台諫
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/01/18 17:18 投稿番号: [3551 / 6952]
>魏徴が死んだ後、太宗は高句麗(コグリョ、B.C.37〜A.D.668)などへ向かった戦争で国力を使い果たす。 あれほど興盛していた唐の王室は、それを契機に一次の衰退の道へ向かう。 魏徴が死んだためとばかりは言えないものの、太宗にあれだけ直言できる人物もいなかったのが事実だ。
さりげなくアホなことを書いておりますな。
>君主の権限が途方もなく大きかった王朝時代にも、言官(諫臣)の役割は非常に大きかった。 韓国歴史の中でも高麗(コリョ、918〜1392)と朝鮮(チョソン、1392〜1910)時代には「台諌」を設け国王にかん言するようにした。 王が繰り広げる政策について、その得失を論じ、各官僚機構の過失を論じたり弾劾まで行なう言論機関だったわけだ。
単に弾劾合戦の主役になっただけです。
>独走する王権が、その言官の意見をきちんと聴取しない場合、国政は独善に流れやすかった。 同様に、官僚社会の不正腐敗などに言官がきちんと介入できない場合、国政の弊害はそのまま民に移された。
いや、ほとんどの時代、台諫が何を言おうが、所詮は党争のグデグデで政治は迷走していたし。
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【噴水台】諫臣
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=83794&servcode=100§code=120
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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