を公開した。
この映画には、独島義勇守備隊が独島を守っていた1955年に製作されと推定され、独島義勇守備隊と大韓民国海警の生活の場面、独島の天然洞窟や独島の海岸の絶壁など、当時の独島の全容が収められtいる。
この記録映画は、当時の海警チルチョン号の故ハン・チャンリョル艦長の息子であるハン・ヨンジュンさん(45歳・教師)が、2005年の3月に『独島に係わる映画を作る』という内容の本紙の記事を見て、病床の父親が所蔵していたフィルムを本紙に送って来た。
当時、ハンさんは、「父が済州海峡でラインを越えて来た日本漁船を捕える途中、独島守備隊が10日くらい補給が途絶えて餓死状態だという海警の連絡を受けた」とし、「この言葉を聞いてすぐに独島に行った際に、名前が分からない写真作家が同乗してこの記録映画を残す事になった」と紹介した。
映像資料院は、フィルムが非常に古くてそのまま放置した場合、今後の上映が不可能になるかも知れないという判断の基で復元を決定し、1年余り掛けた作業により復元されたフィルムが初公開された。
3分10秒程度のこのフィルムは、原本の編集過程で音声編集をする為の前段階として作られた、複製であると推測されている。
原本のフィルムには音声も収められていると思われるが、寄贈されたフィルムには映像情報のみが入っていると映像資料院側は説明している。
ハンさんは、「海警に勤務していた父は、マッカーサーラインを越えて来た日本の漁船を余りにも多く捕え、当時の日本の雑誌である『文芸春秋』で、三度も父を海賊として描いた」とし、「独島守備隊と韓国海警が、血の汗を流して守り抜いた独島を、日本に絶対に奪われてはならない」と強調した。
ハンさんはまた、「父が歌曲『待つ心』の、「日出峰(イルチュンボン)に日が登ったら私を呼んでください♪」という歌詞で、日出峰を『独島嶺(ドクトリョン)』に替えて一人で叫んだりしていた」と回想した。
独島義勇守備隊は鬱陵島(ウルルンド)に住む民間人と、6.25参戦軍人など33人で構成された民間組職で、朝鮮戦争の混乱に便乗した日本人の独島への侵奪が頻繁だった1953年の4月20日から、1956年の12月30日まで独島の実効的支配の為に犠牲と愛国精神を発揮し、漁民の保護と独島守護任務を遂行したと伝えられる。
だが独島義勇守備隊同志会の関係者は、「活動人員や時期が間違って伝えられている部分が多い」とし、「人員と活動期間に対する再検証が必要だ」と語った。
国民日報KUKIニュース(動画アリ)
http://www.kukinews.com/news/article/view.asp?page=1&gCode=soc&arcid=0920464652
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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